対談の言葉は印象深いのですが、話題が流れてゆくためか、
残念なことに、あとでどこにあったのか忘れてしまいます。
忘れたことが気になって、忘れ物探しに時間をつぶします。
うん。そんなことがないように、とりあえずは書いてみる。
はい。ちょっとしたことなので、どうつながるか。
ちくま学芸文庫『徒然草』のp59。
島内裕子さんの『評』に、古今和歌集の古歌が引用されてた。
「『わが心慰めかねつ更級や姥捨山に照る月を見て』
という『古今和歌集』の古歌もあるように・・・ 」
という『古今和歌集』の古歌もあるように・・・ 」
そういえば、丸谷才一と大岡信の対談「唱和と即興」に
山頭火に触れた箇所があったなあ。
最近読んだので、すぐにページがめくれました。
そこを引用しておくことに。
丸谷】・・・この一年ばかり、山頭火の句をずっと読み続けましてね。
山頭火の句の中でぼくが一番好きだった句は、
いままで誰も褒めてない句なんです。
なるほど信濃の月が出ている
大岡】 ふーん、なるほど。
丸谷】・・・昭和13年かな、信州へ行ったときの句。
最初は、『なるほど』という間投詞でしょう。
それから 『信濃』という固有名詞でしょう。
間投詞と固有名詞を除くと、『月が出ている』
というただそれだけになっちゃう。
でも、この間投詞+固有名詞+『月が出ている』、
この3つ・・・
・・・・・問題は、『信濃の』って言葉だよね。
これがほかの何かで、
『京都の月が出ている』じゃもちろんだめなわけですよ。
信濃でなきゃいけない。
姥捨山の月でなくちゃいけない。
山頭火がたった一人でポツンと歩いていると、
『古今集』の姥捨の月という伝統との対話が成立する。
『古今』読人知らずの歌人と、
お互いに唱和することができるわけでしょう。
だから『なるほど』だ。
そこでさびしさが解消されて、心が満たされるわけですね。
そういう楽しさを感じることができる。
そして大前提としての孤独も、身にしみる。・・・・
・・・明治維新以前の日本文学との対話ということを、
現代俳人はどうも怠っているんじゃないかしらってことなんです。」
( p113~115 「古典それから現代」構想社 )
うん。ここでの丸谷さんの言葉って、何を言いたいのかなと思うと、
徒然草の第13段のはじまりが思い浮かぶわけです。
「 一人、燈火(ともしび)の下(もと)に、文を広げて、
見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰む業(わざ)なる。 」
と言われても、なかなかに『なるほど』とは言えないわけです。
なるほど信濃の月が出ている 山頭火