徒然草の『連続読み』を、島内裕子さんは語っております。
もどって、沼波瓊音氏は、どのように語られておられたか?
「おのずからその文に旋律があると云うだけのことである」(p36)
はい。こう語る沼波さんの『旋律』を、拾ってみることに。
「一体この徒然草は、始めから終りまで、一つの事を書いて、
その事からふと他の事を思ひついて、次に書くと云風に出来て居るので、
厳格に云へば、段を切ると云事は、不自然な事になるのです。
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しかしよく文を論ずる人が、解剖的のことばかり云ひたがるために、
聞く人が、作者がそう云手段を意識してやってると思ひ易いが、
必ずしもそうで無い。手段を意識した文には碌なものは無い。
作者はただ感の儘を書き流して行ったのが、調べて見ると、
自から其の文に旋律があると云だけのことである。・・ 」(p36)
うん。ちょっと寄り道して、小林秀雄が思い浮かびました。
小林秀雄に『徒然草』と題する文があります
( 分かっても分からなくても短いのですぐ読めます )。
小林秀雄年譜をひらくと、
昭和17年(1942) 8月『徒然草』を「文学界」に発表。
9月『バッハ』を「文学界」発表。胃潰瘍のため入院。
この年、『モオツァルト』を計画。
そして戦後の
昭和21年 9月『無常といふ事』(ここに「徒然草」がはいる)創元社刊行
昭和22年 7月『モオツァルト』を創元社より刊行。
かってな連想をしたくなるのですが、この時期に、
徒然草も、バッハも、モオツァルトも、
小林秀雄の頭の中では『旋律』というテーマが鳴り響いていたかも。
ということで、もどって、沼波氏の旋律の箇所を
沼波瓊音著「徒然草講話」のなかから、もう少し拾ってみます。
「 自然の出来事には、自ら、韻律がある。
古欧人流に考へると、日々の人事は大も小も
悉(ことごと)く音楽だとも云へよう。
その音楽は、写す者のわざでは無いが、
その音楽を其の儘写すと云ことは、実に難事である。
兼好の文才につくづく感服する。
西洋の古今の文豪の誰彼と考へて、これだけの事を、
どの人が、これだけに、かう云ふ工合に、書き得るかと
考へて見給へ、長々と書く人はいくらもあるが、
こういう工合に書き得る者は・・・・・・
やがて日本の、否、東洋の芸術の優なるものの骨を得ることである。」
( p247 )
第137段の「花はさかりに、月は隈なきをのみ見るものかは・・」
の中では、沼波の訳には
「そもそも月花によらず、どんな事でも、盛りの時よりは、
その事の始めと終りが味ひがあるのでる。」(p371)
この第137段の評でも
「 じつにこの思の波が、美しく色々に光って、
韻律を成して居るでは無いか。 」(p376)
では、その旋律に、どのような豊饒さを載せているのか?
第175段の沼波の『評』には
「 この書はほとんど全部矛盾をもって成立して居るが、
ここ程明著な、矛盾の場所は無い。・・・ 」(p453)
「 兼好の真の人たる所は、実にこの両面を見る点である。
その心に起る矛盾を平気で書いて、普通の人のやるやうに、
そのどちらかを殺すと云事をしなかった所にある。
矛盾に安住してる所にある。
真を書いた書には必ず矛盾があるものである。
たとへば、右の頬を打たれたらば更に左の頬を出して打たせよ、
と書いてある聖書の、他の部分に、我は平和をもたらす為に
生れて来たのでは無い、戦をもたらす為に生れて来たのだ、
と云ってる。これも矛盾である。
云ふ言に、書く文に、矛盾の認められぬ人は、
確かに偽ってる人であるのだ。・・・・ 」(p454)
はい。はじめにもどることに、
「 実際徒然草は、若い時国文のぞきに一通り読んで、
それで棄てておく、と云類の書では無いのである。 」(p145)
「 徒然草を読む人は、
一度は段切りして解をしたものによって読んで、
次には、何段何段と云ふことを、全く見ないで、
本文だけ、通して読んで見なくてはいかぬ。 」(p228)
はい。打ち棄ててあった徒然草と、まためぐり会うチャンスの到来。
引用のページは、沼波瓊音著「徒然草講話」(東京修文館)でした。