徒然草を、とりあえず先へ先へとパラパラめくると、
故事由来などの箇所がアレコレと出てくるのでした。
私は面倒で、つい読まずに飛ばしてしまいたくなるのでした。
考証章段についてガイド・島内裕子さんに聞いてみることに。
島内裕子著「徒然草をどう読むか」(放送大学叢書)に
考証章段をとりあげて
「簡潔な表現の背後に潜む兼好の思いを探ってみよう。」
と、第176段をとりあげております。うん。興味深い。
「宮中の清涼殿にある『黒戸(くろど)』・・ごく短い段である。
黒戸は、小松帝、位に即かせ給ひて、昔、直人(ただびと)にて
おはしましし時、まさな事せさせ給ひしを忘れ給はで、
常に営ませ給ひける間なり。御薪に煤けたれば、黒戸と言ふとぞ。 」
はい。こうして第176段の原文を引用してからの
島内裕子さんの案内に聞き惚れることにします。
「『黒戸』というのは、清涼殿の北廊にある戸のことだが、
ここではその戸がある部屋のことと説明されている。
なぜ、『黒戸』という名前がついているのだろうか。
『小松帝』と呼ばれた光孝天皇(在皇884~887)が、
まだ臣下の時に自分で炊事をしたことを忘れずに、
天皇になられてからも、以前と同じように自ら料理をなさり、
その煤で戸が黒くなったから『黒戸』という名が付いたのだ
と、兼好は言う。
光孝天皇は、55歳になて初めて即位した天皇である。
当時、陽成天皇に嫡子がいなかったので、後継者を広く求められた。
他の皇族たちが、自分こそ次期天皇になろうと浮足立っていたのに
対して、ただ一人動じることなく、破れた御簾の中で、
縁が破れた畳に端然と座っておられたので、この方こそ
天皇にふさわしい方だということで、迎えられたのだった。
これは『古事談』という説話集に出てくるエピソードだが、
光孝天皇の人となりがよく伝わってくる。
・・・・・・・・・・
『黒戸』という名前の由来には、兼好の生きた時代から
四百年以上も昔の、光孝天皇の故事が込められていたのだった。
・・・・『黒戸』という言葉に好ましい響きを感じたからこそ、
兼好はここに書き留めたのではないだろうか。 」(~p114)
さて、このあとの島内裕子さん言葉は印象深いのでした。
うん。ここを引用しておかなくちゃ。
「 若い頃に蔵人とした宮中で仕えた体験を持つ兼好にとっては、
黒戸は見慣れた場所であり、いわば日常空間である。
兼好の心の目には光孝天皇の料理の煙が見えるのであろう。
それは幻視ではなく、遠くに思いを馳せることのできる
人間に与えられたリアリティであり、かくて現在という
時間の領域が限りなく広がってゆくのである。
物事の起源や由来を尋ねることは、過去と現在を繋ぐことであり、
そのような由来に誰かが関心を持つ限り、
過去は過ぎ去り消えてしまったものではなく、現在とともにある、
ということなのだ。このような意識こそが、
徒然草の考証章段を貫く兼好の視点であろう。 」( p114 )
はい。そろそろ徒然草の連続読みにアクビが出てきた私のような輩に、
道案内人・島内裕子さんは、さりげなく注意を促しガイドをしてゆく。