徒然草の第19段と第20段。
第19段に、「年の名残」とあり、つづいて、
第20段に、「空の名残」がある。
名残といえば、イルカさんの『なごり雪』が思い浮かぶなあ。
それはそうと、ガイドの島内裕子さんは第19段をとりあげて、
「 私事にわたるが、私は毎年、元旦の午前中に
この段(第19段)を読み上げて、過ぎし一年の
くさぐさと、これから始まる新しい一年に思い
を馳せ、清澄な気分に包まれる。」
(p56 文庫)
うん。ガイドさんが元旦に家で読み上げる。
それだけでも、興味をそそりますが、この段は短くない。
最後の方だけ引用してみます。
「年の暮れ果てて、人ごとに急ぎ合へる頃ぞ、又無く、哀れなる。
すさまじき物にして、見る人もなき月の、寒けく澄める
二十日余りの空こそ、心細き物なれ。・・・・
公事(くじ)ども繁く、春の準備(いそぎ)に取り重ねて、
催し行はるる様ぞ、いみじきや。追儺(ついな)より、
四方拝(しほうはい)に続くこそ、面白けれ。
晦日(つごもり)の夜、いたう暗きに、松ども燈(とも)して、
夜半過ぐるまで、人の、門叩き、走り歩きて、何事にか有らん、
事々しく罵りて、足を空に惑ふが、
暁方(あかつきがた)より、さすがに音無く成りぬるこそ、
年の名残(なごり)も心細けれ。
亡き人の来る夜とて、魂祭る業(わざ)は、この頃、都には無きを、
東(あづま)の方には、なお、する事にて有りしこそ、哀れなりしか。
かくて、明けゆく空の気色、昨日(きのふ)に変はりたりとは
見えねど、引き替へ、珍しき心地ぞする。
大路(おほち)の様、松立て渡して、
華やかに嬉しげなるこそ、また、哀れなれ。 」
うん。第19段は、最後の方だけ引用したのに、長くなりました。
比べ、第20段は、短いので、こちらは原文・訳・評と全文引用。
「 某(なにがし)とかや言ひし世捨て人の、
『 この世の絆(ほだし)、持たらぬ身に、
ただ、空の名残のみぞ惜しき 』
と言ひしこそ、真(まこと)に、然(さ)も覚えぬべけれ。」
次にこの訳は
「 誰それとか言う世捨て人が、
『 この世に、絆は何もないわが身ではあるが、
季節と時間の推移につれて、刻々と移り変わる
空の名残の様子だけが心懸かりで、捨て去れない 』
と言ったのは、本当にその通りだと思われる。 」
はい、最後には島内裕子さんの『評』です。
「 『空の名残』という名句が刻印された段。
空の名残とは、夕暮に次第に暮れてゆく空の変化を指すと考えられる。
見上げる人間の心模様を映し出し、受け容れるものとして在り続け、
日も月も星も輝き、ある時は片雲(へんうん)漂い、時雨降り、
雪が舞う変幻多彩な空である。
だから、空の名残が惜しいという心性には、
今生きて在る生への断ち切れぬ思いがあるだろう。
空の名残に託した人生の名残。そこにこそ、
兼好は深く共鳴したのではないだろうか。 」( p57 文庫)
はい。ついついガイドさんの名解説につられて、ついてゆきます。