ブログのコメント欄で、お二人の方が取り上げておられた、
ほしおさなえ著「言葉の園のお菓子番」(だいわ文庫)を、
ちょうど読み終わったところです。
主人公一葉(かずは)と亡くなった祖母とのつながりが、
連句会でむすびつきひろやかに浮き彫りされてゆく物語。
それはそうとウェッジ選書『西行と兼好』(2001年)。
西行のことを4人が、そして兼好を4人が書いてる一冊。
そのなか島内裕子さんが兼好を取り上げた26㌻の文を、
「言葉の園のお菓子番」の読後に、思い浮かべました。
島内裕子さんの文の、最後から引用したくなりました。
「 『徒然草』第30段には、
『人のなきあとばかり悲しきはなし』という書き出しで、
臨終から四十九日を経て、山に葬られた人の墓が次第に
縁者たちの訪れも絶え、ついには鋤き返されて跡形もな
くなってしまうことが描かれている。
『その形だになくなりぬるぞ悲しき』と結ばれるこの段は、
人間の生と死の様相をリアルに描き切り、
『徒然草』の中でも忘れ難い段のひとつである。
・・・・・・・
まさに兼好自身もこの段に描かれた通りなのであって、
彼の墓がどこにあったか全く不明である。・・・
兼好に子孫はいなかったし、墓も残らなかった。
しかし今、わたしたちには『徒然草』がある。
残るのは言葉。その言葉に託された心。
作者の心を生かすのは読者。それを思えば、兼好にとって
現代を生きるわたしたちこそが、彼にとっての『見ぬ世の友』であり、
同時にわたしたちにとっては、兼好が『見ぬ世の友』なのである。 」
( p128 )