和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

八歳の少年兼好は。

2022-06-11 | 古典
徒然草は第243段でおわります。その最終段で、
兼好は幼少の自分と父親のことを語るのでした。

8歳の私の質問に、父親は答えます。
再び私は質問する、また父親は答える。
三度私は質問する。四度私は質問する。
そして最後に答える父親の態度は・・。
ここは原文から

「・・・父、『空よりや降りけん。土よりや湧きけん』と言ひて、笑ふ。
 『問ひ詰められて、え答へず成り侍(はべ)りつ』と、
 諸人に語りて、興じき。 」

ここを島内裕子訳では

「・・四度、私は問うた。・・・父は、
 『さあて、空から降ってきたのだろうか。
   土から湧いて出てきたのだろうか』と言って笑った。

 『息子に問い詰められて、とうとう
  答えることができなくなりました』と、
 父はいろいろな人にこのことを語っては、面白がった。 」


島内裕子の『評』からも、その箇所を引用。

「それにしても、何という素晴らしい擱筆であろうか。
 究極の答えは、とうとうなかった。

 しかし、それでよいのだ。
 父が楽しそうに人に語るのを、
 幼い兼好は、その場にいて聞いたのだ。

 八歳の少年兼好は、
 大人たちの笑い声を聞いて、
 畏(かしこ)まってその場に居たではあろうが、

 おそらくは、心が伸びやかになってゆく思いがしただろう。
 幼い兼好の疑問に何度も父が答えてくれたように、

 大人になった兼好は、
 今度は自分で自分の問いに答えなくてはならない。
 その問いかけが続く限りは。・・・       」
  ( ~p472 島内裕子校訂・訳「徒然草」ちくま学芸文庫  )


  
コメント (2)
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