徒然草は第243段でおわります。その最終段で、
兼好は幼少の自分と父親のことを語るのでした。
8歳の私の質問に、父親は答えます。
再び私は質問する、また父親は答える。
三度私は質問する。四度私は質問する。
そして最後に答える父親の態度は・・。
ここは原文から
「・・・父、『空よりや降りけん。土よりや湧きけん』と言ひて、笑ふ。
『問ひ詰められて、え答へず成り侍(はべ)りつ』と、
諸人に語りて、興じき。 」
ここを島内裕子訳では
「・・四度、私は問うた。・・・父は、
『さあて、空から降ってきたのだろうか。
土から湧いて出てきたのだろうか』と言って笑った。
『息子に問い詰められて、とうとう
答えることができなくなりました』と、
父はいろいろな人にこのことを語っては、面白がった。 」
島内裕子の『評』からも、その箇所を引用。
「それにしても、何という素晴らしい擱筆であろうか。
究極の答えは、とうとうなかった。
しかし、それでよいのだ。
父が楽しそうに人に語るのを、
幼い兼好は、その場にいて聞いたのだ。
八歳の少年兼好は、
大人たちの笑い声を聞いて、
畏(かしこ)まってその場に居たではあろうが、
おそらくは、心が伸びやかになってゆく思いがしただろう。
幼い兼好の疑問に何度も父が答えてくれたように、
大人になった兼好は、
今度は自分で自分の問いに答えなくてはならない。
その問いかけが続く限りは。・・・ 」
( ~p472 島内裕子校訂・訳「徒然草」ちくま学芸文庫 )