和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『徒然草』に、モーツァルトを聴く人。

2022-06-16 | 古典
ガイドの島内裕子さんは、語りが伸びやかで、よく響く。
徒然草と絵画だったり、徒然草とモーツァルトだったり、
そのときどきでの比喩に、読者はワクワクさせられます。

ある本では、画家の全作品にたとえます。

「徒然草を『随筆』とする先入観を、まず捨てる必要がある。
 徒然草は、いわば、兼好という文学者が生み出した、
 多数の作品の集合体であり、たとえば、

 画家の全作品を網羅した『カタログ・レゾネ』のようなもの
 ではないだろうか。それを見れば、画家の生涯にわたる作風の
 変化やテーマの変遷を、一望の下に見渡すことができる。

 同様に、徒然草を通読すれば、著者兼好の関心の所在・表現の変化・
 思索の深化などを読み取ることができる。」
     ( p81~82 「徒然草の内幕」放送大学教材 )


はい。ここには徒然草の随筆全体を評して
「画家の全作品を網羅した『カタログ・レゾネ』のようなもの」
としておりました。
それが違う本では、こうなります。

「それにしても、『つれづれなるままに』という序段の季節感は、 
 青葉が揺れる夏の日とも、蜩が鳴く秋の日とも、
 雪が降り積む冬の日とも思えないのだ。
 春以外の季節では、『つれづれ』という語感が生きてこない。
  ・・・・・・・・・

 繰り返して言おう。心の底に本人さえも気づかぬほど微かな
 執筆意欲の蠢動(しゅんどう)が始まる瞬間が、
 春の季節以外では生きてこない。その蠢動のさまは、

 たとえばモーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』の序曲の
 一番初めの、まるで小さな羽虫たちが一斉に翅(はね)を
 動かして空に飛び立つような、絃楽器の弓のごくごく細やかな
 すばやい動きを思い浮かべたら、最も近いだろう。

 この無比の清新さが、モーツァルトと兼好の身上である。
 徒然草を読んでいると、いつもモーツァルトが聴こえてくる。

 そのような読み方が、現代の私たちに許されている特権である。」

     ( p162~163 島内裕子著「兼好」ミネルヴァ書房 )


はい。徒然草をガイドしてゆく島内裕子さんの、
その楽しみが、すぐそばで響き渡る気がします。

コメント (5)
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