和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

150年ほど前の人。

2022-06-24 | 古典
一冊の本では、とても盛り込めないままに、カットされた情報が、
数冊の本だと、とりこぼされてた展開が、拾われ繋がり興味深い。

徒然草を語る、島内裕子さんの数冊の本にはそんな楽しみがある。
まるで、海岸に打ち上げられる漂流物が日々に違ってくるように。

ここでは、徒然草第39段に登場する法然上人をあらためて取り上げます。
島内裕子著「徒然草の内景」では、兼好との時代の差異に着目している。

「 法然は、長承2年(1133)に生まれ、
  建暦2年(1212)に80歳で没した浄土宗の開祖である。

  時代的には鴨長明とほぼ同時代人で、
  ちょうど法然の没した年に、『方丈記』が著されている。

  したがって兼好から見ると150年ほど前の人である。
  兼好がこれらの法然のことばをどこで知ったかは不明であるが、
  同様のことは『和語燈録』『法然上人絵伝』『一言芳談』などにも
  書かれている。ただし、徒然草第39段と全く同じものはないようなので、
  ここには兼好ごのみの法然像が混入しているかもしれない。 」(p151)


はい。『兼好ごのみの法然像』ということで、
ここは、第39段の原文をもう一度引用します。

「 ある人、法然上人に、

 『念仏の時、睡(ねぶり)に侵されて、行を怠り侍ること、
  いかがしてこの障(さは)りを止(や)め侍(はべ)らん』

  と申しければ、
    『目の覚めたらんほど、念仏し給へ』
  と答へられたりける、いと尊(たふと)かりけり。

 また、『往生は一定(いちぢゃう)と思へば一定、
     不定(ふぢやう)と思へば不定なり』
 と言われけり。これも尊し。

 また、『疑ひながらも念仏すれば、往生す』
 とも言はれけり。これもまた尊し。      」


島内裕子著「兼好」(ミネルヴァ書房)では、
この段を、島内さんが、どう道案内しながら語っていたか。
ガイド・島内さんは一貫して最初から連続読みの立場です。

「第38段は兼好ともう一人の兼好との対話劇のようだと述べたが、
 この段(第39)もまさに『ある人』と法然の対話劇である。

 おそらく兼好もまた『ある人』のように
 生真面目な悩みを心に抱いてこれまで生きてきたのだ。

 ところが『ある人』への法然の答えは、
 思いがけないほど柔軟性に富むものだった。

 眠ければ眠くない時に念仏しなさい、という法然の言葉は、
 文字通り目の覚めるように鮮やかな回答だ。

 生真面目であればあるほど視野が限られ、心が硬直しがちになる。
 そうではないもっと新たな世界が存在することを、
 法然の簡潔な言葉が教えてくれる。

 ただし法然の伝記や彼に関する説話などにも、
 この段とぴったり一致するエピソードは出てこないようである。
 いったい兼好がどこから、この話を仕入れたのかはわからない。

 けれどもどこかしら、ほのかなユーモアが漂うこの話を
 兼好が書き留めたことが、何よりも重要なのだろう。

 この段以後の徒然草には、ユーモアな話が目に見えて増えてくる。
 兼好の中で、何かが少しずつ変わってきている・・・。」(p200)


うん。せっかくですから、この本の数ページ先の言葉も
この際、引用しておきます。

「人の心を動かす生きた言葉は、・・・
 この現実世界を開く言葉なのである。
 
 徒然草が現代にいたるまで、なぜ読み継がれてきてのか。
 徒然草はなぜ読者の心を開く言葉の宝庫なのか。

 それは兼好が自分自身の孤独と誠実に向き合い、
 世の中のあり方に深く悩み、精神の危機を体験したことを
 尊い代償として、徒然草に新たな世界を切り開き、
 生きた言葉を書き記し続けたからである。 」(p213)

え~と。当ブログで
昨日、徒然草の第38・39段に触れた際に
お二人の方から、コメントを頂きました。

それやこれやで、もうすこし反芻したくなり、
第39段の原文をまた引用させてもらいました。

「第39段はほのかなユーモアさえ漂う段で、
 これ以後、徒然草の章段には、
 ユーモラスなおかしみのある段が目に見えて増えてくる。
 今までとトーンが少しずつ変化してくるのである。
 そのような徒然草の微妙な変化が、
 このあたりを境にして徐々に明確になってくる。・・」

         ( p152 島内裕子著「徒然草の内景」 )
  
コメント
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