一冊の本では、とても盛り込めないままに、カットされた情報が、
数冊の本だと、とりこぼされてた展開が、拾われ繋がり興味深い。
徒然草を語る、島内裕子さんの数冊の本にはそんな楽しみがある。
まるで、海岸に打ち上げられる漂流物が日々に違ってくるように。
ここでは、徒然草第39段に登場する法然上人をあらためて取り上げます。
島内裕子著「徒然草の内景」では、兼好との時代の差異に着目している。
「 法然は、長承2年(1133)に生まれ、
建暦2年(1212)に80歳で没した浄土宗の開祖である。
時代的には鴨長明とほぼ同時代人で、
ちょうど法然の没した年に、『方丈記』が著されている。
したがって兼好から見ると150年ほど前の人である。
兼好がこれらの法然のことばをどこで知ったかは不明であるが、
同様のことは『和語燈録』『法然上人絵伝』『一言芳談』などにも
書かれている。ただし、徒然草第39段と全く同じものはないようなので、
ここには兼好ごのみの法然像が混入しているかもしれない。 」(p151)
はい。『兼好ごのみの法然像』ということで、
ここは、第39段の原文をもう一度引用します。
「 ある人、法然上人に、
『念仏の時、睡(ねぶり)に侵されて、行を怠り侍ること、
いかがしてこの障(さは)りを止(や)め侍(はべ)らん』
と申しければ、
『目の覚めたらんほど、念仏し給へ』
と答へられたりける、いと尊(たふと)かりけり。
また、『往生は一定(いちぢゃう)と思へば一定、
不定(ふぢやう)と思へば不定なり』
と言われけり。これも尊し。
また、『疑ひながらも念仏すれば、往生す』
とも言はれけり。これもまた尊し。 」
島内裕子著「兼好」(ミネルヴァ書房)では、
この段を、島内さんが、どう道案内しながら語っていたか。
ガイド・島内さんは一貫して最初から連続読みの立場です。
「第38段は兼好ともう一人の兼好との対話劇のようだと述べたが、
この段(第39)もまさに『ある人』と法然の対話劇である。
おそらく兼好もまた『ある人』のように
生真面目な悩みを心に抱いてこれまで生きてきたのだ。
ところが『ある人』への法然の答えは、
思いがけないほど柔軟性に富むものだった。
眠ければ眠くない時に念仏しなさい、という法然の言葉は、
文字通り目の覚めるように鮮やかな回答だ。
生真面目であればあるほど視野が限られ、心が硬直しがちになる。
そうではないもっと新たな世界が存在することを、
法然の簡潔な言葉が教えてくれる。
ただし法然の伝記や彼に関する説話などにも、
この段とぴったり一致するエピソードは出てこないようである。
いったい兼好がどこから、この話を仕入れたのかはわからない。
けれどもどこかしら、ほのかなユーモアが漂うこの話を
兼好が書き留めたことが、何よりも重要なのだろう。
この段以後の徒然草には、ユーモアな話が目に見えて増えてくる。
兼好の中で、何かが少しずつ変わってきている・・・。」(p200)
うん。せっかくですから、この本の数ページ先の言葉も
この際、引用しておきます。
「人の心を動かす生きた言葉は、・・・
この現実世界を開く言葉なのである。
徒然草が現代にいたるまで、なぜ読み継がれてきてのか。
徒然草はなぜ読者の心を開く言葉の宝庫なのか。
それは兼好が自分自身の孤独と誠実に向き合い、
世の中のあり方に深く悩み、精神の危機を体験したことを
尊い代償として、徒然草に新たな世界を切り開き、
生きた言葉を書き記し続けたからである。 」(p213)
え~と。当ブログで
昨日、徒然草の第38・39段に触れた際に
お二人の方から、コメントを頂きました。
それやこれやで、もうすこし反芻したくなり、
第39段の原文をまた引用させてもらいました。
「第39段はほのかなユーモアさえ漂う段で、
これ以後、徒然草の章段には、
ユーモラスなおかしみのある段が目に見えて増えてくる。
今までとトーンが少しずつ変化してくるのである。
そのような徒然草の微妙な変化が、
このあたりを境にして徐々に明確になってくる。・・」
( p152 島内裕子著「徒然草の内景」 )