和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

浅くて流れたる、遥かに涼し。

2022-06-28 | 古典
徒然草の第55段をとりあげます。
ここはまず、回り道することに。

季刊「本とコンピュータ」(1999冬)に
鶴見俊輔・多田道太郎対談「廃墟の共同研究 カードシステム事始」
というのがあるのでした。共同研究でのことが語られていきます。
まずは、『ルソー研究』(1951・昭和26年)を一年で本にまとめた話。

多田】 研究会は、週一回やっていましたね。

鶴見】 毎週金曜日ごとに、各自が発表しました。
    討論が白熱して、夜までかかることもしばしばありました。
   
    恐ろしいのはね、夏も研究会をやったんだ。
    京都に熱波がくるとね、あまりにも暑くて、
    皆がしばらくジーッと黙ってしまうんだ(笑)。

    だからこそ、一年でできちゃったんだ。
    合理主義者の桑原さんが、よくああいう
    非合理な進め方をしたね。       ( p200 )


対談は、ここからはじまってゆくのですが、のちのち、
『京都に熱波がくるとね』がしっかり刷り込まれます。

それでは、徒然草の第55段。

段の最後は、『人の定め合ひ侍りし』とあり、
この段が「皆でいろいろ話し合った時の談話」
を書き留めたものであると、わかるのでした。

第55段の原文を、全文引用。

「 家の作り様は、夏を旨とすべし。
  冬は、いかなる所にも住まる。

  暑き頃、悪き住居は、堪へ難き事なり。

  深き水は、涼しげ無し。
  浅くて流れたる、遥かに涼し。

  細かなる物を見るに、遣戸(やりど)は、
  蔀(しとみ)の間よりも、明かし。

  天井の高きは、冬寒く、燈火暗し。

  造作は、用無き所を作りたる、見るも面白く、
  万の用にも立ちて良しとぞ、人の定め合ひ侍りし」


ここは、安良岡康作(やすらおかこうさく)の解釈を引用。

「・・・日本の風土の、ことに、山に囲まれた盆地にあって、
 湿気の多い京都の状況から考えて、よく的を射た立言といえよう。

 そして、夏涼しく作った家は、冬も暖かく住めることは、
 われわれがよく経験する所である。

 後段落では、一転して、遣水・遣戸・天井など、
 住居の細部につき一々述べている。そして、終わりに、

 建築中の『用なき所』をちゃんと造営しておくことが、
 無用の用として、『見るも面白く、万の用にも立ちてよし』という、
 多くの人々の意見を付加している。

 日本住宅の床の間のごとく、建物の一部にそうした
 余裕を残しておくことで、全体が生かされることも、
 われわれのよく経験している事実である。・・   」
   ( p257 安良岡康作著「徒然草全注釈 上巻」角川書店 )


はい。比べる意味でもここは沼波瓊音
の第55段の『評』を、引用ておきます。

「・・・夏の事のみを思って建てよ、と云ったのは、
 斯う云はれて見ると、成程と思はれる。
 が、一寸気づかぬことである。

 老人などは暖い所暖い所と望む。
 それで老人のある家では、つい冬のことばかり考へて、
 住居を定める。そして夏に逢って閉口すると云事が、
 今も随分ある。

 『冬はいかなる所にも住まる』とは全くである。
 火をおこしたり、窓を閉じたり、閉籠れば辛抱が出来るのだ。」

つぎには、水のことになります。京都の庭園を思い浮べながら
私などは読むことにします。

「ここに水のことを云ったのは、
 庭に作るべき池や遣水についての注意である。
 ・・・深い池を作る、作る人は、夏などはいかにも
 涼しいであらうと思っているが、夏になると、
 一向涼しくも何とも無い。

 おまけに蚊が湧いたりなんかする。
 日中には生温い水が烈日を反射する。

 『浅くて流れたる』のが涼しいと云のである。
 一寸考へると・・水の分量が庭に多い程涼しげなわけだが、
 実際も感じに於ても反対である。

 浅いのがよい。そして静止して居ないで流れてるのが宜しい。
 池よりは遣水の方が遥かに涼味に於いて勝る。

  ・・・・・・・

 天井論、簡にして適中の言である。
 我々はこの句で、寒夜天井高き部屋、弱げなる灯、
 斯う云絵をさへ見る心地がする。

 造作は用の無い所を造れ、とは、
 ここは達人で無くては云へぬことである。
 趣味の事であり且つ又実際問題である。・・・」

   ( p154 沼波瓊音著「徒然草講話」東京修文館・大正14年 )
 


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夏来る。

2022-06-28 | 本棚並べ
この頃、夏に思い浮かぶ言葉があります。
そう。暑くなると、わたしに思い浮かぶ。


中村弓子著「わが父 草田男」(みすず書房・1996年)。
そこに、ありました。俳句からはじまっております。

「  毒消し飲むやわが詩多産の夏来る

 夏こそは父の季節であった。
 父は7月24日に生まれ、8月5日に亡くなった。

 暑い季節がやってくると家族は全員げんなりしている中で、
 『瀬戸内海の凪の暑さなんてこんなもんじゃありませんよ』

 などと言いながら、まるで夏の暑さと光をエネルギーにして
 いるかのように、大汗をかきながらも毎日嬉々として
 句作に出かけていた。・・・・・・  」( p57 )

はい。せっかく本棚からとりだしてきたので、
もう一か所引用しておくことに。

「この『草田男』の名には由来がある。・・・

 父親の死後、一家を支えるべき長男であるのに
 神経衰弱で休学などして愚図々々している父のことを
 日ごろから徹底的に蔑視していたある親戚が、
 ある機会に父に向って
 『お前は腐った男だ』と思いきり面罵した。
 父はそのとき
 『俺はたしかに腐った男かもしれん。だが、そう出ん男なのだぞ』
 と内心思い、受けた侮辱とそれに対抗する自負心の双方を、
 訓読みと音読みで表わす『草田男』の名を俳号としたのである。
 ・・・・      」( p74 )


ということで、『夏』が本の題名にはいっていると、
つい気になって、手が出ます。
はい。題名に惹かれ、安い古本なら迷わず購入(笑)。

大矢鞆音著「画家たちの夏」(講談社・2001年)
も安かったので手にしました。
装幀は、安野光雅。雲がわくようなカバー絵です。
はい。10ページほどの序章を読んで私は満腹です。
うん。序章のはじまりとおわりとを引用。

「日本画家の家に生まれた私は、小学校のころから
 父の手伝いをするのが楽しみだった。
 秋の展覧会に向けて、夏休みはつねに父とともにあった。」

こうはじまります。この本には五人の画家が
各章にわかれ第5章まで登場します。
第1章の清原斎『最後の夏』
第2章の大矢黄鶴『父との夏』
第3章の中村正義『人生の夏に叛いて』
第4章の田中一村『夏、奄美に死す』
第5章の若木山 『夏を描く』

はい。わたしは序章だけ読んでもう満腹。
ここには、序章最後の言葉を引用します。

「『絵の道に完成はない』とは多くの画家がいうところだが、
 そのひそみにならっていえば、田中一村も私の父も
 道なかばの人生であったということになろう。
 清原斎も中村正義も若木山もそうであった。

 美術の秋ということばをよく耳にするが、
 画家たちにとっての戦いは、夏である。
 彼等は季節の夏を、人生の夏を、どのように生き、
 どのように描き、どのようにして死を受け入れたか。
 
 それは惜しくも道なかばの人生であったことを
 ここに、描きとめたい。  」( ~p16 )


うん。どのように描かれたのか。
序章だけで満腹の私は、ただただ想像するばかり。
それよりも、序章は『描きとめたい』と終わっておりました。
描きとめたい夏。描きとめれた夏。
万事飽きやすい私ですが、この夏、ページをめくれるかどうか。

ちなみに、名前ですが大矢鞆音(おおや・ともね)と読みます。



 
コメント (2)
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