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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ゼイタク。

2011-08-16 | 短文紹介
このところ。
私にしては、新刊書の購入が頻繁なのでした。
でも、それでいいや、と思うところがあります。
それを、どういったらよいのやら。

たとえば、加藤秀俊著「独学のすすめ」(文春文庫)。
そこからの引用。

「しかし、『情報洪水』をけしからん、とか、困ったことだ、とかいうのは、ゼイタクというものだ。ちょうど、それは、物資がありあまって、ゆたかな生活をしている状態を非難するのとおなじようなもので、みち足りているから、あるいは、みち足りすぎているから、貧しい状態を想像することができなくなってしまったことの結果なのである。食べるものさえない不満な状態にくらべたら、ゆたかな時代のほうがどれだけ人間にとってしあわせなことかわからない。情報についても、まったくおなじことがいえる。こんにちのように、あふれるばかりの情報にとりまかれているというのは、たしかに困惑をひとに感じさせるけれど、情報が欠乏している社会にくれべれば、情報のゆたかな社会のほうが、ずっといい。情報がゆたかすぎることを、ブツブツいうのは、やめたほうがいい。」(文庫・p82)


「じっさい、社会学者のダンカンは、現代社会における『批評』の役割は、要するにおびただしい量の情報のなかから、よいものとわるいものとをきちっとえらび出し、よいものを、一般の読者につたえることにある、といっている。」(p86)
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災中。

2011-08-14 | 短文紹介
中公新書ラクレの新刊。
竹内政明著「読売新聞朝刊一面コラム『編集手帳』第二十集」が出ました。
たとえば、読売新聞報道写真集「東日本大震災」に、3月12日から3月31日までの「編集手帳」がまとめて掲載されていたのを思い出します。
さて今度の新書は1月1日から6月30日までが載せられており、私は大震災のところから読み始めました。
そこから引用してみます。

3月29日
「原発危機が終息に向かうかどうかは予断を許さず、1万人を越す不明者の安否も分かっていない。厳密には『災後』の手前、『災中』にある。」

「福島原子力発電所事故対策統合本部」を取り上げた箇所があります。

4月7日
「・・政府と東京電力が全情報を共有して事態に対処する、との触れ込みで震災4日後に発足している。放射能の汚染水を東京電力が海に放出することを農林水産省は事前に知らなかった。当然ながら、漁業関係者には伝わらない。外務省も知らなかったのか、通告なしの放出に憤る韓国政府から抗議を受けた。
政府の各府省と東電が、目と、耳と、口と、脳みそとを、ひとつ場所に持ち寄ってこその『対策総合本部』のはずである。・・・現場作業のような被爆の危険にさらされているわけではない。大事な局面で、やれ『聞いていない』だの、『寝耳に水』だのと内輪でもめる司令基地ならば存在しないのと一緒だろう。・・」

5月18日
「・・そういえば、政府と東京電力が一体となって原発事故にあたる『対策総合本部』の設置(3月15日)よりも、蓮ホウ行政刷新相に節電啓発担当相を兼務させる人事(3月13日)のほうが先というのも、ピントがぼけていた。拍手がもらえそうならば無理にでも『出る幕』をつくってしまう興行師のような最高指揮官では困る。・・・」

最後に5月27日「編集手帳」の始まりの箇所。

「結婚披露宴では来賓も緊張するらしい。ある披露宴で実際に述べられた祝辞より。『新郎新婦のお二人が幸せな家庭を築いていかれることを、私は疑って信じません』固く信じ合い、隠し事をすることなく、手を携えて苦難を乗り越えていく――『統合対策室』を設けて原発事故にあたる政府と東京電力も新郎新婦の関係に似ていなくもない。世間から何かスピーチを贈るとすれば、『あなたがたの発表を、私たちは疑って信じません』・・・」
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忘れた頃に。

2011-08-13 | 短文紹介
最初は、出久根達郎著「百貌百言」(文春新書)でした。
そこに寺田寅彦の「予言」として、
「『天災は忘れたころにやって来る』は寺田寅彦の名言、と著名だが、寺田の著作にこの言葉はない。似たような言い回しがあり、弟子の中谷宇吉郎が要訳して広めたのである。」(p26)とあったのでした。
さて、中谷宇吉郎のどの文にあったのかなあ、などと思って、そのまま忘れておりました。
今年になって中公文庫に寺田寅彦随筆選集「地震雑感/津浪と人間」が入りました。その千葉俊二氏の解説は、こうはじまります。

「天災は忘れた頃にやって来る、という寺田寅彦の名言はよく知られている(土佐高知市の寺田寅彦旧宅跡には『天災は忘れられたる頃来る』という高知出身の著名な植物学者、牧野富太郎の筆による記念石碑が掲げられている)。寅彦の愛弟子である中谷宇吉郎は、この言葉は話のあいだにしばしば出たものだが、寅彦の書かれた文章のなかにはないといっている(「中谷宇吉郎随筆集」岩波文庫)。・・・・」

ああ、岩波文庫で簡単に読めるのだ。と教えられたのでした。
けれども、ある筈の、その岩波文庫が見あたらなかったのでした。
それが、他の探しものをしていたら、何げなく見つかったのでした。
さっそくページをひらいてみました。
なあ~んだ。2頁ほどの短い文です。
題は「天災は忘れた頃来る」。
すこし引用。

「・・・ところで、よく聞かれるのであるが、この言葉は、先生のどの随筆にあるのかが、問題になっている。寅彦のファンは日本中にたくさんあって、先生の全集は隅から隅まで、何回となく繰り返し読んだという熱心な人がよくある。そういう人から、どうもおかしいが、この言葉は、どこにも見当らない。一体どこにあるのか、という質問をよく受ける。
実はこの言葉は、先生の書かれたものの中には、ないのである。しかし話の間には、しばしば出た言葉で、かつ先生の代表的な随筆の一つとされている『天災と国防』の中には、これと全く同じことが、少しちがった表現で出ている。それで私も、この言葉が先生の書かれたものの中にあるものと思い込んでいた。もう十五年ばかりも昔の話になるが、たしか東京日日新聞だったかに頼まれて『天災』という短文を書いたことがある。その文章の中で、私はこの言葉を引用(?)して『天災は忘れた頃来る』という寅彦先生の言葉は、まさに千古の名言であると書いておいた。・・・」(p270~271)

うん。文庫本も忘れたころに出てきたりします。
また忘れないよう備忘録がてら書いておくのでした。
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笛吹き男。

2011-08-12 | 短文紹介
題名しか知らなかった阿部謹也著「ハーメルンの笛吹き男」を、どういうわけか、この機会に読んでみました。最後の方にこんな箇所があります。


「どのような土地にも、自然的・人為的災害が絶えることはなく、どこにおいても庶民の苦しみに対して当局は無為無策であり、無名の英雄によって庶民の苦しみの根源が除去されても、当局はそのような英雄を正しく処遇せず、往々にしてむしろ断罪し、その結果生ずる災難もすべて結局は庶民が担わねばならない。しかも大人の世界で営まれるこうした醜悪な所業の責任をとらされるのは、しばしばいとけない子供たちである。このような『現実』を人々が日々味わわされている限り、この伝説は全世界の人々に訴えかけてゆく力をもっていた。」(平凡社単行本・p197)

二日かけて読みました。うん。読んでよかった。
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原動力の秘訣。

2011-08-11 | 短文紹介
中央公論9月号を、今日手にしました。
そこに橋本治の2ページほどの文(時評2011)。
題はというと、
「なでしこジャパンと日本人の生き延び方」。
その橋本治の文の最後は、というとこうでした。


「逆境に男女差はなくて、その逆境を当たり前に引き受けて、自分で引き受けた以上へんな悲壮感も持たずにいるということが、『世界に冠たる、そしてあまり目立たない日本人』になる秘訣のような気がする。」

おっと、これじゃ「原動力」がわからない。
それじゃ、橋本治の文のはじまりを丁寧に引用しておきます。


「なでしこジャパンが女子のサッカーワールドカップで優勝したことは、我々日本人が忘れていた『日本人の行き方の原則』を思い出させてくれたように思う。
まず、『人から注目されなくても気にせず、自分のなすべきことに集中する』である。次に、『貧しくとも、自分になすべきことがあれば、貧しさはマイナス要因にはならない』で、もう一つ、『自分のなすべきことは【なすべきこと】なのだから、決して諦めない。悲壮感を持たず、それをする自分を否定しない』である。こういう『貧乏人のがむしゃらなストイシズム』みたいなものが日本人の原動力だったことを、日本人の多くが忘れてしまったことが問題なのだ。」

うん。これじゃ、ますますわかりませんか?
気になるなら、2ページ。どうぞ立ち読みでも。




注:『日本人の行き方の原則』というのは、どう見ても『日本人の生き方の原則』じゃないでしょうか?本文を読んでご確認をお願いします。
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フオト五七五。

2011-08-10 | 短文紹介
鶏頭の花をもらいました。
さっそく花瓶にさしてみます。
葉もあわく、全体に色が薄い感じなのですが、
もらったくせに、難癖などつけるものではありません。

そういえば、正岡子規著「仰臥漫録」に

「去年の誕生日には御馳走の食ひをさめをやるつもりで碧四虚鼠(へきしきょそ)四人を招いた。この時は余はいふにいはれぬ感慨に打たれて胸の中は実にやすまることがなかつた。余はこの日を非常に自分に取つて大切な日と思ふたので先づ庭の松の木から松の木へ白木綿を張りなどした。これは前の小菊の色をうしろ側の鶏頭の色が圧するからこの白幕で鶏頭を隠したのである。ところが暫くすると曇りが少し取れて日がかつとさしたので右の白幕へ五、六本の鶏頭の影が高低に映つたのは実に妙であつた。」(岩波文庫・p127)



え~と。
NHKBSの3チャンで、「フオト575」という番組があります。
写真に俳句をつけ、それを4人で審査して一枚を選ぶ番組。
ここでは、写真と俳句という取り合わせなのでした。
さて、井上泰至著「子規の内なる江戸」(角川学芸出版)に

 イメージを切り取る  絵画と俳句

という箇所があります。
そのはじまりを、すこし引用。


「  朝顔や我に写生の心あり  子規
子規は明治35年(1902)9月19日十七夜に亡くなるが、体力のなくなっていく病床の中でも、絵を描くことはやめなかった。『仰臥漫録』には、この句の後に『草花を画(えが)く日課や秋に入る』という句も並ぶ。晩年の日誌・随筆を読めば、モルヒネを飲んで激痛を散らしながら、絵の具の色にあれこれ工夫して美を我が物としていくことは、俳句とともに子規の生そのものであったことがすぐに知れる。一方で、苦しさのあまり自殺しようとして果たさず、なおその凶器となるはずだった小刀と錐までスケッチする件(くだり)を読めば、書く行為の切実さも伝わってくる。俳句は、短歌にくらべ、客観性の芸術である。日記・スケッチ・俳句が、死と向き合う子規の日常だったことは、この夭折の大俳人の核心を如実に示すものだったと言えば、大げさに過ぎるだろうか。
画家である蕪村は言うまでもないが、芭蕉も絵はたしなんだ。俳句と絵は実に縁が深い。その類縁関係はさまざまに論じることができるだろうが、ここでは、イメージを切り取る方法を学ぶ点に絞って・・・」(p119~120)


蕪村が芭蕉が、そして子規が写真にであっていたならば、
その俳句は、どう変化していったのでしょうねえ。
音楽が映画音楽となるようなものなのでしょうか。
なんて考えるのも楽しいなあ。
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仰臥漫録初読。

2011-08-09 | 短文紹介
井上泰至著「子規の内なる江戸」(角川学芸出版)を読んで、
うん、これなら正岡子規を読めるなあと、
今まで恥ずかしながら読んでもいなかった「仰臥漫録」を
読み始めました。ちなみに、ワイド版岩波文庫で。

まとまっているのが読みやすいです。私には。
たとえば、

 つくつくぼーしつくつくぼーしばかりなり
 つくつくぼーし明日なきやうに鳴きにけり
 つくつくぼーし雨の日和のきらひなし
 家をめぐりてつくつくぼーし樫(かし)林
 夕飯やつくつくぼーしやかましき



   角力(すもう)
 
 幕の内になつて故郷に帰りけり
 阿波人は阿波の相撲をひいきかな
 大関にならで老いぬる角力かな
 大関と大関と組む角力かな
 幾秋を負けて老いぬ角力かな
 角力取に角力取の子もなかりけり
 まはし著けて子供角力の並びけり


まだ途中なのですが、
語りたいことは数々ありそうなのですが、
とにかくこういう機会に読めてよかった。
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祝祭「海の幸」。

2011-08-08 | 他生の縁
ブリヂストン美術館で9月4日まで、青木繁展が開催されていて、行ってみたいなあ。なんて思っておりました。じつは、そんなことも忘れていたのです(笑)。
今日8月8日の「編集手帳」は、その青木繁のことからはじまっておりました。

「明治の洋画家、青木繁は東京美術学校を卒業した1904年の夏、房総半島・布良の海岸に滞在した。ここで描き上げたのが代表作『海の幸』だった。裸の男たちが、サメを背負って砂浜を2列で行軍する謎めいた絵だ。地元、安房神社の夏の例祭の神輿に着想を得たのではないか。青木没後100年の今年、そんな新説も注目を集めている。青木は息子を幸彦と名付けるほど、古事記の海幸彦・山幸彦の物語に深い関心を寄せていた。人間と海との関わりを描いた『海の幸』には、祝祭的エネルギーが満ちあふれている。東北の太平洋岸でも、大漁などを祝う夏祭りのシーズンを迎えている。だが、今年は津波で漁船や漁具が流され、養殖場や水産加工場も大きな被害を受けた。中止となった祭りもある。『これだけ海に蹂躙されながら、海に怨みをもつ人はいない』。宮城県気仙沼市で養殖を営むエッセイストの畠山重篤さんは、本紙への寄稿の中でこう述べている。・・・がれきで汚れた海も早く甦り、海の幸で満たされることを祈る。」

うん。芸術新潮7月号は特集「青木繁」。そのp68には、
布良崎神社の大神輿が写真入りで紹介されており、
布良漁協組合長の島田吉廣さんの説を、とりあげておりました。

「『海の幸』の構図は、神輿を担いでいる男衆そのものですよ。ほら、前の男は前傾姿勢、後ろは直立しているでしょ。しかも明治の頃だと、神輿を担ぐ男衆はふんどし姿だったはず。ちょうど青木が滞在した小谷家のすぐ隣には、布良崎神社がある。夏祭りは8月1日だったから、まず間違いなく見ているはずだね。小谷喜録は地元の世話役だから、若い青木らに神輿を担がせたんじゃないかな。・・・・」(p69)

東北に満ちる祝祭的エネルギーを、思い描きながら。
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模倣車両。

2011-08-07 | 短文紹介
産経新聞8月6日(土曜日)
「花田紀凱(かずよし)の週刊誌ウォッチング」を見たら、
こんな箇所。

「 『週刊ポスト』(8・12)は『菅直人と朝日新聞の薄気味悪い「交響曲(シンフォニー)」』。【時の首相にここまで肩入れしたら、それはジャーナリズムの矩を踰える】ことを詳細、かつみごとに論証している。必読。
『週刊現代』(8・13)宮崎正弘さん(ジャーナリスト)の「『日本をなめてる』中国新幹線」は好レポート。 」

とある。
うん。それじゃ、読んでみましょ。ということで週刊誌二冊を買ってみました。
うんうん。朝日新聞の薄気味悪さは、毎回きちんと、とりあげなければ、いけません。むろん、きりがないのですが、毎回やる必要あり。とかく、もう朝日新聞はどうしようもないと、放り出したくなるのですが、そこはそれ、粘り腰が肝心。

さてっと、宮崎正弘氏の文が、基本の箇所を押さえており、収穫あり。
たとえば、

「実際は、日本のあるメーカーが『250km平均で走ること』を条件に車両を提供したのだが、中国はそれを基に模倣車両を大量生産したあげく、330kmで試走した。約束が違うとして、日中間では揉めに揉め、『270km以上のスピードで事故がおきても、日本側は関知しない。責任をとらない』とする確約書をとった。そういう経緯がある。
それなのに中国は日本のメーカーをあざ笑うかのように、今後、米国で技術特許を申請すると豪語し、『なんなら日本にも技術提供してやろうか?』と発言したのだから、恐れ入る。」


うん。朝日新聞と中国。
どちらも、恐れ入るのでした。

宮崎氏は、ちゃんと乗車しているのですから、読み甲斐があります。

「さて、今年3月に、事故のあった区間を筆者が乗車したときのことを書こう。上海虹橋駅から杭州へ向かう新幹線は昨年秋に開通、200kmほどの距離を僅か47分でぶっとばす。この区間の最高時速は330kmほどで、最高時速になったときは、車体の揺れがとにかく激しい。途中、上海と杭州湾をまたぐ35kmの鉄橋(世界最長)を眺め、寧波の手前から新幹線は南へカーブする。・・・トンネル内でも247kmの超スピードで走行するものだから、耳が痛い。台州駅通過時は236km。ガタガタと揺れ、メモをとる手も震えるほどだ。」

「事故現場から5kmの温州新幹線駅に降りてみた。・・・・実は、福井県鯖江の眼鏡企業が温州から誘致され、親切にも機械設備を持ち込んで工場を開き、中国人にノウハウと技術を教えたという経緯がある。やがて彼らは独立して、半額で眼鏡をつくり日本の顧客を奪った。そのため鯖江の眼鏡産業は大打撃を受けた。そういう阿漕(あこぎ)なビジネスを展開するのが温州人である。」

うん。このレポート、読めてよかった。
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俳句と能は。

2011-08-06 | 短文紹介
文藝春秋8月号に、
ドナルド・キーン氏が「なぜ、今『日本国籍』を取得するか」という8ページほどの文を寄稿しておりました。そこに
「現在、ある雑誌で正岡子規についての研究を続けていますが、先日、友人から平賀源内の研究をしないかと提案を受けました。・・・正岡子規の時もそうでしたが、まず、相当な資料を読み込まなければなりません。子規全集25巻を通読しましたが、新たな対象がなんであろうと、どんな視点で執筆すれば良いかと熟考することが欠かせません。この作業段階が仲々大変ですから、新しい研究といっても、すぐに書き始めることにはならないでしょう。・・・」(p158)
と、あります。
もうすぐ、ドナルド・キーン氏の「正岡子規」に関する本が読めるのかなあ。何だかたのしみです。

さてっと、井上泰至著「子規の内なる江戸」(角川学芸出版)が出ており、昨日から読んでおりました。たのしい読書となりました。たとえば、こんな箇所


「  謡(うたい)ヲ談シ俳句ヲ談ス新茶哉  子規
能は子規にとって親しい芸能であった。俳句とともに友とこれを語れば、談論風発、話題は尽きず、気がつけば日頃の鬱懐は晴らされていく。さわやかな、喉を潤す新茶が格好の取り合わせとなっている。
元来能は江戸時代、武家社会にあっては重要な儀式で舞われる『式楽(しきがく)』であり、このため能役者たちが手厚く保護された。町人たちにとっても、特に男が宴席で素謡(すうたい)を披露できる程度の教養は、必須であった。五七五に七七を付け、また五七五を付けてゆく江戸の俳諧にあっては、この言葉の連想を保証するものとして、能の教養が基盤となった。能の文辞(ぶんじ)を引用することもままあった。俳句と能は実に縁浅からぬ関係にあったのだ。
子規の生まれた松山藩は能が盛んで、伯父藤野漸は宝生流の免許皆伝を受け・・・子規の高弟高浜虚子の父池内信夫は、藤野の能の師匠である。・・・」(p54)


ここで、またドナルド・キーン氏の文へともどります。

「今季の講義は、十一人の学生にお能の五つの謡曲を原文で読ませました。まずは一番やさしい『船弁慶』から始め、ついで『班女(はんじょ)』『熊野(ゆや)』『野宮(ののみや)』『松風』と徐々にレベルの高いものを取り上げました。若い学生にとって決して簡単に理解できるものではなく、それぞれが苦労しながらも詩句の美しさにうたれて、深く感動していました。日本の古典文学を心から愛している学生たちですから。」(p158~159)

「私は大学では、お能や近松、芭蕉などの講座を交替で開いて来ましたが、いずれも大好きで、講義で語るうちに自分で興奮してしまうのです。そして、その興奮が学生にも伝染して彼等も興奮する。・・・・私はなるべく美しい古典作品を学生に紹介、伝授することを心がけて来たつもりです。これは元を正せば角田柳作先生の影響です。角田先生はたくさんの参考資料を腕に抱えて教室にやって来て本当に情熱的な授業を展開されました。・・・」(p161)


能といえば、梅原猛・瀬戸内寂聴対談「生ききる。」(角川oneテーマ21)の
第四章「『源氏物語』の新しい読み方、苦難を乗り越えるために」に
こんな箇所がありました。

梅原】 今、お話を聞いていて能『松風』を思い出しました。源氏は明石の上をけっこう大事にしている。ところが能の『松風』の、『源氏』で言えば光源氏に当たる、在原行平は流されて、松風・村雨の姉妹に助けられる。そしてこの美しい海女の姉妹によって生き長らえて、京に帰ってくる。しかし都に戻ったら知らん顔です。そういう勝手な貴族への恨みみたいなものが能の中心にはあると思うんですよ。これは救われない魂。そういう魂がたくさんある。それを成仏させようとする文学が能だと思いますね。
紫式部は、貴族・道長のやり方を批判もしているけどどこかで擁護しとるんです。世阿弥はですから、捨てられた人間の側から哀しみを描く。『源氏』と能は日本文学の大局にありつつ、双璧であると思います。」(p155~156)


ドナルド・キーン氏の書かれた正岡子規が、さて、いつ本になるのやら、今から楽しみ。そういえば、関川夏央著「子規、最後の八年」(講談社)というのが出ているようですが未読。


     和歌に痩せ俳句に痩せぬ夏男   子規



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草田男の夏。

2011-08-04 | 詩歌
汗かきなので、半袖肌着を、毎日何回か着替えています。
歯槽膿漏のなので、ちょっと疲れると、歯茎が腫れ気味になる。
先週、蜂に右手親指を刺されました。
今週になってから、喉がはれて、夜咳がでます。
熱はないのですが、夏風邪かなあ。

さてっと、
そういえば、中村草田男の夏があったなあ。
ダンボールを探せば、中村弓子著「わが父 草田男」(みすず書房)が見つかりました。その表題と同じ題の文はこうはじまっておりました。

「  毒消し飲むやわが詩多産の夏来る

 夏こそは父の季節であった。・・・暑い季節がやってくると家族は全員げんなりしている中で、『瀬戸内海の凪の暑さなんてこんなあもんじゃありませんよ』などと言いながら、まるで夏の暑さと光をエネルギーにしているかのように、大汗をかきながらも毎日嬉々として句作に出かけていた。・・・」(p57)


 次に手にしたのは中村草田男句集「美田」(みすず書房)

とりあえず、パラパラと夏をさがしてみました。


 夏花や老が抜歯の真赤な血

 聖代めく蝉時雨にぞめぐりあへる

 青富士やもの高めあふ夏景色

 初蝉や『来る者』は『来る水』の如し

 人夫の汗乱れ乱れぬ身を揺るゆゑ

 夕蝉の命つよめてカレーの香
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畑村洋太郎の新刊。

2011-08-03 | 短文紹介
講談社現代新書の新刊で
畑村洋太郎著「未曾有と想定外」が出ておりました。

最近では、私は
雑誌「潮」8月号での対談が印象深かったので、
さっそく購入。

新書の最初のほうにこうありました。

「『実際の設計研究会』の仲間たちとつくった『続々・実際の設計』には、三陸での三現調査をもとに津波と人間の関わりについて詳しく書かれています。そのとき得られた知見は、拙著『失敗学のすすめ』の中でも紹介しています。」(p22)

また、この新書の「はじめに」で、畑村氏と三陸津波のつながりが、わかるのでした。

新書と、この数冊を一緒に読み直したくなります。
まあ、そんな気持ちにさせてもらえる新書一冊。

え~と。帯には、こうありました。

「失敗学の畑村教授がいままで考えてきたこと、
 そして3月11日から
『原発事故調査・検証委員会』委員長になるまでに考えたこと」


章は以下の3章。

 第一章 津波と未曾有 

 第二章 原発と想定外

 第三章 日本で生きるということ
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知らざあ・・。

2011-08-02 | 短文紹介
佐々淳行氏の新刊が発売になりました。
3月11日のまえに出版された
佐々淳行著「彼らが日本を滅ぼす」(幻冬社)は
2011年1月30日第一刷でした。
今度の新刊は
佐々淳行著「ほんとに彼らが日本を滅ぼす」(幻冬社)で
2011年7月25日第一刷。

新刊では第三章「『彼ら』にはびこる信条・発想の欠陥」を
私は興味深く読みました。

なにげなくも、こんな箇所はどうでしょう。

「民主党、とくに仙石前官房長官は日頃から産経新聞をまともな日刊紙とは認めず・・・民主党を毎日強く批判する同紙を意図的に無視していた・・」(p152)

仙石氏から無視される。
そんな光栄を担う産経新聞。
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「正論」9月号。

2011-08-01 | 短文紹介
8月1日月刊雑誌「正論」発売。
さっそく購入。
私が読んだのは女性の文。ということで、
「復興構想会議の提言を読む」長谷川三千子
「エセ保守史家の系譜 加藤陽子に騙されるな」渡辺望
「凛とした日本人へ」金美齢
「国家は誰のものか」櫻井よしこ
以上4つの文(二番目は男性ですが、取り扱われているのが加藤陽子というので)。

ここでは、
「復興構想会議の提言を読む」を読めてよかった。
とりあえず、引用。

「基本姿勢と完全に矛盾し、対立しているのが、第二章の(8)『復興のための財源確保』の部分である。ここには、日本経済の浮上のための積極的投資、といつた考へが、かけらほども見あたらないのである。・・・・現在日本が置かれてゐるのは、まさに日本経済が再生するかしないかの分岐点なのであり、ここで『生産力の回復』に必要な投資をケチるなら、日本経済全体にとり返しのつかないダメージが生じてしまふ。・・・その意味で、第二章(8)のこの項目は、提言全体のなかでもつとも問題のある部分と言ふべきであらう。そして、それは提言者に危機の認識が欠けてゐると同時に、『復興投資』といふ発想が欠けてゐることのあらはれと言へる。ここでは、復興のための費用が単なる支出としか認識されてゐない。だから、帳簿の上の辻褄合はせだけの話になつてしまひ復興構想になりえてゐないのである。」(p212~213)

「一口に言つて、自ら口にしてゐる『電力の安定供給』の確保といふことが、復興にとつてどれだけ緊急の重要性をもつたことであるかに、全然気付いてゐないのである。そもそも、『くらしとしごとの再生』にとつてかくも重要なテーマを、第二章でなく(また、直接かかはりのある第三章でもなく)第四章に、他の話題とごちやまぜにしてもつてきたといふところにも、提言者の危機意識のうすさがあらはれ出てゐると言へよう。」(p214)

菅直人は、復興会議の提言を待ってから、それから、復興の段取りをつけるのだと、先延ばしにしてたことが思い出されます。


ところで、最近、月刊誌を購入しても、読まないなあ。そこで、気になるのが新聞の時評。
たとえば、産経の7月24日(日曜)。「時評論壇・8月号」を稲垣真澄氏が書いております。興味深いのは、産経新聞の時評なのに、雑誌「正論」について、ちっとも触れていない。うん、こういう文はよいですね。さて、真澄氏は雑誌8月号の、どれを取り上げていたか。

 新潮45 「国の死に方」片山杜秀(もりひで)
中央公論 「梅棹忠夫と3・11」佐倉統(おさむ)
Voice 「フクシマ問題は原子力の危機にあらず」(ジャック・アタリ)
世界   「『黒い海』の記憶」山形孝夫
文藝春秋 「20キロ圏の神社が消える?」斉藤吉久


もどって、「正論」9月号
渡辺望「エセ保守史家の系譜  加藤陽子に騙されるな」。
ここでは、最後の箇所を引用。

「加藤のこの戦略の崩壊を見るにつけ、『教える』というスタイルは、物書きにとっていかに危険なものであるのか、と私はあらためて思う。」(p249)

「チェーホフに『愚者は教えたがり、賢者は学びたがる』という格言がある。賢者であれば、たとえ『教える』という場面にあっても、一方通行的に『教える』のではなく、学びつつ教えるという相互交流を欠かすことはない、という常識を説く言葉であろう。・・・
半藤や保阪は大学の教員ではないことに注意すべきであろう。加藤のみが最高学府の教員として『教える』存在である。そのことへの警鐘は、加藤の論理を批判すること以上に、これからなされていかなければならないことのように思われる。」(p250)

はたして、菅直人から、賢者は何を学ぶか?


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