しばらく、茨木のり子への興味から、楽しめました。
たいてい、このくらいで、興味がしぼまってくる。
というのが、私の時間感覚としてあります(笑)。
なにぶん、移り気な私の感触としては、
興味の持久力は、このくらいで、
他の興味へと鞍替えしてしまいやすい頃です。
ということで、ここまでのおさらい。
はじまりは、
KAWADE夢ムック「花森安治」に掲載されていた
茨木のり子の「『暮しの手帖』の発想と方法」でした。
そこから、
ひろげた風呂敷を、ここらで、本棚へともどします。
KAWADE夢ムック「花森安治」
「茨木のり子の家」(平凡社)
花神ブックス1「茨木のり子」
茨木のり子詩集「歳月」(花神社)
後藤正治著「清冽 詩人茨木のり子の肖像」(中央公論新社)
茨木のり子・長谷川宏著「思索の淵にて 詩と哲学のデュオ」(近代出版)
茨木のり子著「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書)
「詩集1946~1976 田村隆一」(河出書房新社)
田村隆一詩集「新年の手紙」(青土社)
現代詩手帖特集版「石垣りん」(思潮社)
石垣りん著「詩の中の風景」(婦人之友社)
現代詩文庫「石垣りん詩集」(思潮社)
また、読み直すために、この本のかたまりを
備忘録がてら、索引がわりに、こうして載せておきます。
さてっと、現代詩文庫「石垣りん詩集」に
詩集「表札など」の全編が入っておりましたが、
今日、あらためて詩集「表札など」を古本屋へと注文しました。
ここまで、書き込みをして、
思い浮かんだのは、清水幾太郎著「私の文章作法」でした。
ちょっと、関係ないかもしれないけれど、
思い浮かんだので引用しておきます。それは第18話にありました。
小見出しは「厭になったら終る」という箇所でした。
「・・・最近の諸雑誌に載っている論文・・・最初の部分に『はじめに』という見出しがあり、また、最後の部分に『おわりに』という見出しがついていることが多いようです。いつか、一つの型が出来てしまったのでしょう。私は、あれが大嫌いなのです。特に調べたことはありませんが、例の当用漢字が決定され、それが強制されて行く過程、つまり、幼稚園的民主主義が伸びて行く過程で生まれたパターンのように思われます。・・・・また、これも人によって違いますが、文章が終る時は、もう書くのが厭になったから、または、もう書くことがなくなったから終るのです。・・・」
ちなみに、この「私の文章作法」は1971年10月潮出版社刊と、中公文庫のあとに書き込みがありました。
たいてい、このくらいで、興味がしぼまってくる。
というのが、私の時間感覚としてあります(笑)。
なにぶん、移り気な私の感触としては、
興味の持久力は、このくらいで、
他の興味へと鞍替えしてしまいやすい頃です。
ということで、ここまでのおさらい。
はじまりは、
KAWADE夢ムック「花森安治」に掲載されていた
茨木のり子の「『暮しの手帖』の発想と方法」でした。
そこから、
ひろげた風呂敷を、ここらで、本棚へともどします。
KAWADE夢ムック「花森安治」
「茨木のり子の家」(平凡社)
花神ブックス1「茨木のり子」
茨木のり子詩集「歳月」(花神社)
後藤正治著「清冽 詩人茨木のり子の肖像」(中央公論新社)
茨木のり子・長谷川宏著「思索の淵にて 詩と哲学のデュオ」(近代出版)
茨木のり子著「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書)
「詩集1946~1976 田村隆一」(河出書房新社)
田村隆一詩集「新年の手紙」(青土社)
現代詩手帖特集版「石垣りん」(思潮社)
石垣りん著「詩の中の風景」(婦人之友社)
現代詩文庫「石垣りん詩集」(思潮社)
また、読み直すために、この本のかたまりを
備忘録がてら、索引がわりに、こうして載せておきます。
さてっと、現代詩文庫「石垣りん詩集」に
詩集「表札など」の全編が入っておりましたが、
今日、あらためて詩集「表札など」を古本屋へと注文しました。
ここまで、書き込みをして、
思い浮かんだのは、清水幾太郎著「私の文章作法」でした。
ちょっと、関係ないかもしれないけれど、
思い浮かんだので引用しておきます。それは第18話にありました。
小見出しは「厭になったら終る」という箇所でした。
「・・・最近の諸雑誌に載っている論文・・・最初の部分に『はじめに』という見出しがあり、また、最後の部分に『おわりに』という見出しがついていることが多いようです。いつか、一つの型が出来てしまったのでしょう。私は、あれが大嫌いなのです。特に調べたことはありませんが、例の当用漢字が決定され、それが強制されて行く過程、つまり、幼稚園的民主主義が伸びて行く過程で生まれたパターンのように思われます。・・・・また、これも人によって違いますが、文章が終る時は、もう書くのが厭になったから、または、もう書くことがなくなったから終るのです。・・・」
ちなみに、この「私の文章作法」は1971年10月潮出版社刊と、中公文庫のあとに書き込みがありました。