和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

著作集刊行の意味。

2014-12-16 | 本棚並べ
鷲尾賢也著「編集とはどのような仕事なのか」
(トランスビュー)に清水幾太郎氏の名前が
2箇所に登場します。そこから1箇所を引用。

「岩波書店にも、中央公論社にも、文芸春秋社
にも断られたという大型企画が、ある人を通じて
とび込んできた。『清水幾太郎著作集』である。
・ ・・晩年の保守化で清水さんは評判がよくな
かったが、戦後史には欠かすことのできない大物
である。販売的にはメリットはそれほどないが、
著作集刊行の意味はとても大きい。それまで刊行
されなかった方がおかしい。会社をなんとか説き
伏せて、企画を通してもらった。
さて、それからが大変である。戦前戦後あわせて、
清水さんの単行本は400冊をこえるという。
それらを含め、雑誌まですべてコピーした。
それから何を収録するかの選択である。
卒論から遺著まで、ひととおり眼を通した。
厳密なことでは類を見ないお嬢さんの
清水禮子さんとのやりとり。ともかく
全18巻・別巻1の全体構成を終え、
一部入稿したところで異動になった。
残念ながら完成までタッチできなかったが、
自分にとっては記憶に残る大仕事であった。」


うん。
「著作集刊行の意味はとても大きい」とある。
その著作集を古本で購入して、1~2冊読んで、
本棚にしまいこんだまま。
そんなこんなで、古本はありがたい(笑)。

ということで、鷲尾さんのこの本を
めくっていると、こんな箇所もあります。

「書店だけでなく読者の読む力が
弱くなっている。『良書でござい』と
あぐらをかいていてすむ時代ではない。
どうにかしてともかく買ってもらう。
そうすればその中の何割かは読むだろう。」
(p173・2004年版)

うん。私の「読む力」は数パーセントで
ヒトケタどまり(笑)。

もどって、
清水幾太郎氏の本は、
私に、新書や文庫が親しい。

鷲尾氏の本にでてくる清水幾太郎は、
もう一箇所あります。そこを引用。

「週刊誌から現代新書に異動になって
はじめて手がけたのは、大河内一男さん
の原稿で『幸徳秋水と片山潜』であった。
・・・元東大総長である大河内一男さんの
原稿はどこかテニヲハがあやしい。
はじめはおそるおそる、直してもいいですか
といっていたが、あとは脱兎のごとく
リライトしてしまった。大家でも、
文章のうまくない先生はいるということを
はじめて知った。そういう点で清水幾太郎
さんの文章は見事だった。『本はどう読むか』
(講談社現代新書)というロングセラーが
あるが、ジャーナリスト出身らしく、
読者をとても上手に誘ってくれる。
読んでおもしろく、役に立つ一冊だ。」

はい。
清水幾太郎の新書・文庫の「文章は見事」。
ということは、納得です。
テニヲハは、大家も素人も、
同じスタートラインというのは、
うれしい指摘。
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読んでください。

2014-12-15 | 短文紹介
昨夜は、選挙報道を見て過ごす(笑)。

さてっと、
産経新聞の12月14日読書欄。
その、若井浩子さんの書評は
松山巌著「須賀敦子の方へ」(新潮社)を
取り上げておりました。
それが印象に残る。
出だしもよし(笑)。
後半にこんな箇所がありました。

「もし須賀作品未読で本書を手に取る方が
あれば、私は言いたい。一旦本を閉じ
(るか、全速力で読み終え)、即、須賀の
最初の随筆集『ミラノ霧の風景』、その中の
『ガッティの背中』を読んでください、と。
そして須賀の2作目『コルシア書店の仲間たち』
の『小さい妹』、3作目『ヴェネツィアの宿』の
『オリエント・エクスプレス』、そして4作目
『トリエステの坂道』の『雨のなかを走る男たち』
もお読みください。この4編は須賀の家庭、渡欧後
の生活、人柄、思想、欧州文化のアウトラインを
浮かび上がらせる。・・・」

ちなみに、評者・若井浩子さんは
(Books and Modern 店主)とあります。
こういう書評はありがたい(笑)。

そうそう、この書評の出だしは、

「人は文章の修辞を学ぶことで、
言葉を紡ぎ出せるのではない。
どうしても語らねばならなぬという
思いが言葉を織り上げる。そうして
はじめて人は文章家となる。――
松山巌氏による須賀敦子『コルシア書店
の仲間たち』の解説の一部だ。
全文は創作行為の核心を突いて
一行の無駄もない。・・・・」

うん。印象鮮やかな書評となっております。
私は「読んでください」という箇所を
まずは、読んでみます。はい(笑)。
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週刊誌選挙予測。

2014-12-14 | 短文紹介
昨日の産経新聞
「花田紀凱(かずよし)の週刊誌ウォッチング」
を読めてよかった。

読まなかった方も、
いらっしゃるでしょうから、
その前半を引用。

「新聞、週刊誌の予測も自民圧勝で、
ほとんど大勢は決したようだ。
それにしても『週刊現代』、2週前には
『自民「50議席減」で一気に倒閣へ』
(12・6)と報じたのに、今週(12・20)は
『自民が圧勝、史上最多議席へ』。
記事のどこかに言い訳のひとつも書いて
いるかと熟読してみたが、おわびも、
言い訳も一切ナシ。無責任極まる。
『週刊新潮』(12月18日春待月増大号)の
ワイド特集『神社本庁未公認!当落
【お神籤占い】』が笑える。
東京1区海江田万里民主党代表は『凶』。
〈 自民党の山田美樹さんに概ね20ポイント
近く離されていて、選挙区での敗戦は必至 〉
〈 窮余の一策は、海江田氏お得意の落涙という
『基本』に立ち戻り、同情票を集めることのみ
であろう。万里の道も一歩から 〉
ウマイ! 座布団1枚!  」


うん。こうして週刊誌を熟読して
下さる方がいらっしゃる。それが、
何ともありがたい。おかげで、
今晩のテレビ選挙速報を見る、
その見どころ、焦点の絞りどころ、
それが分かって、ありがたい。

あとは、投票率かなあ。
うん。私は行ってきました(笑)。
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幼稚である。

2014-12-13 | 前書・後書。
12月となると、
気持ちだけがソワソワして、
本を買ったりします(笑)。

外山滋比古氏の
新刊が2冊出ておりました。
こういう際は、いきおいで
買います。

「リンゴも人生もキズがあるほど甘くなる」
(幻冬社)。帯には「90歳の卓見34話」とある。

さてっと、「まえがき」に

「日本人はもともと見えるものに
心を奪われて、見えないものをバカに
するところがあり、『日本人は目で考える』
などと外国人に言われて喜んでいた。
幼稚である。見えるものだけを追っていれば、
常識的になり、心を失うのは是非もない。
ものごとをしっかり考え、洞察する力がなくては、
これからのはげしい時代を生きていかれないであろう。」

うん。これだけでも私は満腹(笑)。

「茶ばなし 全百五十話」(展望社)
この装丁が素敵です。その「あとがき」の
最後の箇所を引用。

「・・たくさんの切抜きから150篇を
えり抜き編集する面倒な仕事を経験豊富な
小出昌洋さんが引き受けてくださった。
印刷はやはり友人の小山成一さんのおられる
精興社にお願いすることができた。
出版は親しくしている唐澤明義さんの
展望社である。友情につつまれた本で、
こんなことははじめてである。なんとなく
センチメンタルになっているのを
お許しいただきたい。 」


後者は本の装丁をみるだけで私は満足。
うん。幼稚である(笑)。
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タイミング。

2014-12-12 | 前書・後書。
平川祐弘著「日本語で生きる幸福」
(河出書房新社)が届く。さっそく

2009年11月の文
「人生のおわりに――あとがきに代えて」と、
2014年10月の追加された「新装版あとがき」
とを読んでみる。

うん。私はこれだけで満腹(笑)。

ここには、新装版あとがき
から引用してみます。

「・・確かに私は元気で『悪い奴ほどよく眠る』
などといわれる。仕事に追われて老人性不眠症
とは縁遠い存在である。人生の夕方だがまだ
終わりたくない。直腸癌手術後の十年は、
外国交際を減らしたせいで、以前にまして
執筆時間が増えた。喜寿を過ぎた私は、
書くべきことは書いておこうと次々と
単著にまとめた。・・・・」

ちなみに、平川祐弘氏は1931年生まれ。

「そればかりか2014年5月に学問本位の
書物とは別に、新潮新書『日本人に生まれて、
まあよかった』を書き下ろした。その新書で
私は『「朝日新聞」を定期購読でお読みになる
皆さんへ』という『朝日』批判の一章を設けた
・・その数ヶ月後に『朝日』が誤報を謝罪したのは、
偶然かもしれないが愉快なタイミングであった。」


時機を得た、この新装版は
ちょうど読み頃。今が旬かも(笑)。
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・・で生きる幸福。

2014-12-11 | 本棚並べ
本の題名。
同じ本でも、本の題名が違うと、
これまた読み方が違ってきそう(笑)

平川祐弘著「日本語は生きのびるか」
副題が「米中日の文化史的三角関係」。
これは河出ブックスより2010年に発行。

これを一部改稿して
「日本語で生きる幸福」と改題して
今月、河出書房新社より新装版にて
発売されたばかり。

うん。ファンとしては、
さっそく、買います(笑)。

その新装版が届くまで、
「日本語は生きのびるか」の
線引きの箇所を引用。

「配偶者は外国人でも、
外国語のスピーチが下手で聞くにたえない
日本人大使は何人もいる。
英語使いといわれるほどの日本人は
世間が想像するよりよほど少ない。
その証拠に日本人の英語著書は
きわめて少ない。」

「年をとると英語はもちろん
日本語でも本も読まない大学卒は
いくらでもいる。そんな英語の書物も
読まない人に小学生の時から
英語を教えても、日本の教育水準や
教養水準が上がるわけはない。」

「外国語教育は、すぐれた原典の読解に
主眼を置き、知性と感性を訓練することが
第一義ではあるまいか。・・・・
外国語の授業とは、数学の授業などと同様、
なによりもまず頭脳の体操なのである。
外国語会話の上手な人は、
その副産物として生まれれば良い。
しかし世間にはそういう語学教育の効果を
説いてもなかなか通じない。・・・
かくいう私も四十代半ばに米国に滞在した
当初、英会話が途切れがちではなはだ気が
重かった。周囲からは『お前は立派な英文が
書けるのになぜ英語がもっと自由に話せないのだ』
と不思議がられた。しかし私は第一に講読を重んじ、
第二に論文を書くという順で外国語を習ったことが
結局は良かったのだと思っている・・・」
(~p178)

さてっと、今度の
改定版では、新しくどのような箇所に
線をひくのだろうと、今から楽しみ。

それにしても、題名で
「日本語は生きのびるか」と
「日本語で生きる幸福」とでは、
だいぶ印象が違ってきます。

この違いは、
「日本語」を「平川祐弘」にかえて、

「平川祐弘は生きのびるか」と
「平川祐弘で生きる幸福」とに、
かえてみると、すっきりします。

うん。後のほうがとてもいい(笑)。
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三越の包装紙

2014-12-10 | 短文紹介
猪熊弦一郎の回顧展に
一度いったことがあります。
そこには、三越の包装紙は
展示してなかったなあ。

やなせたかし著「アンパンマンの遺書」
(岩波現代文庫)に
「三越の包装紙」という小見出しがあり、
なるほどと思ったので、そこを引用。

「・・・従来の三越の包装紙は
〇に越のマークの定紋入りみたいな地味
なもので、それがひとつの風格でもあった
のだが、包装紙のデザインを一新しようと
いうことになり、そのデザインを戦後の
洋画界のモダン派の旗手
猪熊弦一郎画伯に依頼した。
締切りの日に、ぼくは画伯を訪問した。
画伯のアトリエの玄関わきの木には、
猫が鈴なりという感じで、ぼくを
にらんでいた。渡されたデザインは、
白い紙の上に紅い紙をハサミできりぬいて
置いただけという簡単なものだった。
『MITSUKOSHIという字は、
そっちで描いてね。場所は指定したあるから』
と画伯は言った。社へ持ちかえって、
文字の部分はぼくが描いた。
自慢じゃないが、デザイナーなのに
レタリングが下手でまったく自信がないが、
担当者だからしょうがない。自分でも
字がまずくて画伯に悪いなあと思った。
・・・お前が説明してこいと言われて、
ぼくが社長室へいった。どうも部長は、
猪熊画伯の画期的なデザインに恐れをなして、
説明が難しいと思ったらしい。
社長と重役がずらりという部屋は、
なんだか人民裁判の被告みたいでいやだった。
すべて一方的で抗弁の自由はない。・・
ところで、重役一同は、ぼくの持参した
デザインを見て怒りだした。
『いつも誠心誠意仕事をやれといっているのに、
なんだこの雑な仕事は、ノリづけぐらい
ちゃんとしたらどうだ。キリバリというのは
手抜きじゃないか。きちんと絵の具で
塗りたまえ』
『あのう』
『なんだ?』
『これはぼくのデザインではなくて、
新制作派の猪熊弦一郎先生の作品です』
『なに、猪熊先生、うーん、そういえばいいなあ』
たちまち態度が変ってしまった。
内部の社員に強く、外部の権威と名声には弱い。
重役一同、回覧しているが、よくは解らなくて、
『ちょっと大胆すぎませんか』などと
ぼそぼそ言っている。社長が鶴の一声、
『いいじゃないですか。決めましょう』
これが戦後の街に旋風を巻きおこした
三越の包装紙である。現在でも、
そのデザインのまま生き残っているが、
焼け跡の余燼がくすぶる荒廃した街に、
白と赤のデザインは花が開いたように
明るく目立った。追随するように、
その他のデパートも包装紙を一新して、
白地が主流となったが、三越を抜く
ものは出なかった。全国的に似たような
デザインが大流行した。
さすがに猪熊画伯である。はじめには、
ぼくも実はあまり感心していなかった。
しかし、欠点はレタリングで、へたくそな
『MITSUKOSHI』の文字は、
ぼくの描き文字のくせを残したまま、
今もそのまま使われていうるので
恥かしい。」(p95~98)

う~ん。今度、
三越の包装紙を、
よく見える壁に貼って、
じっくりと眺めることにします(笑)。
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みなさまアバョ!

2014-12-09 | 前書・後書。
注文してあった、やなせたかし著
「アンパンマンの遺書」(岩波現代文庫)
が届く。
ここには、「94歳のごあいさつ」
(「岩波現代文庫あとがき」に代えて)
という文も入っております。そこに

「平成24年(2012年)に入ってからガクン
とぼくは階段から転げ落ちるように老いて
しまった。それまでは90歳を超えても
多病ながら何とか元気でコンサートもやり
デパートにもショッピングに行っていた。
右眼が見えなくなり左眼もぼやけてきて
よく見えない。視力・聴力・体力・気力が
すっかり衰えてしまった。・・・
好きで入った浮草稼業だから世間並みの
落ち着いたラストは無理のようである。
メディアの世界の荒波と疾風の中、
よろめきながら倒れていくのだ。
しかたがない。みなさまアバョ!
 2013年(平成25年)2月  やなせたかし」
(p276~278)

やなせたかし氏は
1919年2月6日高知県生まれ。
2013年10月13日死去。

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朝日新聞は酷かった。

2014-12-08 | 朝日新聞
室谷克実著「朝日新聞『戦時社説』を読む」
(毎日ワンズ)が届いたのでひらく。

「はじめに」には、こうあります。

「・・・戦中の朝日新聞は、
どんな論調を掲げていたのか・・・
彼(毎日ワンズの社長・松藤竹二郎)と、
私(室谷)とは、慶応義塾大学で同じゼミに
学んだ。法学部政治学科の中村菊男教授の
ゼミだ。中村教授は、論争を恐れない学者だった。
近代日本政治史が専門だが、1952年には
民主社会主義連盟の結成に参加し、いわゆる
『七〇年安保』を前にしては
『日米安保肯定論』(1967年、有信堂)を著した。
経済学部教授だった加藤寛氏とともに
反共民主陣営を代表する論客だった。
中村教授は『戦前・戦中の朝日新聞は酷かったこと』
と幾度となく語っておられた。そして病床に伏す
直前には『次は「朝日新聞戦犯論」を書かなくては
ならない』と語っておられたという。
彼(松藤)は『次は「朝日新聞戦犯論」を・・・』
を直接聞いた数少ないゼミ生だ。
戦中の朝日新聞については、ズバリそれに触れた
書籍がない――大学を卒業し、そのことを知った
時から、彼は走り出したのだ。・・・
収録する65本の社説を選び出すだけで、
とうとう二年余の歳月がかかってしまった。
まずは毎日ワンズのこの努力に敬意を表したい。
 平成26年10月  室谷克実      」

とりあえず、
はじめにと、終章とを読む。
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逃げんけ。

2014-12-07 | 地震
磯田道史著
「天災から日本史を読みなおす」(中公新書)
に牟岐町編「海が吠えた日」からの引用がある。

その本をネット検索すると簡単に注文できそう。
それでもって、電話してみると、現金書留にて、
本代を送ればよいとのこと。
その本が、昨日届きました。

牟岐(むぎ)町教育委員会
〒775‐0004
徳島県海部郡牟岐町大字川長字新光寺82
℡0884‐72‐0107

郵便書留にて1350円を送金。
うち、本代が1000円。送料が350円。

「南海道地震津波の記録 海が吠えた日」
(平成八年 牟岐町教育委員会発行)

その本の最初に載る
井元初一(84歳)の記録を引用してみます。

「・・・五十年前の冬のそのころ、
私は赤物縄で甘鯛を釣りに行っていました。
四時頃だったでしょうか。大きな揺れでした。
私はひいじいさんから、昔の安政津波の話を
よく聞いていました。『安政の津波で、
海蔵寺へ逃げたが、荷物を取りに家へ帰った
人はみんな流されて死んでしもうた。
大きな地震の後には、必ず津波がくる
よって早よう高い所へ逃げえよ。』
南隣りの今津のおばあさんも起きてきて
外へ出てきました。『津波が来るよって
早よう一緒に逃げんけー』と誘いましたが、
『うちは息子が病気でねよるし、嫁も
大きな腹をしとるんで一緒に逃げれんのや』
というて、家の中へ入りました。
それから私たち一家六人はすぐに逃げました。
・ ・・・・・・
やがて夜が明けて潮も引いていたので、
私一人家に帰ってみました。家は跡かたもなく、
地盤も残っていませんでした。ただ家のあった
所に、チョウナが一本ぽつんと残っていました。
でも家族六人全員が大きいけがもせず無事に
助かって嬉しかった。隣りの今津鉄夫さん一家
九人の家族は逃げることができず、家と共に
流されて七人がなくなりました。
本当に気の毒でした。・・・・・・」
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年賀葉書準備。

2014-12-06 | 地域
そろそろ、年賀はがき。
その準備(笑)。
ここ数年は、本の背を並べて
その写真撮影でおしまい。
十冊ほど並べているので、
いま、その本の選考中、
もうしばらくかかります(笑)。

さてっと、新年の挨拶なので、
遺書とか死とかが
題名に入っているのは、
なるべく避けなきゃなあ。
と思いながら、
すこしは地元の本も並ぶように。
なんて思っていると、
それだけで、すぐ時間が経過します。

うん。明るい題名の本を選ぶように。
何て、昨年までは思ってもいませんでした(笑)。

せいぜい40~50枚ほどの、
年賀はがきの楽しみ。
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風をつくる。

2014-12-05 | 詩歌
地元の詩誌「黒豹」を送っていただく。
ありがたい。
最初の詩は、諌川正臣氏の「風に乗って」。
その最後の3行。

 ひとはみな風に吹かれながら風をつくる
 生きている証しのように
 日ごと新しい風に乗って行く

うん。新しい詩を読めるのはありがたい。
その編集後記が、気になっています。
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連歌師?

2014-12-04 | 前書・後書。

新刊が届く。
綿抜豊昭著「戦国武将と連歌師」(平凡社新書)。

パラリと第一章を読むと、
これが面白い。うん。
こう面白いと先を読むのが
もったいない(笑)。

はじめにで

「彼らはその『あやしさ』ゆえに
実に魅力的である。『連歌師』について
の知識があると戦国時代の歴史がより
面白くなる・・」(p7)

この連歌師を紹介するのに
たとえば、第一章では、
徒然草をはじめとして
高島俊男著
「本が好き、悪口言うのはもっと好き」
までも引用しての
余裕の手さばきが抜群。

それでもって、
次の章を読むのに、小心者の私は、
気がひけるのか、何なのか、
読み進めるのが勿体なくなる。

ええ、何とでも言ってください(笑)。

ということで、
途中経過報告。
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並びに物もらい。

2014-12-03 | 短文紹介
雑誌「正論」1月号の連載
古田博司の「近代以後」に
こんな箇所が


「日本で儒者は恵まれなかった。
司馬江漢が、18世紀に伊勢を旅していて、
ある戸口に『儒者・学者、虚名の者、
並びに物もらい入るべからず』と
書いてあるのを見た。そんな国である。」


ちなみに、この文の最初は
こうはじまります。

「人生もそろそろ終わりに近づいてきた。
そこで、死ぬ前に『東アジア国際政治
外交史』のようなものを書き残したいと
思った。ところが、書き終わる前に
死んでしまうかもしれないので、
構想を一つ纏めておこうと思う。」

ちなみに
古田博司氏は昭和28(1953)年生まれ。
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言葉の勁さ。

2014-12-02 | 前書・後書。
最近は、月刊誌を買っております(笑)。
ということで、「正論」1月号を手にとる。
パラパラめくるだけなのですが、
その書評欄に、松浦光修氏が
小川榮太郎著「最後の勝機(チャンス)」(PHP)
を取り上げておりました。
その書評のはじまりは、というと、
「正論」(平成26年9月号)の小川榮太郎氏の
文を引用して取り上げておりました。

こうして引用されると、その古い雑誌が
気になってあらためて読みたくなります。
本棚をみると、ちょうど9月号だけがある(笑)。
うん。雑誌は、その時に読むとは限りませんね。

さてっと、9月号の小川榮太郎氏の文の題は
「『文藝春秋』の憂鬱 消えゆく大人の常識」

線がひかれてあるので、読んだ形跡はある。
それが、すっかり忘れておりました(笑)。

そのなかで、小川榮太郎氏は、
文藝春秋6月号の「百人の叡智が総結集、
安倍総理の『保守』を問う」をとりあげております
(ちなみに、この文芸春秋は自分の手元になし)。

「・・・読み終へ、ひどい疲れを覚えてゐます。
そもそも、文章を読んで疲れるとはどういふ事か。
難解な文章と格闘した時でなければ、読む意味を
見出せない駄文か、文体や論旨が、私の中の常識と
余りにも懸け離れてゐる時でせう。『文藝春秋』と
いふ雑誌は、永年、大人の常識の居心地の良さで
読ませてきた雑誌だつた筈です。その雑誌が
『百人の叡智』に『保守』を語らせたら、
私を著しく疲れさせた。
私は書込みながら物を読む悪癖があるが、
仕舞ひには、(笑)とか、『バ』とか、
『変』とかで誌面が一杯になつてしまひ、
とても人に見せられない有様になつた、
近頃珍しい事です。『バ』は馬鹿の略、
『変』は精神の変調の略で、我ながら
こんな書込みは下品だと思ふが、手が
勝手に動いてしまふのだから仕方がない。」


うんうん。(笑)とか「バ」とか「変」など
ちょっと、私も使いたくなります。思えば
このブログでも(笑)までは使用頻度が
高かったのですが、私はそこまででした。

さてっと、真ん中は端折って、
小川榮太郎氏の最後の方から引用します。

「翻つて今の『文藝春秋』、――あくまで
私の数へた所によればですが――
百人中、妄言が39人。
しかし、更に根深い問題は、そうでない
人達の言葉の多くが、真つ当でもあり有益でも
ありはしても、吉田茂なら吉田の人間力、
言葉の力に匹敵する勁さを持ち合わせてゐなか
つた事になるとも言へます。要するに、39人の
妄言を、残りの61人の言葉が、爽快さや勁さ、
しぶといユーモア、威厳、逆説、美文、博識、
斬新などの言葉の芸によつて、打破する力を
持つてゐない。だから、通読すると、誌面全体が
妄言によつて領されてゐるやうな印象になつて
しまふ。かつて日本に大人がゐたといふ事は、
かつての日本人には人間的な風圧があつた
といふ事です。我々の時代が、総じて、
それを失つてゐるからこそ、百人中、39人の
妄言に、61人の真つ当な言葉がやられてしまふ
のではないか。
これは戦略で取り戻せる事でも、強い政治や経済で
取り戻せる事でもありません。人間の生き方の問題
であり、端的な人間力の問題だ。ある意味で、
どんな政策論よりも途方に暮れることだが、
本当は、この民族挙つての人間力の低迷こそが、
日本の『保守』が今一番直面し、引き受けなければ
ならない我が国の危機なのではないでせうか。」


うん。ここまで引用したら最後も
引用させてください。


「・・・私が本当に撃たうとしてゐるのは、・・
私自身も含めて、今の日本人全ての人間としての
未成熟そのものなのです。
だから、まづ、人に何かを注文するのではなく、
自分が、今の低さと足らなさと未熟さを引き受ける
事――この引き受けるといふ地点から言葉を発する
事。せめてそれだけの強さと矜持くらゐは持ち続ける
事。私は、文士の端くれに過ぎないのだから、
どんなに理解者が少なくとも、私一個の言葉において
はそれを続けようと思つてゐます。正に、それ以外に
『別段の工夫なし』です。」(~p185)


うん。ここだけを引用してみても、
本文中の「言葉の勁さ」を引用していないので、
分かりにくいでしょうが、
私は、といえば、古雑誌を身近に読みかえせてよかった(笑)。
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