和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「きりん」の鉛筆。

2018-03-13 | 詩歌
竹中郁・採集「子供は見ている」(東都書房・昭和34年)を
読めてよかった(笑)。いろいろなことを思います。
せっかくなので、一篇の詩を引用。

それは小学四年生・平井健允の詩「雪」。

     雪

   詩を書いていると
   雪が降ってきた
   えんぴつの字がこくなった



この詩に添えた竹中郁の文は

「日本人特有の繊細な感覚に注目したい。
 はじめ鉛色にみえた鉛筆の文字が、
 雪の白さになじんだ目には、
 次には一段と濃くみえたのである。
 貴い感覚とほめてやるべきだ。」


ゆっくり、ページをめくっていると、
ここから、思い浮かぶ詩があります。


   雪   井上靖


 ―― 雪が降って来た。
 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。
 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌で
 みつけた詩だ。雪が降って来ると、
 私はいつもこの詩のことを思い出す。
 ああ、いま、小学校の教室という教室で、
 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。
 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。
 勤勉、真摯、調和、
 そんなものともどこかで関係を持っている。


これは詩集「運河」にあります。

うん。そういえば、井上靖の最初の詩集「北国」には、
子供と少年とが、ところどころ登場しているのでした。
おかげで、詩集「北国」は色褪せず読めるのでしょうか?


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開聞岳が見える。

2018-03-12 | 詩歌
ひさしく、開かなかった
詩集を本棚から取りだす。

「竹中郁全詩集」(角川書店)
その詩集のおわりには

 竹中さんのこと  井上 靖
 竹中郁の世界   杉山平一
 解題       足立巻一
 年譜       足立巻一

がありました。
そういえば、井上靖氏のこの文を
読んでいなかったなあ、と読みだす。

「・・私は(昭和)23年の暮れには居を
大阪から東京に移しているので、それまでの
僅か3、4年の間のことである。・・・
・・氏とのお付き合が、急速に一層頻繁になり、
親密の度を加えるようになったのは、
22年の秋から23年にかけてである。
童詩雑誌『きりん』編集のために
顔を合わせることが多くなったのである。
今考えると、あとにも先にもない
ふしぎに楽しい期間であった。」
(p707~708)

「私たちの仲間で一番暗くあって然るべきなのは
竹中さんであったかも知れない。
氏は戦火によって生家も、養家も、御自分の住居も、
そしてたくさんの蔵書もすっかり焼いてしまっているのである。
氏はそうしたことから受けられた筈の心の打撃の、
その片鱗をも見せなかった。
構えているわけではなく、それがごく自然であった。・・・
こうしたことは氏の第七詩集『動物磁気』をひもどくと
よく判る。この詩集は23年7月、尾崎書房から出版されたもので、
私が氏と漸く繁くお付合するようになったその時期の、
戦後の作品が一冊に収められている。・・・・
どの一篇をとっても、そこには戦後が顔を出しているが、
しかし暗さはみじんもない。焼跡から詩を拾っているが、
まるで宝石でも拾うような拾い方である。・・・」
(p710~p711)


うん。それならば、
『動物磁気』全篇をあらためて読みましょう。

さて、一篇の詩を引用するとしたら、
むずかしいけれど、私はこれにします。


   開聞岳

このごろ
しきりに開聞岳が見たい
開聞岳 あの九州の南端の
海から生えたやうな傑作だ
夢にもくっきりと現はれる美しさ
しきりに死火山開聞岳が見たい

  〇

昭和十五年二月十日早暁
海上から打ち眺めた
開聞岳の眉目

  〇

もの悲しい焼野原の町のゆくて
ときどき 突然
開聞岳が見える
そして ぱったり消える
アイスクリームをたべたより
十倍も爽快だ



ちなみに、
本の最後に載る、年譜をめくると

「昭和22年(1947) 四十三歳
・・・・十一月、詩『開聞岳』を『詩学』に発表。」

「昭和23年(1948) 四十四歳
・・二月、児童詩誌『きりん』と命名し、
尾崎書房から創刊して監修及び児童詩の選評にあたる。」


という箇所があります。

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3月11日産経新聞。

2018-03-11 | 産経新聞
日曜日の書評欄で
朝井まかて著「雲上雲下(うんじょううんげ)」(徳間書房)。
この本を、縄田一男(文芸評論家)が書評しております。

最後の方に

「それにしても作者のオリジナリティーを含めた
説話=物語再生能力は目を見張るほどである。」

そして、書評の最後は

「何と熱くすばらしい一巻であることか。
全読書人必読の一冊といっていい。」


おいおい。小説は読まない私ですが、
「全読書人必読の一冊・・」なんて
こう言ってしまってもいいのですか、
縄田さん。私はこういう書評に弱い。
朝。そそくさと新刊注文(笑)。



オピニオン欄の「新聞に喝!」は、酒井信彦氏。
はじまりは

「ロンドン国際映画制作者祭で、日本人の八木景子監督が
長編ドキュメンタリー部門の最優秀監督賞を受賞した。
受賞の対象となったのは、2015年に制作された
『ビハインド・ザ・コーヴ~捕鯨問題の謎に迫る』。」


「八木監督の受賞については、2月19日朝刊の紙面で
産経新聞と東京新聞が写真入りで比較的大きく報道している。
ただし2つの記事は、その取り上げ方に相違がみられる。」

その相違は、ここではカット(笑)。
次に箇所を引用。

「それどころか、八木監督受賞の記事は、
産経と東京以外の読売、朝日、毎日、日経の
各紙には全く掲載されていない。
日本人が海外で評価されることに関しては、
日本のメディアは熱心に報道するのが常なのに、
これは一体どうしてなのだろうか。」

酒井氏の文の最後は

「日本に対する不当な批判に反論する作業こそ、
現在の日本にとって最も必要である。・・・・
八木監督の受賞を全く無視した新聞各紙に至っては、
本来は自身が行うべき
反論を世界に発信する言論の責務について、
全く無自覚であると言わざるをえない。」


さっそく、産経の古新聞をひっくり返し、
2月19日のを探す。はい。ありました(笑)。



3月11日の国際面には、
ワシントン=加納宏幸氏による記事。

「ブッシュ(子)米政権で北朝鮮核問題をめぐる
6カ国協議の次席代表を務めた朝鮮半島問題の専門家、
ビクター・チャ氏は9日、ニューヨーク・タイムズ紙
(電子版)に寄稿し、トランプ大統領と北朝鮮の
金正恩朝鮮労働党委員長による会談に関し
 ・・・・
北朝鮮との交渉に関わった経緯から、チャ氏は
『北朝鮮の体制はただで何かを手放すことはしない』
とし、非核化の見返りを要求してくると断言した。」

最後はというと、

「『首脳級の交渉が失敗すれば、他の外交手段はなくなる』
と指摘した。」



3月11日の産経新聞一面左には
「森友文書 書き換え認める」という見出し。
小見出しは「交渉経緯削除 財務省あす報告」。


ここを引用

「共同通信によると、
書き換えがあったのは、平成28年6月に森友側と国有地の
売買契約を結ぶ際の決裁文書に添付した調書など。

当初の文書に記載されていた
交渉経緯や『特殊性』といった文言が、
国会議員らに昨年開示された文書からは削除されていた。」











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鉄腕アトムの主題歌。

2018-03-10 | 前書・後書。
雑誌Voice4月号が届く。

さっそく巻頭言と巻末言とを読む(笑)。

宮家邦彦氏の巻頭言は題して
「鉄腕アトムと空想的平和主義」。
鉄腕アトムの主題歌からはじまっておりました。
ここでは、この箇所を引用。

「第二次大戦後の日本では、国民的規模で
『平和憲法のおかげで戦争が発生しなかった』
という一種の誤解が生まれた。しかし、
仮想敵国が日本を攻撃しなかったのは、
憲法ではなく、
効果的な抑止力を提供する軍事同盟があったからだ。
戦後の空想的平和主義の公理に反するこうした議論は、
一般には認められていない。
・・・・
鉄腕アトムの主題歌には
『敵』『悪』『戦う』といった単語が見当たらないが、
科学の子・鉄腕アトムは人間を守るため、
毎週邪悪と戦ってきたはずだ。
心やさしい、だけでは平和は達成できない。
平和を乱す連中と戦わないかぎり、
平和は達成できないのである。」(p17)


巻末は渡辺利夫氏でした。
ここでは、この箇所を引用。

「漢字とは、究極の表意文字であり、
人間の思考を拘束し支配する力がある。
個人や社会という漢字には、
現実を離れて私どもの観念を
自在に操る専制の力が宿る。」

巻末言の最後の箇所はというと

「結婚、出産、育児といった
ライフサイクルをどう形づくるかは、
個人の自由な選択によるべきだという規範意識は、
日本の歴史や文化や伝統から
おのずと導き出されたものとは思えない。
個人の存在が絶対的なものだといわんばかりの社会が、
少子化を解決できるとは考えられない。
家族共同体の再生という実に重い課題を
背負わされているのが我が日本の憲法だ、
そう考えてみてはどうか。」

そうそう、巻末言の題は
「『言葉の専制』について」で
そのはじまり、

「憲法改正論議が高まりをみせているが、
議論は第九条ばかり。これはこれで大問題だが、
この機会にもう少し本質的な議論が提起されて
しかるべきだと私は考える。・・・」

こうなっておりました。


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充実した時間だった。

2018-03-09 | 詩歌
足立巻一著「評伝竹中郁」(理論社)に

「昭和43年12月に第八詩集『そのほか』を出したとき、
その書名の意味を問うと、
戦後の自分の仕事の本領は子どもの詩の育成にあり、
詩も『そのほか』の副業だからだ、と答えた。
また、56年死の一年前に書かれた『自伝』もこう結ばれている。


『・・・・・・自分自らの詩作品を書いてゆけることも倖せの
一つにはちがいないが、日本のあちこちから集まってくる子どもの声、
清らかに澄んで沁み入るような詩の数々を毎日読み
且つ出していく仕事は、他の何にも増して充実した時間だった』

このように、自分の詩作品を書くことよりも
子どもの詩を読み選ぶことに幸福を感じたというほど、
戦後の竹中は子どもの詩に没入し充足していた。

わたしは竹中に触れる機会が多くなるにつれ、
そういう無私の美しさに次第に惹かれていった。
人も詩も、それまで出会った人たちのなかでは
最も美しいものに思えた。・・・・」
(p20~21)

うん。
この機会に関連本を購入しようと思ったのですが、
「きりんの本」は古本でも高値なので購入を断念。
それではと、手に入る古本を注文し、それが届く。

竹中郁「子どもの言いぶん」(PHP)
竹中郁・採集「子供は見ている」(東都書房)
足立巻一著「詩のアルバム きりんの仲間17年」(理論社)
坂本遼「こどもの綴方・詩」(創元社)
「坂本遼作品集」(駒込書房)


はい。自分の手の届く範囲に本が揃いました。
さて、『他の何にも増して充実した時間だった』とは、
どのようなものだったのか。
はたして、それはこの数冊で読みとれるものなのか。
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アダチ君、年をとったら詩を書きたまえ。

2018-03-08 | 詩歌
足立巻一詩集(日本現代詩文庫・土曜美術社)の
詩集の最後は「未刊詩篇『竹中郁追慕詩抄』」でした。
その未刊詩篇の詩の最後の二行は

 ——— アダチ君
    年をとったら詩を書きたまえ。


そうかと、
竹中郁詩集(思潮社・現代詩文庫)をひらく。
そうじゃなかった(笑)。
竹中郁著「消えゆく幻燈」(編集工房ノア)をひらく。
いろいろな人への文が並びます。
そこに足立巻一を紹介した文が二つ。
その一つは「『火の玉丸』『足立丸』」という4頁の文。

そこに、足立巻一氏が紹介されているので引用。

「足立君のTVの表現を見ていると、明快で敏速で、
よく電波映像の本質を利用しているのに感心する。
慣れたもんだ、という納得がいく。
足立君は犬や猫を手なずけるように、
文学や音や映像を手なずける能力をもっている。
新聞につとめていたときはよきライターだったし、
『きりん』に毎月連載した『詩のアルバム』を書いたときは、
よき理解者であり、よき文章家であった。
とくに、書きつづけているうちに、
毎月毎月の出来ばえがうなぎ上りで、
その練達には『かなわん』とさえ思えた。

・・・・・一口にいってしまえば
『あいつは火の玉』なんだ、としか考えられない。
ぼくには見えるのだが、手を近よせると熱くて
火の中へ指がつっこめない。
いつも精一ぱい働いてなくては気のすまぬ男なのだ。

俗世的な事務処理なども手に入ったもので
かれの奔走でわれらの『きりん』経営の危機は
なんべんも立直った。世間の荒波を
くぐった深さがわたくしなどとは段ちがいで、
こんなときには、わたくしなどは『ボンチやなあ』と
自ら嘆かれてくる。
かれが傍にいてくれるのでわたくしの永年の
児童詩育成作業も根がつづくといったものである。」
(p146~147)

この短文の最後でした。
こうあります。

「足立君、年をとったら、
ゆっくりと詩を書きなさい。
今は火の玉でも。」
 (昭和39年12月・・)p148


あとは、
足立巻一著「評伝竹中郁」(理論社)の
p18~p24までも引用したくなるのですが、
またの引用の機会がありますように。
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蔵書整理。

2018-03-07 | 本棚並べ
古本屋さんのブログを見せていただくことがあります(笑)。
すると、蔵書の整理に、呼ばれてお宅にうかがう、
そんな記述が、圧巻な印象として残ります。

うん。今日思い浮かんだのですが、
蔵書整理という、定点観測は、
魅力あるテーマですね(笑)。



足立巻一詩集(土曜美術社・日本現代詩文庫15)が
古本で届き、詩を読まずに、うしろの方のエッセイ
から読み始める。エッセイの最初は
「評伝竹中郁」序章が掲載されておりました。
序章は、亡くなった竹中郁を語っております。

そこから、この箇所を引用。

「第一回の蔵書・遺稿の整理をおこなった。
竹中は大変な読書家で、病気になって目を悪くするまで
読みつづけた。しかし、本を貯えたり、稀覯本を集めたり
する趣味はさらさらないように見えた。
つぎつぎ新刊書を買うが、読み終わるとさっさと人に回す。
わたしは竹中から何冊の本をもらったかわからない。
性格も詩も淡白であったように、
本に執着することはないように見えた。それに何より、
20年6月5日の神戸空襲で四千冊の蔵書を焼いている。
それで、蔵書といっても何ほどのこともあるまいと
予想していた。

ところが、そうではなかった。
書庫があるわけではなく、一階・二階のどの部屋にも
本が積まれ、わずかな隙間を見つけても
本を詰めこんでいる。
森鴎外・永井荷風・堀辰雄・稲垣足穂・梶井基次郎
が好きだったらしく、全集や初版本がある。
詩歌人では斎藤茂吉・木下杢太郎・三好達治・
丸山薫・小野十三郎・安西冬衛・永瀬清子・天野忠
などの詩歌集がそろっている。
外国文学ではジャン・コクトーの著作がまとめられている。
カバーをかけ、あるいは数冊をハトロン紙に包んで
紐をかけたのもある。

驚いたのは寄贈を受けた詩歌句集・雑誌が
処分されずに保存されていることだった。
児童詩誌『きりん』の全冊がそろっていることは
当然としても、同人雑誌の類まで整理して残している。
たとえば、わたしどもの同人誌『天秤』もあったし、
戦後すぐ死んだ詩人岬絃三の謄写版刷りの遺稿詩集もあった。

遺稿はおびただしいものであった。
詩をびっしり書きこんだ二冊の厚いノートもあったし、
草稿・書きつぶしもじつに多い。
また、スクラップ・ブックには新聞に掲載された
詩が張りこんであり、箱には新聞の切抜きがつまっている。
それらは厖大な量に上るであろうが、惜しいことに
掲載誌紙名・掲載年月が書き留められていない。
わたしは茫然とした。とにかく、
竹中を語るうえに必要と思われる資料は
段ボール箱につめて自分の書斎に持ちこみ、
途方に暮れた。そして、蔵書・遺稿の山に
これまであまり知らなかった人柄の一面と
純粋な詩心を見る思いがした。」
(p134~135)


うん。
「蔵書・遺稿の山にこれまであまり
知らなかった人柄の一面と
純粋な詩心を見る思いがした。」

ちなみに、
足立巻一著「評伝竹中郁」(理論社)は、
足立氏が亡くなり、未完だったようです。
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こども詩人たち。

2018-03-06 | 本棚並べ
足立巻一「子ども詩人たち」(理論社)が古本で届き。
さっそく、足立巻一「牛乳びんの歌」と比較してみる。

最初に、
「本書は1972年理論社『牛乳びんの歌』の
改題・改訂版です」とある。

な~んだ。

比較してみると、
『牛乳びんの歌』の方にあった
「はじめのことばにかえて 遼さんの遺書」の文は、
『子ども詩人たち』の方では、カットされておりました。
『子ども詩人たち』の方は、ハードカバーで頑丈。
でも、どちらがいいかといえば、
私は「牛乳びんの歌」の方に
軍配をあげさせていただきます。

本文は、どちらの本の内容も同じようです。
ちなみに、本文に
「高学年の詩はなぜつまらないか」と
題した文があり、興味深い題なので、
その最後を引用しておきます。

「・・・それよりも、
少女自身がやがて詩を捨て去るでしょう。
チュコスフスキーは、
詩であれ、絵であれ、こどもの才能は
きわめてしばしば年とともに消え去るものだとして、
『七~八年たつうちに詩の才能を失って、
むしろりっぱな設計者、船乗り、地質学者になった
十二歳の詩人を、なん人も知っています』
と書いています。
わたしも、そういう詩人をたくさん知っています。」

『牛乳びんの歌』には副題として
「『きりん』のこども詩人たち」とあり。
一方、ハードカバーの
改題・改訂されたこの本の題は、
『子ども詩人たち』で、副題が
「詩はおしゃべりから・・」となっております。

消え去った子供の才能を
記録した貴重な2冊を手にしたわけです(笑)。
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牛乳びんの歌。

2018-03-05 | 本棚並べ
足立巻一氏の古本を数冊注文。

さっそく届いたのは、
「牛乳びんの歌」(理論社)。
副題に「『きりん』のこども詩人たち」とある。

この本の装幀・カットが、須田剋太。

私は、そうてい・カットを見ているだけで満足。
よい、買い物でした(笑)。

さてっと、本をひらくと、最初が
「遼さんの遺書 はじめのことばにかえて」
と題しております。
そのはじまりだけ引用。

「詩人・坂本遼さんがなくなったのは、
昭和45年5月27日午後1時25分、66歳でした。
遼さんはわたしたちのこどもの詩誌『きりん』の
最初からのなかまで、柱のような人でした。
この本を、遼さんにささげます。」

とはじまる14頁の文。

はい。私はこれを読めただけで満足。
あとは、本棚に置くことに(笑)。

まるで、素晴らしくラッピングされた
贈り物に、手紙がはさまっていて、
その手紙を読んでから、
おもむろに、ラッピングのまま
読まずに、本棚に置くような気分。

何をいっていることやら(笑)。
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事実であるかのように報道。

2018-03-04 | 産経新聞
産経新聞3月2日の
「阿比留瑠比の極言御免」では、

杉山晋輔外務審議官(平成28年2月)と
堀井学外務政務官(今年2月27日)の
お二人の国連での演説を記しております。

まず、平成28年2月に
ジュネーブでの国連女子差別撤廃委員会で
当時外務審議官だった杉山晋輔駐米大使が
がこう訴えた。

「(慰安婦強制連行説は)
朝日新聞社により事実であるかのように大きく報道され、
日本と韓国の世論のみならず国際社会にも大きな影響を与えた」

「『性奴隷』といった表現は事実に反する」

これに対して
「朝日新聞は・・・
杉山氏が自社の過去報道に言及した部分は一切報じていない。
その一方で、あろうことか外務省に杉山氏の発言は『遺憾』
だとする申し入れを行った。」

次にいきます。

「堀井学外務政務官は2月27日、
ジュネーブでの国連人権理事会演説で、こう指摘した。

「『性奴隷』という言葉は、事実に反するので
使用すべきではない。この点は日韓合意の際に
韓国側とも確認していた」

「慰安婦強制連行という見方は、
故吉田清治氏が虚偽の事実を捏造して発表し、
日本の大手新聞社の一つにより、
事実であるかのように報道されたことで、
国際社会にも広く流布された。しかし、
これは後に、完全に想像の産物であたことが証明されている」

「『この大手新聞社自身も後に事実関係の誤りを認め、
正式に読者に謝罪している』とも述べた。
名指しはしていないが、朝日新聞のことである。」

阿比留氏は、こう指摘しております。

「問題は、
吉田清治氏の虚言を18回も取り上げ続け、
世界に広める共犯者的役割を果たした朝日が、
今回の堀井氏の発言を報じていないことである。
2月28日付朝刊国際面に、ソウル発の
『慰安婦問題で日韓応酬』というミニニュースは
載っていたものの、堀井氏の言葉はどこにもない。」


忘れていいことと、
忘れていけないこと、とがあり。
せめて、私は忘れないように、
このブログに記しておきます。

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親友記。

2018-03-03 | 道しるべ
私は、千葉県在住です。
ということで、
新聞(3月2日)に、平成30年度後期の
「千葉県公立高校入試問題と解答」がありました。

私は、試験嫌いですから(笑)。
こういうのは、当然に敬遠するのですが、
国語問題の最初の例文が、気になりました。

足立巻一著「親友記」から引用された文。

珍しく、その例文を読んでしまいました。
この試験問題を作成された方に感謝したくなります。
うん。素敵な文でした。
試験に、こういう例文を出すという
手腕をお持ちの出題者がいらっしゃる。
というだけで、うれしくなります。

さっそく、
本棚から、古本で購入してあった
足立巻一著「親友記」(新潮社)を
とりだしてくる。

ここには、試験問題の例文とは別に、
本の「あとがき」を引用しておきます。
はじまりは

「わたしは血縁に薄かったけれども、
その代わりにとでもいうように良い師友に恵まれた。
生きがたい世に、
とにかく七十歳を越えることができたのも、
その師友のおかげである。」

真ん中をカットして

「思えば、わたしはそれぞれの時期において
相交わった少なからぬ師友の人生を、
こうして・・一連の作品の流れのなかに書きこめてきた。
それはまた、自分自身の歴史を、生を告白することでもあった。
そうしてどうやらわたしは終点にたどりついたらしい。
この『親友記』はその終点にあたる作品のつもりである。
・・・・・」


貴重な例文に感謝したい気持になります。
試験場で、この文章に触れる生徒を思い描きます。
ですが、ここには出題の例文は引用しません(笑)。


ちなみに、出題の例文を調べると、
本「親友記」の第二章「熱風」から、引用されておりました。
第二章の前半部。それも、
第二章の最初の2~3頁はカットされて、
そのかわりに、囲い込みの五行でもって、出題者が、
かいつまんで、例文までの状況を説明しております。
それも、行き届いた配慮で、例文内容にすぐ引き入れられました。
足立巻一氏の、ゆったりとした文の流れが、
試験問題という枠を踏み越えて、私には、輝いて見えました。


たしか、小林秀雄対談(岡潔との対談)に、
みんなが、答えを出すことばかり考えていて、
どんな問題を出すかを考えない。本当は、
どんな問題を出すかが重要なのに。
というような言葉があったのを思い出します。

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人文科学衰退は。

2018-03-02 | 産経新聞
産経新聞3月1日のオピニオン欄。
「宮家邦彦のWorld Watch」が気になったので
すこし引用しておきます。

内容は、旧知の学者3人の言動を見聞きして
「日本の人文科学が迷走を始めたのでは、と危惧するのだ」
とあり、ひとりは、東洋政治思想史に詳しい政治・歴史学者。
二人目は、日本を代表する現代中国政治専門家。
三人目は、有力私大で中東研究を続け、最近退職した旧知の教授。
その例を、具体的に指摘しながら

最後の方に、こうありました。

「問題は、一国の国家安全保障問題を考える際に
最も有用かつ重要な学問が先端兵器技術でも
今流行のビジネス科学でもなく、
伝統的な人文科学であることだ。
哲学にせよ、地域研究、国際関係、歴史学にせよ、
人文科学は『人間の営み』を研究する学問だ。
筆者も昔公務員だった頃は人文科学の重要性を
過小評価していた。だが今や政府や巨大組織から離れ、
静かに1人で日本という国家の安全保障や
戦略論を考えはじめて、今更ながら、
歴史や地域研究といった人文科学の重要性を痛感するのだ。」


そして、最後は

「日本でも、文科省が駄目なら、
外務省や防衛省などが外交・安全保障政策の
立案に資するため、必要な人文科学系研究費を
大幅に増額すべき時代が来ているのではないか。」


ちなみに、見出しはというと、
「人文科学衰退は日本の危機」。


はい。こういうことを
新聞で読めるというのが、
産経新聞の強みですね(笑)。
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背中で聞きつつ。

2018-03-01 | 産経新聞
本日の産経抄のはじまりは

「日本は韓国の手本」。

とあります。
ふむふむ、と読み始める。
読みながら私に思い浮かんだのは、
石井英夫氏の本のあとがきでした。

石井英夫著「コラムばか一代」(産経新聞社・2005年)
その副題は「産経抄の35年」となっておりました。
そのあとがきは、こうはじまります。

「長い間、産経抄は騒々しい戦場で書くのがならわしだった。
執筆の場は、騒がしければ騒がしいほど新聞コラムを書く
環境にふさわしいとすら考えてきた。
新聞社の論説委員室のことだから、
もとより明窓浄机など望むべくもない。
周りではああでもない、こうでもないと
論議が沸騰していることが多い。
それを背中で聞きつつ、時に振り向いて
『ちょっと、これをどう考えたらいいかね』
などと仲間に問いかける。
その助言や示唆を参考に
コラムを書く日も少なくなかった。・・・」
(p283)


では、おもむろに、今日3月1日の産経抄の
前半を引用。

「『日本は韓国の手本』。
平昌五輪の開会式を中継していた
米NBC放送の解説者の発言が、
猛反発を受け謝罪に追い込まれたのは記憶に新しい。
日本の植民地支配を擁護した、というのだ。
騒動には『続編』があった。
米経済紙『フォーチュン』(電子版)もまた、
『発言は重要な真実を含んでいる』との趣旨の記事を掲載した。
日韓の歴史にくわしい識者なら、当然の指摘である。
日本の朝鮮統治については、否定的な面ばかり強調されてきた。
ただし米国では、史実に基づいた研究も進んでいるようだ。
その成果の一つが、『「日本の朝鮮統治」を検証する』
(ジョージ・アキタ、ブランドン・パーマー著、草思社)である。
本書によれば日本は、朝鮮の経済・産業・教育などの
インフラ構築に、他の植民地保有国に比べて、
はるかに多くの努力を払ってきた。
慰安婦をめぐっては、『性的奴隷』という表現は
不適切だと、明確に否定している。・・・」


これがコラムの半分。
最後の方に

「・・心配していたら、
ジャーナリストの堤堯さんが
『月刊Hanada』4月号で、
『発想の転換』を提案していた。・・・」

とありました。
Hanada4月号といえば、
室谷克実氏の「報じられない平昌五輪の惨状」
と題する文を読んで印象に残っております。
そこにも、五輪のNBC問題が取り上げられており
引用しておきます。


「・・・NBC批判は吹き荒れた。
入場行進の際、NBCのコメンテーターが
『韓国が発展していくうえで日本が
文化的、技術的、経済的に重要な手本となっている』
との趣旨を述べたことがケシカランというのだ。

韓国の新国技とも言える抗議のサイバー攻撃が始まり、
NBCは早々とコメンテーターを降板させた。
解説の趣旨はまさに事実だろうに、
アメリカの『言論の自由』とはこの程度のものなのか。

韓国はフランスから気象衛星を購入し、
フランスに打ち上げてもらった。
それを運用してきたのだが、
まるで平昌五輪の開会を待っていたかのように、
衛星の観測用機器がダウンした。それで、
日本の気象衛星が地上に送ってくる映像を見て、
天気予報を出している。
この一事だけ見ても、
『重要な手本になっている』どころか
『寄生している』のだ。

NBCがコメンテーターを降板させて
謝罪のコメントを流しても、
韓国の世論は収まらなかった。
このコメンテーターがコーヒーチェーン、
スターバックスの取締役に名を連ねていることが分かると、
今度は『スタバ不買運動』を始めた。

こうした喧噪もまた、
数々の失態・不手際を糊塗するのに、
役立つのだろう。」(p235)

それから、失態・不手際の
列挙が読めました。

うんうん。こういう報告を
背中で聞きつつ、産経抄は
書かれているのだろうなあと、
今日あらためて
「背中で聞きつつ」産経抄。
その魅力を感じたのでした。

はい。私がその魅力に鈍感だった
だけなのかもしれませんね。


コメント
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