おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

椎の木坂。抜弁天通り。新宿文化センター。新田裏。・・・(「蟹川」跡をたどる。その4。)

2013-06-12 19:37:20 | 河川痕跡
 信号を渡ったところを左折すると、「椎の木坂」。下っていくと、谷底の部分のようになっていてそこを右折すると、道は上って行きます。確信のないままに歩き始めました。
大久保通りは見上げるほどの高さ。
 もともとは上って、下っての急な坂道状。谷の底を流れる「蟹川」を越えるにはそうするしかなかった。都電(市電)をスムーズに走らせるために今のような構造にしたようです。
 改めてこの高さを見上げると、通りを隔てて向こう側の「戸山公園」「戸山ハイツ」とは地形の高さが合うことになります。
「椎の木坂」の最下部から西側を望む。右に見えるのが、「大久保通り」の壁面。
しばらく行くと、緩やかに左にカーブしながら上がっていく道に。「蟹川」の跡とは限りませんが、何となく・・・。そう思いたい(笑い)。実は、前回の時、この辺から怪しくなってきて、後日改めて出直して探索しました。梅雨空のもと。・・・

前方左を曲がると、「職安通り」(「抜弁天通り」)。こころなしか道はゆっくりと上がっています。
前方が「職安通り」。ただし、この道は旧道とも考えられます。
途中、見かけた居酒屋(風)のお店「砂場」。このあたりは、さびれたような商店や商売をやめたような家(失礼!)がいくつか並んでいます。昔ながらの街並み。
左の道をまっすぐそのまま通りを渡っていくと、「新宿文化センター」の前に出ます。
この道も同じです。
「職安通り」(「抜弁天通り」)。前方のところがこのあたりでは一番低くなっているところ。その付近を「蟹川」は右から左に流れていたと思われます。この通りの下には都営大江戸線が通っています。拡張工事などもまだ行われています。手前が「東新宿」駅方向、先が「若松河田」駅方向。
 いずれにしても、新宿方向から来るいくつかの道の中で、通りを越したあとで曲がりながら「大久保通り」に向かって下っていく道が怪しい!
 のあたりから新宿文化センター方向を望む。
正面が「天神小」右が「文化センター」。
「天神小」前から。左が下から上がって来た道。ここで、合流します。右がかつての都電通り。そのまま道は下がっていって、「抜弁天通り」に。
「抜弁天通り」から文化センター方向を望む。かつての都電線路跡の道。このあたりは、専用軌道でした。緩やかな上り。
「新宿文化センター」。かつて、都電全盛期には大きな車庫でした。

《新宿文化センター》
 新宿区成立25周年を記念して都電大久保車庫の跡地を利用して1979年に開館。開場から28年が経ったため大規模な改修工事が行われ、2008年4月にリニューアル。駅からかなり離れていることもあってホールの稼働率が低く、区議会等で度々指摘されていたが、新宿コマ劇場、東京厚生年金会館の相次ぐ閉館に伴い、区内唯一の大ホールとなり、一転、興業団体にとって使用するのが難しいホールとなっている。

「文化センター」前の道路(「蟹川」の水路が路面電車の軌道になり、今は道路になっている、ということになります。)
 ただし、明治時代以降の古い地図などを参照すると、今来た道が「蟹川」跡ではなく、あまりにも直線過ぎていて、本来の川筋は現在大きな建物になっているところを流れていたのではないか、と思います。
「新宿イーストサイドスクエア」。この敷地内をかつてはながれていたのではないか?
広大な敷地に大きなビル。「日本テレビゴルフガーデン」跡地を再開発し、昨年完成した。料理店などさまざまなテナントも入っているオフィスビル。知らなかった!


しばらく周囲は都営住宅などがある静かなところを西に進みます。
「新田裏」と屋号に入っている店を発見。に注目。
下のには「新田裏」とある。上の大きなは、現・戸山公園。
「日清食品」。明治通りとの交差点。この裏手一帯が「新田裏」と称されていました。
 
 ここからいよいよ賑やかな通りに入ります。ここで、一服。

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