かつての海岸線のなごりか? 防砂林・緑地が続く。
「内房線」の向こうに。
海に通じる水路にカルガモ。この付近が河口?
「長浦中学校」手前の役場跡敷地に境界石。
道路際には「沖縄中学決死隊感激碑」が囲いの中に。
この付近の今昔。
1880年代のようす。海岸線のすぐ脇を街道が。現長浦駅付近は、わずかばかりの土地があり、北東に延びています。
2010年代のようす。海側には工業地帯が広がっています。丘陵地帯は住宅地に変貌。北側の水路はかつての海岸線?
JR「長浦駅」に到着。
山側(南側)が住宅地として発展しているようす。
駅前で小休止。トイレに入ろうとすると、イラストが。男性トイレ。
ボクの名前はガウラ。「袖ケ浦」で生まれたから、ガウラって名前を付けたらしいガウ。ちょっと安易だガウ。
なんでも外国の人が「そでがうら」って発音するのを日本人が聞くと「がうら」だけが強く聞こえるみたいなんだガウ。だからってこの名前がきらいじゃないんだガウ。ちょっと複雑ガウ。気難しい年ごろガウ。
僕は袖ケ浦市のマスコットキャラクターなんだそうだガウ。マスコットってなんのことかよくわからなかったから、辞書を引いてみたんだガウ。そしたら幸運をもたらす人や物のこと、って書いてあったガウ。つまり縁起物ガウ。僕が活躍すると袖ケ浦に幸せがくるガウ。
でも本当は袖ケ浦だけじゃなくてこのホームページを見てくれた人みんなに幸せがくるガウ。なんだ、僕って結構良いやつガウ。今までぜんぜん知らなかったガウ。
(この項、「袖ケ浦市」公式HPより)
女性トイレ。「妻のソデリー」
息子は、「ウラリー」というとか。
さて再開。
駅南口、左手の小高い丘は、「蔵波城」跡。
左側は切り立った崖状。
急な上り坂も。
道路に覆い被さるように迫る崖。
内房線の向こう側に小さな集落があります。街道は、かつてはそのあたりを通っていたのでしょうか?
線路の向こうに渡る踏切を見逃し、線路伝いに進みます。旧道というわけではありませんが。
この付近では、県道との高低差があります。
「本堂踏切」を渡ります。
「袖ケ浦駅」方向を望む。
集落に入ります。
静かな通り、家並み。
断定はできませんが、この集落は街道と海岸との間にあり、道も、街道ではなく、集落内の道筋だったようです。
この付近の今昔。
1880年代のようす。街道と海との間に位置する。
2010年代のようす。○付近に神社。
「内房線」の向こうに。
海に通じる水路にカルガモ。この付近が河口?
「長浦中学校」手前の役場跡敷地に境界石。
道路際には「沖縄中学決死隊感激碑」が囲いの中に。
この付近の今昔。
1880年代のようす。海岸線のすぐ脇を街道が。現長浦駅付近は、わずかばかりの土地があり、北東に延びています。
2010年代のようす。海側には工業地帯が広がっています。丘陵地帯は住宅地に変貌。北側の水路はかつての海岸線?
JR「長浦駅」に到着。
山側(南側)が住宅地として発展しているようす。
駅前で小休止。トイレに入ろうとすると、イラストが。男性トイレ。
ボクの名前はガウラ。「袖ケ浦」で生まれたから、ガウラって名前を付けたらしいガウ。ちょっと安易だガウ。
なんでも外国の人が「そでがうら」って発音するのを日本人が聞くと「がうら」だけが強く聞こえるみたいなんだガウ。だからってこの名前がきらいじゃないんだガウ。ちょっと複雑ガウ。気難しい年ごろガウ。
僕は袖ケ浦市のマスコットキャラクターなんだそうだガウ。マスコットってなんのことかよくわからなかったから、辞書を引いてみたんだガウ。そしたら幸運をもたらす人や物のこと、って書いてあったガウ。つまり縁起物ガウ。僕が活躍すると袖ケ浦に幸せがくるガウ。
でも本当は袖ケ浦だけじゃなくてこのホームページを見てくれた人みんなに幸せがくるガウ。なんだ、僕って結構良いやつガウ。今までぜんぜん知らなかったガウ。
(この項、「袖ケ浦市」公式HPより)
女性トイレ。「妻のソデリー」
息子は、「ウラリー」というとか。
さて再開。
駅南口、左手の小高い丘は、「蔵波城」跡。
左側は切り立った崖状。
急な上り坂も。
道路に覆い被さるように迫る崖。
内房線の向こう側に小さな集落があります。街道は、かつてはそのあたりを通っていたのでしょうか?
線路の向こうに渡る踏切を見逃し、線路伝いに進みます。旧道というわけではありませんが。
この付近では、県道との高低差があります。
「本堂踏切」を渡ります。
「袖ケ浦駅」方向を望む。
集落に入ります。
静かな通り、家並み。
断定はできませんが、この集落は街道と海岸との間にあり、道も、街道ではなく、集落内の道筋だったようです。
この付近の今昔。
1880年代のようす。街道と海との間に位置する。
2010年代のようす。○付近に神社。