おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

追悼。別役実。

2020-03-13 19:51:44 | お芝居
 別役実さんが亡くなりました。「早稲田小劇場」をはじめとしてけっこう観に行きました。「不条理劇」という括りでとらえられていますが、そういう枠におさまらない刺激的な作品が多くありました。このブログでも扱ったかな、と思い、検索したら一つだけ、それもずいぶん以前(15年以上昔)に投稿したものだけでした。そういえば、「小劇場」スタイルのお芝居からはずいぶんと遠ざかっていたのですね。・・・


2004-10-06 23:12:46 | お芝居(再掲)
別役実の戯曲
『風に吹かれてドンキホーテ』という表題の戯曲集がある。そこには、3本の童話劇が収められている。作者のあとがきによれば、岸田今日子さんに依頼されて演劇集団「円」のために書いたものであるという。別役版「白雪姫」「シンデレラ」「ドンキホーテ」である。
 日本における不条理劇の第一人者である別役の作品は、いたるところに毒がまき散らされているので、観る方も疲れる。
 ところで、3つに共通するのは、「食べる」話しである。白雪姫は数々の卵料理からニシキヘビの話し、シンデレラは猫を食べる、ドンキホーテは足を食べ、手を食べる。
 そうすべて芝居は、「人を食ったお話し」なのである。それにしても、皆、腹を空かした登場人物に、何だか得体のしれない匂いをもった人(?)たちである。
 「歌うシンデレラ」は、ひたすら食べることしか考えない。それは、熊に変装した王子様だけではない、シンデレラも意地の悪い継母も、仙女もとかげも、兎も、森もたった一つのたべものである「長靴をはいた猫」を食べようとする、それも長靴ごと。しかも、顔を洗わないことや汚い手足を揶揄しながら、食べようとする。でも、最後は、おさまるところにおさまってめでたし、めでたし。
 それにしても、食べるのは顔であり、手であり、足であり、おなかである。それを仲良く分け合って食べようとする。食べる人たちには、仲間はずれはいない。猫だけが食べる対象だ。
 「りんごを食べるときにりんごの意見を聞いてから食べますか? どこをどういう風に食べるかは、りんごじゃなく、食べる私たちがきめることです。」
 仙女が猫に向かっていうせりふである。あれこれもめたあげく、たぶんまだ汚くないおなかを皆で分けて食べることになる。
 食欲は所有欲や性欲と密接にからみあっている。幼児期は、それが複合的に、混沌的なものとして現出するだろう。結婚するのも食べること、いじわるするのも食べること。
 観る子供にも、大人にも毒がある芝居。本を読むだけでは、見当がつかない。
 別役さんの芝居は、現在、演じられているのだろうか。また、この芝居は、実際に上演されたのだろうか。

 追悼にもならない記事ですが、・・・。

 戯曲として、「象」、「赤い鳥の居る風景」、「マッチ売りの少女」、「あーぶくたった、にぃたった」、「にしむくさむらい」、「天才バカボンのパパなのだ」、「白瀬中尉の南極探検」、「ジョバンニの父への旅」、「諸国を遍歴する二人の騎士の物語」などの作品を観たり、読んだりしました。
 何しろこの方の作品のネーミングが秀逸です。

 エッセーでも「・・・づくし」シリーズとか「悪魔辞典シリーズ」とかけっこう楽しませていただきました。

 もっと年上なのかと思っていましたが、まだまだ現役で頑張れた方でした。
 晩年はパーキンソン病で大変だったようです。

注:『風に吹かれてドンキホーテ』の写真は、「古本よみた屋」(吉祥寺店舗「愛書堂よみた屋」)https://yomitaya.co.jp/?p=75588 HPからお借りしました。
コメント
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