おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR「木更津」駅周辺。その1。木更津こども人形劇場 。こうもり安。軍用兎。藤棚。(「房総往還」をゆく。第4日目。)

2020-03-18 23:12:08 | 房総往還
                        「みなとまち木更津へようこそ」案内図。
「花のお江戸と木更津船は、今が世盛り、花盛り」とうたわれた木更津船。江戸日本橋付近には専用の荷揚場「木更津河岸」が置かれるほど幕府から特別扱いを受け、途中で出会った他の船は避けて通ったというほど威勢が良かったそうです。この特権は、慶長19年(1614年)の「大坂冬の陣」において、幕府方の水軍として木更津から加わった24人の水夫が活躍をし、その功績が認められ与えられたものです。こうして一大海運拠点となった木更津は江戸の台所をまかなう物資の集積地のみならず、江戸文化とも深い関わりをもつ港町として栄えました。
 上の図は昭和4年(1929年)当時の木更津町が描かれており、80年以上経過した今も残る寺社や公共施設、老舗等をみつけることができます。・・・

与三郎通りを行きます。
どの店も閉まっている(廃業している? )中で、この先、右手にあるラーメン屋さんはやっていました。街歩きの人には有名なお店らしい。

「愛染院不動堂」。
約150年前に建てられた、旧勢州屋土蔵2棟の内の一つを移築復元したもので、1階が「木更津こども人形劇場」となっています。

木更津市の「木更津こども人形劇場」は愛染院「不動堂」一階にあります。毎月1回(土曜日)人形劇や腹話術・紙芝居など面白いイベントを開催しています。子どもはもちろん、大人も楽しむことができます。お友達やご家族で是非遊びに来てください!駐車場完備!
●子ども~大人まで夢中になる楽しい「イベント」開催!
「木更津こども人形劇場」は毎月1回(土曜日)にイベントを行っております。人形劇・腹話術・紙芝居・パネルシアターなど子どもたちが大好きなものを選び行っています!大人にもオススメ☆子どもの頃を思い出しふと懐かしい気持ちが蘇るかもしれません♪さらに!大人向けの素敵な公演も随時開催しております。家事や子育ての息抜きにお友達を誘って劇場に足を運んでみてはいかがでしょうか。
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* 2020年の公演予定(↓)
★2020年1月18日(土) ①10:00~ ②11:00~
【出演】劇団絶好調 【場所】木更津こども人形劇場
大人 300円、子ども 100円
★2020年2月8日(土) ①10:00~ ②11:20~
【出演】にんぎょう畑(プロ)【場所】木更津社会館保育園
大人 500円、子ども 300円
★2020年3月7日(土) ①10:00~ ②11:00~
【出演】学童くらぶポプラクラブ 【場所】木更津こども人形劇場
大人 300円、子ども 100円
・・・
(この項、「」HPより)

「房総往還(街道)」に出て、左に曲がります。
「お蔵シアター」。

「久留里屋商店」に掲げられた案内図。
1870年代に創業し、今も営業を続ける。東側に隣接された蔵の内部を改装した「お蔵シアター」では各種イベントを開催。

通りのようす。

選擇(せんちゃく)寺。「こうもり安」の墓「解説板」。
 歌舞伎「与話情浮名横櫛」で切られ与三郎の相棒としておなじみのこうもり安は、本名を山口瀧蔵といい、文化元年(1804)木更津五平町の大きな油屋「紀の国屋」の次男として生まれました。芝居中の人物像とは異なり、実際はなかなかの男振り、天性の美声に加え、金回りもよく、花柳界の寵児といわれれるほどの人物で、ゆすりを働くような人柄ではなかったようです。毎夜ふらふらと出歩くことからこうもり安と呼ばれ、芝居では右ほほにあるこうもりの入れ墨は、実は左の太ももにあったと言われています。
 ここ選擇寺にある紀の国屋代々の墓碑銘には「進岳浄精信士 慶応四年四月五日」と刻まれています。
              

変わった碑を見つけました。「軍用兎之霊」。

Q戦争にペットまで動員されたってホント?

Aはい、本当です。ペットの毛や皮、肉まで供出させられました。
戦時下、不足する物資を補うため、金属や宝石、ゴムといった資源が次々と供出させられていきました。
動物の毛や皮革も例外ではなく、牛や馬、羊、鯨などとともに犬の毛皮も利用されていたのです。
・・・
毛皮の動員といえば、昭和の初めから学校や家庭で兎が多く飼われるようになりました。
兎は成長が早く、飼育も簡単であり、毛皮は兵隊用の防寒着として、肉は食糧として利用価値が高いため、飼うことが奨励されたのです(画像1)。
政府の情報誌である『写真週報』にも特集が何度も組まれています(134号「兎の皮総動員」Ref.A06031072900、188号「兎は大切な軍需品」Ref.A06031078300)。
しかし、それでも皮革は不足し、1941(昭和16)年になると農林省畜産課が野犬毛皮の統制をはじめます。
野犬対策は狂犬病予防としても進められ、地方自治体が中心となって野犬の捕獲に力を入れていました。
当時、狂犬病は不治の病として恐れられ、野犬の買上げや捕獲が自治体や警察の業務としておこなわれていたのです。
1943(昭和18)年になると、さらに皮革が不足するようになります。
これは家畜の減少だけでなく、生産・加工業者が出征して減少していること、陸軍と海軍とで皮革の取り合いをしていること、公定買取価格が安いため闇市場に流失してしまうことなどがあげられます。
そのため、野犬や野良猫だけでなく、ネズミやイタチ、はてはアザラシやオットセイなど海獣の毛皮も利用されるようになります。


(この項、「」HPより)

その先を右に曲がります。「仲町斎田薬局」付近。

現在のようす。南を望む。左に「桔梗屋斎田薬局」。
1881年創業。今も営業を続ける老舗薬局。

回り込んだ、「木更津第一小学校」校庭にある「藤棚」。

 小林一茶が通りの向かいにある「東岸寺」の句会で、この藤棚を見て、「藤棚や うしろ明りの 草の花」と詠んだとか。
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