おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR「木更津」駅周辺。その3。木更津港。見染の松。「与話情浮名横櫛」。(「房総往還」をゆく。第4日目。)

2020-03-20 19:57:47 | 房総往還
                            木更津港。
海岸通りを少し北へ。港らしいモニュメントが。

                

「回転寿司 やまと」。けっこう人気のお店のようです。

「栄宝丸つり舟」店前の自販機。にぎやかなレイアウト。

「富士見通り」を右折。その角に「常夜燈」のモニュメント。

「富士見通り」は、木更津駅から港までのメインストリート。
                            歴史を伝えるモニュメントが置かれていますが、判読が厳しいほど。

これもすごいモニュメント。「あさりのぽこちゃん」。

「木更津港」。遠くに「中の島大橋」。

               大型・小型と船はけっこう出入り。

角に「金比羅宮」や常夜燈などのある信号を左に折れ、公園の中を行くと、

見染の松」解説板。

さて、どの松か? 一帯は、松林になっています。
 歌舞伎狂言「与話情浮名横櫛」の主人公お富 と与三郎 が、この場で見染めて以来ここに来ては逢瀬を楽しみ、この松ヶ枝に袖をかけてはかない恋を語ったと伝えられ、袖掛けの松ともいわれたそうであります。
 かつては、ここに老松 がありましたが時の流れとともに風雨にさらされ、或は害虫に侵蝕されてしまいこれを再現したのがこの見染の松であります。

 「光明寺」には「切られ与三郎」のモデルとなった男のお墓がありますが、そこはあとに訪れることにして、
ここで歌舞伎の『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)について。
(以下、「Wikipedia」を参照して)

 嘉永6年(1853年)5月、江戸中村座にて初演。九幕十八場。三代目瀬川如皐作。世話物の名作のひとつに数えられる。

初演時に製作された役者絵。左は八代目市川團十郎の向疵の与三、右は四代目尾上梅幸の赤間の愛妾お富。三代目歌川豊国画。

あらすじ
 江戸の大店伊豆屋の若旦那(じつは養子)の与三郎は故あって身を持ち崩し、木更津の親類に預けられていた。春の潮干狩りの時分、木更津の浜をぶらついていた与三郎はお富とすれ違い、互いに一目惚れしてしまう(序幕・木更津浜辺の場)。
 ところがお富は、地元の親分赤間源左衛門の妾だった。その情事は露見し与三郎は源左衛門とその手下にめった斬りにされるが、源左衛門はこの与三郎をゆすりの種にしようと、簀巻きにして木更津の親類のもとへ担ぎ込もうとする。いっぽうその場を逃げ出したお富は赤間の子分の海松杭の松に追われ入水するが、木更津沖を船でたまたま通りかかった和泉屋の大番頭多左衛門に助けられる(二幕目・赤間別荘の場、木更津浜辺の場)。
 そしてそれから三年。与三郎はどうにか命を取り留めたものの家を勘当されて無頼漢となり、三十四箇所の刀傷の痕を売りものにする「向疵の与三」として悪名を馳せ、お富は多左衛門の妾となっていた。
 或る日のこと。与三郎はごろつき仲間の蝙蝠(こうもり)安に連れられて、金をねだりに或る妾の家を訪れた。ところがそこに住む女の顔をよく見れば、なんとそれは三年前に別れたきりのお富である。片時もお富を忘れることのできなかった与三郎は、お富を見て驚くと同時に、またしても誰かの囲いものになったかと思うとなんとも肚が収まらない。
 やがて多左衛門が来て、そのとりなしで与三郎と安は金をもらって引き上げる。お富は、多左衛門には与三郎を兄だと言い繕ったのだったが、じつは多左衛門こそがお富の実の兄であり、多左衛門は全てを承知の上で二人の仲をとりもとうとしていたのである。このあと多左衛門はお店からの呼び出しを受けて再び出掛け、和泉屋の番頭籐八がお富を手篭めにしようとするのを与三郎が助けるが、籐八が海松杭の松の兄であったことから赤間一味の悪事を知り、復讐を誓う。また刀傷を治す妙薬を知るなどのくだりがあって、与三郎が「命がありゃあ話せるなァ」とお富を引寄せるところで幕となる(三幕目・源氏店妾宅の場)。
 その後の幕は和泉屋での与三郎の強請り、野陣ヶ原での与三郎の捕縛、続いて『嶋廻色為朝』(しまめぐりいろのためとも)という常磐津の所作事があり、女護が島に辿りついた源為朝と島の女たちとの色模様を見せるが、それは遠島になって島抜けをする途中の与三郎の見た夢であった。そして島を抜けた与三郎が下男忠助のはからいで、父親の伊豆屋喜兵衛にそれとなく会う情感豊かな「元山町伊豆屋の場」、平塚の土手で与三郎が赤間と再会する世話だんまりのあと、大詰は旧知の観音久次の自己犠牲で与三郎の傷痕が消える「観音久次内の場」となる。

名科白(三幕目「源氏店妾宅の場」より。)
与三郎:え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、
    いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ。
お 富:そういうお前は。
与三郎:与三郎だ。
お 富:えぇっ。
与三郎:お主(のし)ゃぁ、おれを見忘れたか。
お 富:えええ。
与三郎:しがねぇ恋の情けが仇(あだ)
    命の綱の切れたのを
    どう取り留めてか 木更津から
    めぐる月日も三年(みとせ)越し
    江戸の親にやぁ勘当うけ
    拠所(よんどころ)なく鎌倉の
    谷七郷(やつしちごう)は喰い詰めても
    面(つら)に受けたる看板の
    疵(きず)が勿怪(もっけ)の幸いに
    切られ与三と異名を取り
    押借(おしが)り強請(ゆす)りも習おうより
    慣れた時代(じでえ)の源氏店(げんやだな)
    その白化(しらば)けか黒塀(くろべえ)に
    格子造りの囲いもの
    死んだと思ったお富たぁ
    お釈迦さまでも気がつくめぇ
    よくまぁお主(のし)ゃぁ 達者でいたなぁ
    安やいこれじゃぁ一分(いちぶ)じゃぁ
    帰(けぇ)られめぇじゃねぇか。

「源氏店妾宅の場」の五代目尾上榮三郎のお富と五代目尾上菊五郎の与三郎。明治25年(1892年)9月、東京歌舞伎座。

 この科白の冒頭は今でも言えますね。

『与話情浮名横櫛』は、春日八郎の歌でも有名。 
山崎正 歌詞
渡久地正信 作曲

粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだはずだよ お富さん
生きていたとは お釈迦様でも
知らぬ仏の お富さん・・・

(この項、「https://www.uta-net.com/movie/13850/」より)

この歌も歌えます。

 木更津といえば、この「お富さん」がご当地なじみの歌だと思うのです。木更津駅の発車ソングやマンホールの絵柄という風になれば、と。
 さすがにそうもいかなくて、「証城(誠)寺の狸囃子」になっているのですかね。
コメント
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