木更津港。駅まで戻ります。
途中、洒落た建物が。「ファミリーロッジ旅籠屋・木更津港店」。
「富士見通り」。
ビルの間に古い建物が。
蔵造り。
再び「房総往還(街道)」に出て、北に向かいます。
角に「旧金田洋品店」。
明治の創業と思われる店舗。現在の建物は昭和7年(1932年)の看板建築。正面開口部欄間の菱形の色ガラス。その上のアーチの頭部の櫛形の飾り等、当時のオシャレが感じられる。
1932(昭和7)年に建てられ、約30年間手つかずだった木更津市のレトロ建築物「旧金田屋洋品店」(同市中央2)が、おしゃれなアンティーク店「金田屋リヒトミューレ」として生まれ変わった。東京都八王子市から移り住んだ長谷川裕隆さん(48)が、ボロボロだった店内をリフォームし、よみがえらせた。長谷川さんは、趣たっぷりのレトロ建築を生かし、「木更津の良さを発信したい」と願っている。
旧金田屋洋品店は、木更津で江戸時代から続く薬局店の「雑貨事業部」として明治時代に開業。現存する木造モルタル造りの建物は、緑のダイヤガラスや結霜ガラス、正面のアーチ型の装飾が特徴的で、昭和初期の面影がそのまま残る。近年では、JR木更津駅西口に点在するレトロ建築の一つとして、市ホームページで紹介されるなど、その外観が町おこしに使われてきた。
◆30年間手つかず
建物は長谷川さんの母親が相続し、約30年前に趣味教室として使われた後は、手つかずの状態になっていた。建物を取り壊す話が持ち上がったが、脱サラしてアンティーク販売などを手がけていた長谷川さんは「もったいない」と一念発起。昨年夏に約1カ月かけてリフォームし、当時住んでいた八王子市から引っ越してきた。
建物内は床がグズグズに腐り、隙間風が吹き込む荒れ具合。アンティーク好きの長谷川さんは「余計なことはせず、元の形に忠実にきれいにしよう」と、自ら壁にしっくいを塗ったり床を張り替えたりしてよみがえらせた。
◆11月「オープン」
昨年9月から店内で時計やライターの修理などを行っていたが、客が自由に出入りできるようになったのは今年11月初めから。「建物を見たい人もいるので開けよう」と思い立った。
店内には、店名の由来になった、光が当たると回転するガラス工芸品「ラジオメーター(独語でリヒトミューレ)」をはじめ、ダンヒルのオイルライター、オールドノリタケの逆輸入品などファン垂ぜんの逸品が並ぶ。15日には、自らデザインした紺色ののれんも届き、レトロな外観と相まったぬくもりある店が注目されつつある。
長谷川さんは「木更津は住むと悪くない場所。その良さをアピールしたい。『こんな店があるんだ』と思って喜んでもらえたら」と笑顔で話していた。
営業時間は午前11時から日没まで。休業日は不定期。問い合わせは同店、電話0438(38)3538。
(この項、「2015年12月16日 20:18」より)
さて、ここから戻ることにします。
通りの向かいにも蔵造りにつづく建物。
「ちばぎん」。
「上総銀行発祥の地」碑。
交通の要衝「木更津」
房総半島の中央部に位置する「木更津」は、古くは古東海道の要衝として位置づけられ、中近世には
化の影響を直接受けながら発展してきました。特に大坂の陣における木更津の水夫の功績により徳川氏から江戸
木更津間の渡船営業権を与えられたことにより「木更津船」が江戸と房総をつなぎ物資や人を輸送する交通の
て栄えることになりました。
明治期には港が構築されて更に海運が盛んになると共に、昭和期に入ると横浜・川崎とのカーフェリーの運行が行われ、海上交通も活発となりました。
自動車の普及と道路網の整備が進むと、交通手段が海上から陸上へと変化し、カーフェリーの運航は終了となりましたが、「木更津」は東京湾アクアライン・館山自動車道・首都圏中央連絡自動車道などの主要高速道路が交差する房総半島の玄関口として発展を続けています。
注:上の浮世絵「山海見立相撲 上総木更津 歌川広重」。
この思惑通りに発展しているのかどうか? 駅前の商店街のようすを見ると気になるところです。
今度は南に下って、「木更津会館(見番」)」。
千葉県唯一の現役見番が残っています
運が良ければおけいこの様子が聞こえてくるかも
現在も芸者のお稽古場となっている。
昭和30年代に建設された歴史ある建物
県内で使用されている現役の見番は木更津会館のみ。非常に貴重な建物。
現在、木更津芸者衆は11人。
江戸時代からの伝統伎芸と文化を継承しようと稽古に励んでいる。
(この項、「ファミリーロッジ旅籠屋・木更津港店」HPより)
「見番」というと、墨田区向島に「見番通り」という名の通りがあります。今度その付近を散策してみます。新たな発見があるかも。
というわけで、駆け足で木更津巡りをしました。この南に「証誠寺(の狸囃子)」が残っていますが、それは木更津から南に向かうときに寄ることにします。
最後は、「光明寺」にある「切られ与三郎」のお墓を。
このユニークなお店もパチリ!
途中、洒落た建物が。「ファミリーロッジ旅籠屋・木更津港店」。
「富士見通り」。
ビルの間に古い建物が。
蔵造り。
再び「房総往還(街道)」に出て、北に向かいます。
角に「旧金田洋品店」。
明治の創業と思われる店舗。現在の建物は昭和7年(1932年)の看板建築。正面開口部欄間の菱形の色ガラス。その上のアーチの頭部の櫛形の飾り等、当時のオシャレが感じられる。
1932(昭和7)年に建てられ、約30年間手つかずだった木更津市のレトロ建築物「旧金田屋洋品店」(同市中央2)が、おしゃれなアンティーク店「金田屋リヒトミューレ」として生まれ変わった。東京都八王子市から移り住んだ長谷川裕隆さん(48)が、ボロボロだった店内をリフォームし、よみがえらせた。長谷川さんは、趣たっぷりのレトロ建築を生かし、「木更津の良さを発信したい」と願っている。
旧金田屋洋品店は、木更津で江戸時代から続く薬局店の「雑貨事業部」として明治時代に開業。現存する木造モルタル造りの建物は、緑のダイヤガラスや結霜ガラス、正面のアーチ型の装飾が特徴的で、昭和初期の面影がそのまま残る。近年では、JR木更津駅西口に点在するレトロ建築の一つとして、市ホームページで紹介されるなど、その外観が町おこしに使われてきた。
◆30年間手つかず
建物は長谷川さんの母親が相続し、約30年前に趣味教室として使われた後は、手つかずの状態になっていた。建物を取り壊す話が持ち上がったが、脱サラしてアンティーク販売などを手がけていた長谷川さんは「もったいない」と一念発起。昨年夏に約1カ月かけてリフォームし、当時住んでいた八王子市から引っ越してきた。
建物内は床がグズグズに腐り、隙間風が吹き込む荒れ具合。アンティーク好きの長谷川さんは「余計なことはせず、元の形に忠実にきれいにしよう」と、自ら壁にしっくいを塗ったり床を張り替えたりしてよみがえらせた。
◆11月「オープン」
昨年9月から店内で時計やライターの修理などを行っていたが、客が自由に出入りできるようになったのは今年11月初めから。「建物を見たい人もいるので開けよう」と思い立った。
店内には、店名の由来になった、光が当たると回転するガラス工芸品「ラジオメーター(独語でリヒトミューレ)」をはじめ、ダンヒルのオイルライター、オールドノリタケの逆輸入品などファン垂ぜんの逸品が並ぶ。15日には、自らデザインした紺色ののれんも届き、レトロな外観と相まったぬくもりある店が注目されつつある。
長谷川さんは「木更津は住むと悪くない場所。その良さをアピールしたい。『こんな店があるんだ』と思って喜んでもらえたら」と笑顔で話していた。
営業時間は午前11時から日没まで。休業日は不定期。問い合わせは同店、電話0438(38)3538。
(この項、「2015年12月16日 20:18」より)
さて、ここから戻ることにします。
通りの向かいにも蔵造りにつづく建物。
「ちばぎん」。
「上総銀行発祥の地」碑。
交通の要衝「木更津」
房総半島の中央部に位置する「木更津」は、古くは古東海道の要衝として位置づけられ、中近世には
化の影響を直接受けながら発展してきました。特に大坂の陣における木更津の水夫の功績により徳川氏から江戸
木更津間の渡船営業権を与えられたことにより「木更津船」が江戸と房総をつなぎ物資や人を輸送する交通の
て栄えることになりました。
明治期には港が構築されて更に海運が盛んになると共に、昭和期に入ると横浜・川崎とのカーフェリーの運行が行われ、海上交通も活発となりました。
自動車の普及と道路網の整備が進むと、交通手段が海上から陸上へと変化し、カーフェリーの運航は終了となりましたが、「木更津」は東京湾アクアライン・館山自動車道・首都圏中央連絡自動車道などの主要高速道路が交差する房総半島の玄関口として発展を続けています。
注:上の浮世絵「山海見立相撲 上総木更津 歌川広重」。
この思惑通りに発展しているのかどうか? 駅前の商店街のようすを見ると気になるところです。
今度は南に下って、「木更津会館(見番」)」。
千葉県唯一の現役見番が残っています
運が良ければおけいこの様子が聞こえてくるかも
現在も芸者のお稽古場となっている。
昭和30年代に建設された歴史ある建物
県内で使用されている現役の見番は木更津会館のみ。非常に貴重な建物。
現在、木更津芸者衆は11人。
江戸時代からの伝統伎芸と文化を継承しようと稽古に励んでいる。
(この項、「ファミリーロッジ旅籠屋・木更津港店」HPより)
「見番」というと、墨田区向島に「見番通り」という名の通りがあります。今度その付近を散策してみます。新たな発見があるかも。
というわけで、駆け足で木更津巡りをしました。この南に「証誠寺(の狸囃子)」が残っていますが、それは木更津から南に向かうときに寄ることにします。
最後は、「光明寺」にある「切られ与三郎」のお墓を。
このユニークなお店もパチリ!