おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

2020春。「春は名のみの風の寒さや」。隅田公園のサクラ。その2。

2020-03-26 20:10:20 | 隅田川

                        「言問橋」を渡って、再び墨田区側に。
                       

2階建てバスもお客がパラパラ。

橋の上から手が届くところに花びら。



橋のたもとにある「小梅 埼玉屋」さんで、桜餅と草餅を買います。

墨田区側は、池のある庭園風に。

             



小梅邸と明治天皇行幸」解説板。
 江戸時代、この地は水戸徳川家の蔵屋敷で、上屋敷の小石川邸(その外庭が小石川後楽園)が明治の初めに歩兵工廠となったため、この小梅邸が本邸(当主・徳川昭武:15代将軍慶喜の弟)となりました。小梅邸は、北十間川から隅田川に出る舟運の要衝であると同時に、水戸と小石川邸を結ぶ水戸街道沿いにあって街道の要衝でもありました。
 江戸時代から桜の名所であった隅田堤の桜が満開の明治8年(1875)4月4日、明治天皇が小梅邸に行幸され、その時の御製が石碑に刻まれています。これは徳川関係屋敷への最初の行幸で、明治政府と徳川の和解の場でした。行幸啓は以後5回に及び、明治29年(1896)には洋館が造られました。

注:江戸時代から明治の後期にかけては、「水戸街道」は日光街道の千住宿から分岐していたので、ここで言う「水戸街道(現国道6号線)」は存在していません。旧街道と現街道は葛飾区新宿(にいじく)で合流します。


公園内には、記念碑もあります。

花びら越しのスカイツリー。



根元に一輪。

築山風のところにもサクラの木々。

       

ここからのスカイツリー。

                

お目当ての枝垂れ桜はまだつぼみ。

 ところで、長い間工事中だった南側。東武線と接する道路や線路下のお店、さらに北十間川と大がかりな工事がほぼ完成。広々とした芝生広場などが開放されています。


            

          東武スカイツリーライン線の電車。

 さっそく春の陽気に誘われて家族連れやカップルがそれぞれくつろいでいます。


広場からのスカイツリー。

                     

 「春は名のみの・・・」は「早春賦」の一節。

 「早春賦」は、1913年(大正2年)に発表された吉丸一昌作詞、中田章作曲の日本の唱歌。
 『尋常小学唱歌』の作詞委員会代表であった吉丸一昌が、自作の75編の詞に新進作曲家による曲をつけ、『新作唱歌』全10集として発表した中の一作。
 長野県大町市から安曇野一帯の早春の情景をうたった歌とされ、旧制長野県立大町中学(長野県大町高等学校の前身)の校歌の制作のために訪れた吉丸が、大町、安曇野の寒さ、そして春の暖かさを歌った歌詞でもある。
 題名の「賦」とは漢詩を歌うこともしくは作ることを指し、「早春に賦す」が原義である。

歌詞
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か


 作詞の吉丸一昌(よしまる かずまさ)は、東京府立第三中学校(現両国高校)教諭(当時の教え子の中には芥川龍之介もいた)の経験もありました。その関係で、今も歌い継がれている「東京府立第三中学校・両国高校」の校歌(石原重雄作曲)を作詞しています。

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