おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東日本大震災から9年目。復興の掛け声と現実は?

2020-03-11 22:00:05 | 平和
 東日本大震災が勃発して9年が経ちました。たくさんの犠牲者を出し、完膚なきまでに破壊された地域。・・・大津波と福島原発事故とまだまだその爪痕はたくさん残っています。新型コロナを理由に大きな慰霊祭は中止となっています。もうすでに過去の出来事? そうなってはならない、と。
 大震災の2年後に現地を訪れたときの記録をブログに掲載しました。その一つを再掲します。(「震災」2年後の2月)
名取市閖上(ゆりあげ)浜
 名取川河口にある浜の名前です。河をはさんで北側は仙台市になります。
 宮城県の地名でも難読とされる閖上(ゆりあげ)ですが、今回の震災で甚大な被害を受けました。
・・・
「ゆりあげ浜」の文字を「閖上」と書いたのは,いつ頃か定かではないが,次のような話が伝えられている。
昔,仙台藩主が大年寺山を参拝したおり,山門内からはるか東に波打つ浜を見て「あれはなんというところか」と家来にたずねた。
「ゆりあげ浜と申します」と答えたところ,重ねて「文字はどのように書くのか」たずねた。「文字はありません」と答えると,藩主は「門の内側から水が見えたので,これからは門の中に水をかいて『閖上』とよぶように」といわれた。
それから「閖」の文字ができたと言い伝えられている。

(以上、「SendaiGumbos 仙台ガンボス: 閖上浜 doraneko-festival.blogspot.com/2011/03/blog-post_31.html」より引用させてもらいました。)

 翌日、ここを案内してもらった。途中、あそこの信号のところには何十体もの遺体が流れ着いて折り重なっていた、田んぼの用水路の中にもあった、白服の人たちが取り囲んでいるのを見ると、また遺体が見つかったんだな、と。
 まったく何もない地域が広がる。ここは住宅がたくさん建ち並んでいた場所。友人の家も失われた。車を運転しながらのつぶやきが切実だった。


はるか遠くの白雪の山並みは蔵王連山。仙台空港が遠くに見える。


一面何もない。ここの地域は土台からすっかり津波にさらわれてしまったのか。住宅地なのか田んぼなのかの区別もつかないほど。


冬の太陽の光がまばゆいほど。


送電線がかつてここで人びとの暮らしがあったこと、そしてこれからの再建の道の遠さを物語る。


一隅にあった卒塔婆。一周忌法要。まもなく「3回忌」を営む日がやってくる。


ほとんどの船が破損したり、流されたりした中で、奇跡的に残った知人の船。こうして今も無傷で停泊している。
 娘の名を付けて、「ASUKA」と。これからの希望を明日に託して。

 二日間、案内してくれた知人、その関係者の方々に感謝、感謝。また来ます。



 人に話せるほどの苦しみ、悩みや望みは、まだまだ軽いもの。人に語れない苦悩、そして願いは、ぐっと心の奥に秘めたまま。
 今回の震災。本当に「難儀だった」ことを思う。厳しい現実・過去を受け入れ、黙して語らない(語れない)深い思いは、未来への深い祈りに通じる。そんな人びとのあるがままの生き様をしっかり受け止めなければ、と。

 追記1:この時案内してくれた方は、当時、土建業を営んでいました。家の移転、仕事のこと、家族のこと、それらを差し置いて、震災復興の事業に関わっているさなか、亡くなりました。

 追記2:
【震災9年 東北各地で虹】宮城県名取市の閖上地区では、地震の発生時間にあわせて遺族たちが集まった場に鮮やかな虹が姿を現し、感激の声が上がっていました。(#東日本大震災 #震災9年 #nhk_news https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325801000.html…より)
コメント
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