おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR鴻巣駅~熊谷駅。その1。「災害復旧記念碑」。滝馬室橋。糠田橋。桜と菜の花。(「荒川」を遡る。第4日目。)

2021-04-19 21:21:38 | 荒川を遡る

4月3日(土)快晴。またまたやって来ました「荒川」歩き。今回は、熊谷駅まで。

JR「鴻巣」駅下車。西口から向かいます。住宅街を進んで荒川堤へ。

左手に「大間堤防」の一部か?

「大間堤防」は、明治8年(1875)に民間人によって建設され、規模は長さ508間(914m)、高さ1丈3尺(4.2m)だった。それを記念して、1897 年(明治 30 年)11 月建立された記念碑が、すぐ北にある「鴻巣市立鴻巣西中」にあるそうです。

大きな「災害復旧記念碑」。

1947 年(昭和 22 年)9 月 15 日カスリーン台風により、大間堤防は決壊し、行人樋管も破壊した。この堤防と樋管は 1948 年(昭和 23 年)5 月 30 日に復旧した。「災害復旧記念碑」として 1957 年(昭和 32 年)11 月建立。

・・・

荒川は山岳地帯を抜けると川の勾配や水勢も弱まり、特に、寄居町から熊谷地先で急にその流れが緩やかになります。この
熊谷地先が荒川扇状地の末端であるために、吹上地区をはじめ下流の東部低地では古来よりその乱流に見舞われ、水害に悩まされてきました。
このため、江戸幕府は 1629 (寛永6)年に河川改修の実績のある関東郡代伊奈忠治を命じて、荒川の流路を変えること
とし、熊谷市久下地先で土手を築き締め切りました。
荒川の主要な破堤箇所は、扇状地端で河床勾配が急激に弱まり、また、河川改修(西遷)による曲流点でもある熊谷市から鴻巣市付近に集中しています。

(この項、「」HPより)   

土手上に出ます。「御成橋」方向を望む。

上流に来すぎたために「滝馬室橋」をパスしてしまいました。上の写真で右手奥にあるはず。そこで、

(「YouTube」より)

「2019/12/16 · アップロード元: 地球紀行」。

上流を目指します。

「荒川左岸 62.0K」。

後方遠くに「御成橋」が。

対岸には「天然ガス」の丸いタンク(中央)や東洋製罐の工場(右端)が望めます。そして、中央に「滝馬室橋」がちょっと見えます。

右手は、「鴻巣市立鴻巣西中」。

堤防の斜面には、菜の花がいっぱい。

前方左に「糠田橋」が見えてきます。

その手前で、荒川の流れを見ようと河川敷の中を近づきましたが、工事のため立入禁止。

ちょっぴり見えました。

正面奥に堤防を望む。

農道を「糠田橋」へ。

頭上には ラジコン飛行機がうなりを立てて。

軽快に大空を飛び回る。高度なテクニックが要求されるようです。

       

河川敷は広大な農地が。

                 

「糠田橋」。

糠田橋が開通する以前は、糠田の渡しとばれる渡船2艘を有する私設の渡船であった。また、渡船場には1804年文化元年)頃までに設立された糠田河岸場が併設されていた。この渡船は昭和初期の荒川の改修により廃止された

昭和初期に新河道が開削され、それにより右岸側に分断された地区を結ぶために河道上に架けられた農耕橋が糠田橋の起源である。橋は船を7艘並べ渡り板を敷いた舟橋で、旧河道と新河道の分岐点上流側である現在の永久橋と同じ場所に架けられていた。・・・

(この項「Wikipedia」より)

                   

堤防に上がります。

サクラと菜の花の見事な共演。

                

しばし眺めながら、小休止。

サイクリングの若者も、自転車を停めて、休憩。写真に興じていました。                                       

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