おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その4。畔吉の渡場。榎本牧場。(「荒川」を遡る。第3日目。)

2021-04-09 20:14:53 | 荒川を遡る

軽飛行機が大空を。

この先、対岸にある「ホンダ エアポート」から飛び立った飛行機か?

           

草むらの奥に紫色の花がたくさん。

「ハナダイコン」。紫色というとスミレを思いますが。

一面の菜の花。

「畔吉(あぜよし)の渡場跡」解説板。

・・・寛永6年(1629)それまで現在の元荒川の流路をとっていた荒川は、関東郡代伊奈忠治により、熊谷市久下(くげ)地区で和田吉野川、市ノ川筋に瀬替えされた。これに伴い、新しい流路に沿って江戸建米の運送を公許された船問屋の舟運業がはじめられ、河岸場が次々と設けられた。

「新編武蔵風土記稿」に記載された荒川の河岸場は、武鼻(秩父市)、玉作(大里村)、高尾(北本市)、平方(上尾市)、羽倉(浦和市)、地蔵(同)の6ヶ所であるが、幕末には舟運はますます栄え、船問屋を中心とした河岸場は20ヶ所あまりもあったという。しかし、明治16年(1882)高崎線の開通により次第に衰微していった。

上尾市内の河岸場としては、平方河岸と畔吉河岸が知られているが、畔吉村は同時に比企郡へ渡場があったところでもある。畔吉の渡場は、前書「新編武蔵風土記稿」の正保年間中改定図に、畔吉舟渡し21間(約38㍍)と記されている。また「武蔵国郡村誌」には畔吉村の項に「渡し、村の西方荒川の中流にあり渡船2艘馬渡し」とある。

畔吉の本田家は、高瀬舟5艘を所有し、舟運業者として隆盛を誇った。明治11年(1878)、渡賃は持ち荷とも一人3,4厘、馬子とも荷馬2疋8厘という記録もあり、大正末期まで渡しが続けられた。

サイクリングロードは続く。

食堂などの案内板。歩きでは遠い! 

「食事処新道」。(「Googleマップ」より)

荒川の流れ。この辺りで小休止。のどかな草原。

この先には、牧場が。

右手に「榎本牧場」。牛がのんびりと。

榎本牧場(Enomoto Dairyfarm)は埼玉県上尾市の荒川沿いにある乳牛を飼っている酪農の牧場です。

牧場体験や、新鮮牛乳で作ったジェラートアイス・ヨーグルトの販売などをしています。

牧場では60~70頭の白と黒の斑模様の乳用種「ホルスタイン」を飼育していて、仔牛の体重は40~50kg、約2年半で体重600~700kgの成牛となり毎年のように赤ちゃんを産んで牛乳を出します。一頭ずつ電子タグでコンピュータで管理されており、毎日一頭から20~30kgの牛乳が24時間稼働の搾乳ロボットによって自動で搾られており、いつでも見学可能です。

乳牛の他にもニワトリ、チャボ、ミニブタ、ウサギ、モルモットなど多種の動物がくらしており、地元の方々による寄付のおもちゃの自動車や三輪車で遊ぶ事ができます。

荒川の眺めや自然を感じながら、ジェラートを食べてゆったりと。

上尾にあるあなたの知らない小さな北海道、「えのぼく」へ是非お越し下さい。

(この項、「」HPより)

               

この先ものんびりと歩きます。

                   

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