前方に大きな水門が見えてきます。「武蔵水路」。
「荒川」に向かう水路が見えます。
「武蔵水路」水門から荒川本流方向を。
右手に「糠田排水機場」の建物。
解説板。
「武蔵水路」の概略 「糠田排水機場」の役割
「武蔵水路」には、「旧中山道」や「日光千人同心街道」(八王子~佐野)などを歩いた時、ここから北方、行田市内で出会いました。
ちなみに、「日光千人同心街道」のとき、「荒川」は、東松山から鴻巣への途中、(この先、上流にある)「大芦橋」で渡りました。
「日光千人同心街道」の時の解説と写真を再掲。
武蔵水路について
昭和30年代、首都圏では経済成長に伴う人口の増加や生活の多様化により水道用水の需要の増加が著しくなりました。それに加え、昭和30年代後半から渇水が続き、東京オリンピック直前には深刻な水不足となり、真夏の首都は、「東京砂漠」と言われるほどの厳しい状態となりました。
そこで、既存の農業用水の安定化を軸に立案された利根導水路計画の一環として武蔵水路が計画され、都市用水及び浄化用水として利根川の水を首都圏に運ぶものとしました。
地元の方々のご理解とご協力により水路は短期間で完成し、清澄な利根川の水を休みなく送り続けています。
なお、平成27年度までには通水能力の回復や水路全体の耐震化を行い、リニューアルした施設へと生まれ変わりました。
武蔵水路の役割
武蔵水路は、利根川と荒川を結ぶ延長14.5kmの水路で3つの役割を担っています。
①都市用水の導水
利根大堰で取水した東京都と埼玉県の都市用水を荒川へ導水しています。(導水した水は、下流の秋ヶ瀬取水堰などで取水され、東京都の朝霞浄水場や埼玉県の大久保浄水場などへ送られています。)
②浄化用水の導水
荒川水系の水質改善のため、浄化用水を導水しています。浄化用水は、秋ヶ瀬取水堰から新河岸川へ朝霞水路を通じて流れこみ、下流の隅田川の浄化も行なっています。
③周辺地域の内水排除
周辺地区の河川の洪水や市街地からの出水を取りこみ、荒川に排水する事により浸水被害を軽減します。
(以上、「利根導水総合事業所」HPより)
交差する「見沼代用水」など他の水路とはサイフォンの原理などで交差しています。
けっこうな水量です。
上流方向を望む。
(以上、「日光千人同心街道」ブログ記事より。)
「利根川取水口」。
・・・
・・・
(「歴史的農業環境閲覧システム」より)取水口から合流点まで。
右岸・定点カメラの映像。
(この項、「」より)
さらに上流へ。道路には「逃げ水」が。
※「逃げ水」=風の無い晴れた暑い日に、アスファルトの道路などで、遠くに水があるように見える現象。近づいてもその場所に水はなく、さらに遠くに見え、まるで水が逃げていくように見えることからこの名前がつけられている。
荒川合流点に流れる「武蔵水路」。
ここからラジコン飛行機を飛ばしています。
北鴻巣駅方向を望む。
河川敷側。新緑の木々がすばらしい。
秩父連山が遠くに(↓)。
ところで、4月20日は、24節気の内、「穀雨」。「清明」の次。。田畑の準備が整い、それに合わせて春の雨の降るころです。穀雨とは、穀物の成長を助ける雨のこと。『暦便覧』には「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されている。
穀雨の終わりごろ(立夏直前)に八十八夜(立春の87日後の日)がある。(「Wikipedia」より)
この時期は、前年の秋に蒔いた麦の成長を促す春の雨が降り、清明の頃に蒔いた籾が稲に育っていく頃で、農耕にかかわる人々にとって恵みの雨となる。この時期に長引く雨を菜種梅雨(なたねづゆ)という。(「平成ニッポン生活便利帳」より)
春も終わりに近づき、夏になっていく時候となります。
近所の公園にて。
地元の方々の熱心なお世話のおかげで。
全国的に「雨」とは裏腹の快晴。関東地方では夏日になったところも。22日は、もっと暑くなるそうです。
近年。ソメイヨシノが満開の中で卒業式が行われ、入学式は、すっかり葉桜になった木の下で・・・。
現在の暦。関東エリアでは、おおざっぱに、12,1,2月―冬。3,4,5月―春。6,7,8月―夏。9,10,11月―秋。という感覚でしたが、春と秋の期間が短くなって、・・・。
寒さから急な暑さに、暑さから急な寒さにと、微妙な四季の移り変わりを味わう暇も無く、「冬夏」という二季になってしまったかのようです。