おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

ラフマニノフ 交響曲第2番

2005-12-12 20:38:39 | つぶやき
久々に、何年ぶりでしょうか
クラシック音楽を聴きにいったんですよ
いやあ寒い午後でしたが

ちょっと知っている大学の管弦楽の演奏会ですよ
まあどうせ大学のお遊び程度くらいにしか
思っていなかったんですがね

義理もあったものですから
なにね、こうみえてもけっこう義理堅いんですよ
私だって

でま、寒い中、出かけたわけですよ、昼飯もそこそこに
寒い外から入ると
会場が暖かくて
もう始まる前から睡眠学習って雰囲気

でもお客さんも、ほどほどしかいないんで
簡単に寝るわけにはいかない

意外と気づくんですよね
舞台から客席のようすが

私も経験がありますが
なんだこっちは一生懸命話しているのに
寝てるんじゃないですよって
つい思うこともありますんでね

義理鑑賞だからいいやって
なわけにもいかないんですね、これが

そこで始まりましたね
なんですか管弦楽ってやつは
始まる前の音合わせ弦楽器や管楽器や
次第に音を合わせていく
いいですね、だんだんと盛り上がっていく感じが

芝居は
始まる前の客席のざわざわした感じが
好きですがね

最初はベートーベンからでした
安心して聴けましたね、定番ですから
次はよく分からない人の作品でした
それでも90人くらいいますか
一生懸命やっているのが伝わってきまして

そして今日のお目当ては
ラフマニノフの交響曲第2番
どちっかっていうとマイナーな曲だと思うんですが
高校や大学のオケでは大流行らしいですね

もう一人なんと言いましたかね
カラシニコフとかカリ何とかニコフとか言うんですかね
この人も学生好みらしいですね

この曲もCDも3,4枚しか出ていないらしいですが

けっこう長い曲で
どうにもつかみ所のない曲想でしたね
どうも作曲家が不安定な心の状態で作ったような

でも、第3楽章なんかは
とても美しい旋律で聴かせるものでした

アマチュアの学生のやる演奏は
たぶんにイメージトレーニングで
やるような感じがしていましたが
まさにこの曲はそうした学生演奏家には
ぴったりの雰囲気がある

そこそこ旋律が分かりやすいですから
情感とか深みとか所詮ないものねだりですが
それでも実にのびのびと
情熱的に奏でていました

実は聴く前、少しバカにしていた私ですが
感動しました、久々に
それほどうまく観客をのせることのできる曲なのでしょうね

第1楽章から第4楽章まで
けっこう上手にこなしていました
ハーモニーがよかったでした

部分的にはどの楽器も
特に管楽器が入りの音の不安定さは気になりましたが
これも、ご愛敬でしょう
演奏している連中ののりがよければ
いいのではないでしょうか
なにしろ90人くらいいましたから

まあよかったですね、ただで聴けたんですから
でも、一度ああして舞台に立って
スポットライトを浴びて演奏する快感は
一度やったらやめられないような気が

無芸大食のみの私には
無縁の世界でしたが
皆さんがんばり~や~!と声援を送りました

いっそう寒くなった
夕暮れ時の道を
何となく満たされた気分で
帰ってきましたよ
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M党のMくんはPart2

2005-12-11 23:15:25 | 平和
 政治家の資質として大事なのは、良くも悪くも信念。反対されようと賛成されようといずれも動じない。かつては哲学ともいったが、それほどの哲学がある政治家はいなくなってしまったから、そうまでは言うまい。今時の政治家は、政治屋さんになって、食うための職業と化しているかのような人も、多くなったから。
 しかし、保守・革新を問わず、信念堅固な政治家は、国民からも一目置かれる。かくいうコイズミさん。頑ななほど自己を貫く。それが国民の支持を受ける一因でもあるのだろう。
 それが、今時の政治家と違って、コイズミさんの真骨頂。あれだけ靖国でたたかれながらも、けっして発言を曲げない。もう今や他の政治家は諦め顔。それが実に敵ながらあっぱれの政治姿勢だ。
 一方のM党・党首のMくん。いったいどういう政治信念をお持ちなのか、皆目分からない。アメリカに行けば、アメリカ好みの発言をし、中国へ行けば、トーンダウンの発言を行い、・・・。
 自民党保守派以上の過激なアメリカでの反中国発言。さらに、憲法第9条改悪発言・・・・。その発言を党内各所から批判される有様。もうまるでコイズミチルドレン以上の状態。
 それを貫くならまだしも、どうもそうならないところが、Mくんのバカさ加減。どんな反対意見があろうと、我が信念を貫く決意があるのかないのか。今度は中国に行って、アメリカでの発言を半ば撤回したような発言をしてくる。
 外交は、国と国とのしのぎをけずる政治の場。その場のスタンスが右に左にぶれたんじゃ、全く外交では信頼されない。まさか外交なんてものは、言葉の駆け引きだ、くらいに思っているわけではないだろうが。まるで、国民からもアメリカからも中国からも信用されない。
 これじゃ、コイズミさん「外交では民主と大連立でいこう」なんて言いながら、舌を出しているに違いない。これほどひどい野党党首。国民の民度の低さを物語ってもいるか。ますます政治がつまらなくなった。
 否、「大連立」どころか、Mくん、いよいよさっさと自民党にくら替えした方がいいのでは?そうすれば、かえって政治が面白くなるかもしれない、勿論、国民の利害はそっちのけの、離合集散という意味で。
 何ともどうしようもない人が、野党のトップに立ったものだ。民主党内では皆、今、だんまりのままただ見つめているだけなのだろうか。
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駅名の不思議

2005-12-06 23:16:57 | 世間世界
 たまたま乗り合わせた電車。京急。ぼんやりと座席に座って、駅名案内板を見ていると、一風変わった駅名が目に付きました。
 「雑色」は、貴族社会での下層役人階級の職名のような気がします。それがどうして蒲田付近に残っているのでしょうか? 「梅屋敷」なんていうのも、曰わく因縁がありそうな駅名です。不思議なのは、「品川」を出て次の駅が「北品川」。どう見ても、電車は南に向かって走っているような。本来は、南品川という感じですが。もともと東海道・品川の宿の位置と関係がありそうな。
 「新馬場(しんばんば)」。「青物横丁」なんていうのも、興味深い駅名です。「六郷土手」。多摩川の手前にあるからなんでしょうが、「六郷」というのはあの辺一帯。どういういわれがあるのですかね。
目を京成電車に向けると、「お花茶屋」があります。これも何か物語がありそうな。「青砥」。これは青砥藤綱にちなんだ駅名ですか。「白波五人男」で川にお金を落とした人物ではなかったかしら。そのあたりの地名の「青戸」との違いが面白い駅名です。
 そういえば、かつて東武伊勢崎線で、「玉の井」という駅名が、「東向島」と改名されたことがありました。かつての遊郭の地というイメージが強いので、地元の意向で改められたようです。
 「東向島」というのも何だかありきたりで、前の駅名に比べると、意味深い感じがしませんが、しかたがないのでしょうね。最近では、耐震強度偽造マンションがあることで、「東向島」という地名が全国版になりました。皮肉なものです。
 「曳舟」も川の名。荒川放水路が出来て分断されていますが、墨田から遠く足立のほうまで続く用水路のようです。「八広」も、以前は「荒川」と言っていたらしい。たしかに荒川の鉄橋の手前にあるので、そういったのでしょうが、今は、末広がりの縁起をかついで、「八広」にでもしたのでしょう。
 まあ、ぼっと見ていただけなので、あんまり根拠がありませんが、駅名も世の流れにつれて、また変わっていくのでしょうか。暇なひとときでした。
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公明党、児童手当

2005-12-05 21:01:56 | 平和
とひきかえに、「防衛省」を容認、さらに、「国民投票法」も認めることに。
 防衛省には、「平和」とか「国際貢献」とかの意味合いも入れて貰いたいと申し入れたとか、相変わらずの逃げ道用意。なんということはない、つまりは、学会向け(それも一部の婦人部や青年部員に向けての)のコメントに過ぎないのだ。
 それにしても、児童手当増額を取引材料にするとは、彼らには政治理念も何もないことがますますはっきりした。ただただ、1票ほしさのためなのだ。すなわち、2年後の参議院で1000万票獲得を目標。これに向かってすでに組織は動き出しているらしい。
 もっともっと公明党が「平和」とか「福祉」を売り物にしながら、国民の目を欺いていることに注意する必要があろう。ファシズム(全体主義)への道はこうして創価学会の狙いに即応しているとも思えるのだ。
 もともと、創価学会が戦争に反対し、平和を守るなどというスローガンはまやかしにすぎない。彼らの歴史をみても、けっして戦争に反対したわけでもないし、投獄されたのも反戦のためではなかったのは、歴史的事実である。
 また、戦後、学会が飛躍的に会員を増やしていったとき、彼らは戦争を鼓舞する歌を、一部言い換えて皆、大声で歌って会員を動かしたのだ。その組織も、まるで軍隊まがいの組織名であった。戦争を批判するかっこうをしながら、戦争の「うま味」の部分を利用したともいえよう。
 さらに、組織を批判する者への容赦ない攻撃、自分たちへの批判はほんの少しも許さない独善的な姿勢は、表面的なソフト路線とは裏腹のものである。だから、自分たちの組織に有利になると判断すれば、平気で妥協し、これまでの主張をごまかし、ひとたび不利になると判断すれば、またごまかし逃げをうち、また弱い敵とみれば陰に陽に恫喝していく。
 コイズミさんも、そのあたりをうまくコントロールしているつもりだろうが、今や学会票なくして当選がおぼつかない、自民党議員のいることを考えると、コイズミ政治の脆弱さがわかる。今回の「コイズミ劇場」選挙で巨大政党となった自民党のアキレス腱は、実に公明党・学会頼みであるところだ。そうそう、民主党議員の中には学会票をあてにして向きもいるらしい。なんということはない、日本の政治は学会に握られてしまった。
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公的援助とバランス

2005-12-04 22:44:40 | 世間世界
 耐震強度偽造問題。被害が明らかにされるにつれ、住民に対する避難勧告や、そのための公営住宅の斡旋などあわただしく動き始めている。また公的資金援助の動きも急だ。
 しかし、建設会社も計画?倒産したり、販売会社も発言に信用性が全くない。国会での質疑も、互いに責任の押し付け合い。議員の質問・追求も新聞報道に頼り切ったものでしかなく、今ひとつ迫力に欠けている。まるで公的援助のためのアリバイづくりにしか思えなかった。
 国会に顔を見せなかった、姉歯建築事務所一人を悪者にしているわけではないだろうが。いつしか被害にあった住民への公的補償?に話題の中心が移っている。
 なろほど、国は、今回、実に手際よく補償路線を進んでいる。まさにすばやい対応ぶりだ。
 それにしても、と思う。これまで欠陥住宅騒ぎは、けっこうあった。被害者も多く出ている。マンションもそう。また、阪神淡路大震災をはじめ、大きな地震で倒壊したり、壊滅的な被害を受けた住宅・住民も多くいる。その人たち・家屋への補償はそれこそ充分であったろうか。また、高額の欠陥商品をだまされて買わされ、路頭に迷った例もあったような気がする。
 それに比べると、どうも今回、政治的判断が大きいような気がする。過去の事例との整合性についても、これから起こるであろう、欠陥住宅問題補償とのバランスはどうなのだろうか。政治家の勢いにおされてか、これまでのような役所からの発言は小さい。
 「自己責任」という言葉の好きな議員も、今回、住民は一方的な被害者にすぎない、なけなしの金をはたいて欠陥商品をつかまされた、気の毒だとして、手厚く保護しようとしている。
 裏に、政治的駆け引きはないだろうか。学会デイジンのもとで、「被害者救済」の美名に隠れた、建築事務所・建設業者・販売業者がつるんでの不当な動きはないだろうか。
 弱者救済・被害者救済の、一大政治的キャンペーンにしか見えないという小生の考えは、まったく不当なものであろうか。
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ALWAYS

2005-12-01 22:26:35 | お芝居
 毎月1日は、映画の日。1000円で見ることができます。60歳以上になるといつでも1000円でしたっけ。そこで、「TAKESHIS」に続いて見てきました。「ALWAYS(3丁目の夕日)」。
 昭和30年代の頃、ちょうど東京タワーが出来る頃の設定。根強い読者のいる「3丁目の夕日」が原作のようです。小生、なんとなく絵柄は思い出せるのですが、これといった印象がありませんでした、原作のマンガには。
 映画化されてみて、ほのぼのとした情感溢れる作品に仕上げっています。東京タワーの見える街並は、具体的にはどのあたりを想定しているのかわかりませんが、品川行きの都電が通る大きな通りからちょっと入った街。たしかに実在しそうで実在しない街のようすです。
 テレビでの力道山。東北からの集団就職。駄菓子屋。ちょっといわくあるげなな居酒屋。たばこ屋のおばさん。自動車修理工場。戦争で家族を失った人。そうした中で、テレビ・冷蔵庫・洗濯機の3種の神器を購入できたのが、自動車修理の町工場であったりします。自動車・ミゼット、スクーター・・・。蒸気機関車。通行人の服装・・・。
 よくも復元できたものだと感心しました。広い通りをその当時の車が走っています。上野駅も昔のまま。銀座の通りも。自動車マニア・蒸気機関車マニアなら垂涎の時代考証。たしかにCGを駆使して違和感なく描いていました。
 登場人物たちも皆、予定調和に近い、人情の持ち主。唯一の悪役は、少年の実の父親のみ。それぞれが持ち場持ち場で、支え合いながら生活している。
 今はもう忘れ去れた、そんな街のぬくもり。皆が貧しいからこそ、共に互いを大事にしている、そうしたメッセージが観客に伝わってきます。そしてラストは、夕日に染まった町並みと人々の顔。まさに郷愁の世界でした。
 しかし、一方で、一番の稼ぎ頭が自動車修理工場の男ですし、東京タワーがそうした人々の暮らしを、足元に押しつぶすように着々と完成に近づいきます。
 そこに、高度経済成長の波に乗ろうとしている、がむしゃらな当時の日本の姿が描き出されています。
 「過去の歴史は、現在に規定される」とは歴史的見方の当然のスタンスですが、この映画には、まさにそうやってがむしゃらに右肩上がりの行動成長をしてくる中で、すっかり失ってきたものの元凶を告発するかのような、歴史観がみられるのです。その象徴が、最後の東京タワーと夕日の組合せの皮肉さではないでしょうか。 夕日を眺める人の心が、一日のどす黒い生きるための人間生活を、一瞬でも洗い清めてくれる、それは一時の、実は幻想にすぎないことを見事に描き出しているように思いました。
 もし、観客が時に涙を拭きながら、この作品に郷愁を覚え、忘れてきた人情に感動するとしたら、それは、己もまた、自己弁護にたけた現在の日本人の一員であることの再確認でしかないように思えるのです。
 しかし、この映画を観ている、その時間だけでも、他人への思いやりや通い合いを失った、今の日本の社会の心の貧しさを互いに認めあうことも、もしかしたら、そこから何かが生まれて来るかも知れません。美しい夕日は、必ず翌朝の晴れた空につながるハズですから。
 このつぎは、「SAYURI」をみにいく予定です。
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