百年文庫のうち、93巻「転」と94巻「銀」の二冊。
「転」は、1800年代中期から後期にかけてのイギリス、スペイン、ドイツの作家の作品。この時代は、日本では、幕末から明治へと激動の時代。今再び大やはりの「維新」の時代でした。もちろん、ここに登場する作家たちは、はるか遠く東のはずれの日本での大騒動を知るよしもなかったようです。
内容的には、牧歌的な的な筋立て(よく言えば分かりやすい、話の展開が読める)。「転」とは機転の「転」とか、人生の「転」換点とかといったような括りでいいでしょうか。コリンズとリールの作品は、自らの人生を勇気と情愛で切り開く、その運命的なきっかけ・転換のおもしろさを描き、アラルコンのものは、機転を利かせて農作物を盗人から奪い返す、というお話。いずれも、小説作法としてはオーソドックスな作品。
これに対して、「銀」。これは、日本の作家の作品が三つ。堀田善衛「鶴のいた庭」。 明治維新以後、急激に資本主義国家として発展する日本の中で、追いつけず没落していった生家の廻船問屋。その曾祖父の晩年の生き様を描いている。
小山いと子「石段」。佐渡で出会った親子連れ。観光地に「私」に同行し、野卑な振る舞いをする父親に悪感情を抱き続けていた。それが旅の終わりになって、母親との復縁の願掛けのために、不自由な足で必死に上る父の後を追う子どもたちに、父への切ない思いを感じるという結末。芥川の「蜜柑」という小説を彷彿させました。
徹底した私小説作家だった川崎長太郎。「兄の立場」。生家の魚屋という家業を継がずに文学に没頭する自分。後を継いだ弟への後ろめたさ、自分を非難しながらも、何かと気にかけてくれる両親への気遣い。その中で、葛藤する自らを描いている。
三つの作品に共通する舞台は、海。「銀」色の波しぶきを感じさせた。それぞれが歩んでいく人生。それがいつかはいぶし銀にも通じるか。
「転」は、1800年代中期から後期にかけてのイギリス、スペイン、ドイツの作家の作品。この時代は、日本では、幕末から明治へと激動の時代。今再び大やはりの「維新」の時代でした。もちろん、ここに登場する作家たちは、はるか遠く東のはずれの日本での大騒動を知るよしもなかったようです。
内容的には、牧歌的な的な筋立て(よく言えば分かりやすい、話の展開が読める)。「転」とは機転の「転」とか、人生の「転」換点とかといったような括りでいいでしょうか。コリンズとリールの作品は、自らの人生を勇気と情愛で切り開く、その運命的なきっかけ・転換のおもしろさを描き、アラルコンのものは、機転を利かせて農作物を盗人から奪い返す、というお話。いずれも、小説作法としてはオーソドックスな作品。
これに対して、「銀」。これは、日本の作家の作品が三つ。堀田善衛「鶴のいた庭」。 明治維新以後、急激に資本主義国家として発展する日本の中で、追いつけず没落していった生家の廻船問屋。その曾祖父の晩年の生き様を描いている。
小山いと子「石段」。佐渡で出会った親子連れ。観光地に「私」に同行し、野卑な振る舞いをする父親に悪感情を抱き続けていた。それが旅の終わりになって、母親との復縁の願掛けのために、不自由な足で必死に上る父の後を追う子どもたちに、父への切ない思いを感じるという結末。芥川の「蜜柑」という小説を彷彿させました。
徹底した私小説作家だった川崎長太郎。「兄の立場」。生家の魚屋という家業を継がずに文学に没頭する自分。後を継いだ弟への後ろめたさ、自分を非難しながらも、何かと気にかけてくれる両親への気遣い。その中で、葛藤する自らを描いている。
三つの作品に共通する舞台は、海。「銀」色の波しぶきを感じさせた。それぞれが歩んでいく人生。それがいつかはいぶし銀にも通じるか。