おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書「転」「銀」(百年文庫)ポプラ社

2012-03-09 20:38:13 | 読書無限
 百年文庫のうち、93巻「転」と94巻「銀」の二冊。
 「転」は、1800年代中期から後期にかけてのイギリス、スペイン、ドイツの作家の作品。この時代は、日本では、幕末から明治へと激動の時代。今再び大やはりの「維新」の時代でした。もちろん、ここに登場する作家たちは、はるか遠く東のはずれの日本での大騒動を知るよしもなかったようです。
 内容的には、牧歌的な的な筋立て(よく言えば分かりやすい、話の展開が読める)。「転」とは機転の「転」とか、人生の「転」換点とかといったような括りでいいでしょうか。コリンズとリールの作品は、自らの人生を勇気と情愛で切り開く、その運命的なきっかけ・転換のおもしろさを描き、アラルコンのものは、機転を利かせて農作物を盗人から奪い返す、というお話。いずれも、小説作法としてはオーソドックスな作品。
 これに対して、「銀」。これは、日本の作家の作品が三つ。堀田善衛「鶴のいた庭」。 明治維新以後、急激に資本主義国家として発展する日本の中で、追いつけず没落していった生家の廻船問屋。その曾祖父の晩年の生き様を描いている。
 小山いと子「石段」。佐渡で出会った親子連れ。観光地に「私」に同行し、野卑な振る舞いをする父親に悪感情を抱き続けていた。それが旅の終わりになって、母親との復縁の願掛けのために、不自由な足で必死に上る父の後を追う子どもたちに、父への切ない思いを感じるという結末。芥川の「蜜柑」という小説を彷彿させました。
 徹底した私小説作家だった川崎長太郎。「兄の立場」。生家の魚屋という家業を継がずに文学に没頭する自分。後を継いだ弟への後ろめたさ、自分を非難しながらも、何かと気にかけてくれる両親への気遣い。その中で、葛藤する自らを描いている。
 三つの作品に共通する舞台は、海。「銀」色の波しぶきを感じさせた。それぞれが歩んでいく人生。それがいつかはいぶし銀にも通じるか。
  
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本所。深川。五間堀・六間堀。

2012-03-08 18:29:34 | 歴史・痕跡
 江東区森下町界隈。このあたり。西に隅田川、その隅田川からの水路が北に竪川、南に小名木川とあって、その間、縦横に堀割・水路があった。今は、その堀割は、公園や道路となっている。そのうちで、今の地図で確認すると、都営地下鉄新宿線・森下駅の北側に二本の直線道路が西南から東北に。その三角形に区切られたところが、墨田区(本所)と江東区(深川)の区界。その道路は、ほぼ南北に貫く清澄通りを横切っている。さらに、昭和22年当時の航空写真(goo)では、南北に貫く水路(そこそこ幅がある)も写っている。明治初期の地図ならなおさらはっきり。もともとは、本所の竪川と深川の小名木川をつなぐ(小名木川まで開通するのは後代のこと)堀割。南北の道路が六間堀。東北に伸びる道が五間堀の跡。
 写真は、五間堀公園、五間堀の跡。都営地下鉄「森下町」駅の地上入口付近。清澄通りを渡ったところには「弥勒寺橋」跡の標識があり、六間堀のいわれも記されている。
 特に五間堀付近は、昭和20年3月10日・東京下町を襲った「東京大空襲」で大きな被害を被った。そのときの瓦礫などが捨てられ、川筋いっぱいに埋まってしまった。その後は、ゴミ溜めのごとくに・・・。そのためか、戦後しばらく経ってから埋め立てられ道路となり、、今は跡形もない。区界なのがその唯一の「痕跡」。
 この辺りは、池波正太郎「鬼平犯科帳」の世界だ。
この界隈は寺町。
かつての水路は、住宅地になって、こじんまりとした公園の名に「六間堀」の名が。
新大橋通り。道路が少し盛り上がっているところが目立つ。下には川はない。かつての水路に架かっていた橋のなごり?
新大橋通沿いにある「みの家」。さくら(馬肉)鍋で有名な老舗。
八名川小に設置されている「新大橋」の橋名板。「志ん於ほはし」。この小学校の東側の道路がかつての水路跡。
竪川橋からの竪川。東側は小松川・千葉方面に向かう首都高の橋脚下になって、水路は一部分のみ。
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読書「恋する原発」(高橋源一郎)講談社

2012-03-07 20:04:33 | 読書無限
 刺激的過ぎる書。良識派からは不謹慎、いくら表現の自由があるからと言ったって、というような具合に。福島第一原発事故をモチーフにした作品は他にもあるだろう、ただし、小説的なものではなくて。これは、タカハシさんなりの(顰蹙文学としての)原発事故のとらえ方である。
(信じるしかなかった、信じ込まされた)安全「神話」が瞬時にして崩壊し、多くの地域・住民を巻き込んでの大惨事。
 現在の人間だけでなく、未来の人間(生まれてくるであったろう人々)の生存権までも奪ってしまった、現実。福島県の人口は(日本全体の人口が減少は、するのだが)20年後には事故前の50%~60%に減少するという予測も登場している。
 カワカミヒロミさんの「神様2011」によってタカハシさんが触発された、あるいは、『苦海浄土』イシムレミチコさんに語らせているように・・・、結局は脆弱に過ぎなかった、と一撃の下に暴露された日本という国土の、政治の、経済の姿をとらえ直している。
 そんなばかな!この小説だかなんだかわからない書き物は、たかがAVディレクターの世迷い言の世界。読むに堪えない下品な語句の羅列によって繕っただけのものではないか、という批判、あるいは無視、侮蔑・・・。それを甘んじて受けてもいいと居直って(そう計算して)読まれる作品。いや!痛快・痛快。
 人間の根源的な生の生き様をオブラートに隠していた世間、常識をあえて暴いて見せた、という言い方も実に通俗的ですが。
 これまで「神話」とか「物語」というきれいな表現で見失ってきたものをとらえ直す時期なのかもしれません。でも、物語を喪失させた時代からは、いったい何を見いだすことができるのか。そこを見据えたとき、「物書き」の真骨頂があると思います。
 すでに薄消しより、無修正のものが、あるいはますます過激になって巷に(まさにネット上に)出回っている現在、タカハシさんなりに、少しおとなしめに(わざと郷愁的に)描いた業界話でもあります。
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雨上がり。昼下がり。スカイツリー。

2012-03-06 17:56:07 | つぶやき
 昨日からの雨も上がって、曇りから晴れの天気に。気温も急上昇。動いていると汗ばんでくるような陽気です。久々にスカイツリーを見物に。空もだんだんと澄んだ青空に変わって、はじめは上の方が雲に隠れていましたが、次第に全貌が見えるようになってきました。
 京成電鉄・押上駅駅側もスカイツリーへの誘導路、バスターミナルが新設され、広い道路も新しくでき、駅前交番なども、瀟洒な建物として移設されていました。東武の「業平橋」駅が「東京スカイツリー」駅になるとか。「押上」という駅名も変わるのでしょうか。
 南側を流れる北十間川の護岸整備工事も着々と進んで完成間近。スカイツリー関係者の出入りも増えて活気づいてきました。
雨が上がったばかりのスカイツリー。上の方はまだ雨雲の中。
みるみるうちに明るくなって雲が切れ、スカイツリーもすっかり見えるように。
建物の1階部分。上の方がエレベーターホール?
東武側からのスカイツリー。晴れてきたせいか、見物人も増えてきました。
少し色づき始めています。
東武線高架橋の間からのスカイツリー。
所用を済ませて帰りの写真。源森橋から。すっかり青空に。
橋桁の間から水辺に浮かぶ姿。
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3月3日。桃の節句。雛祭り。

2012-03-03 21:21:54 | つぶやき
 今日は、晴れてぽかぽか陽気。近所の公園にも子どもの姿がちらほら。元気に飛び回っていますが、例年よりも少なめ。この公園。放射線量の測定では、けっこう高い値が出たことも。そのせいばかりではないでしょうが、保育園もあるし、小学校の仮グランドもあるし・・・。
 川上弘美さんの小説「神様」。18年も前に書かれた作品。その2011バージョン。「神様(2011)」。発表当時からカワカミワールドで「くま」が主人公のおもしろい作品でしたが、それを書き直して、二つの作品を同時に一つの雑誌に掲載した、という。その内容を高橋源一郎さんの『恋する原発』(「発」の後に例の記号が付されていますがそれはカット)を読んでいて目にしました。
 原発事故で避難・立ち入り禁止地区になり、事故以前には水辺で遊び戯れていたすっかり子どもたちがいなくなった川原。防護服の男たちとがくま連れの私に話しかける場面。語りかける背後には、子どもたちの姿・声が(18年前の作品のように)幽霊のような存在で、防護服の会話とオーバーラップしていく。
 この「奇妙な」場面を高橋さんは(「恋する原発」=ポルノビデオ制作者の目から語られる物語)、小説の展開とは離れて登場して? 子どもたちはあの日に死んだ子どもたちなのか、遙か先にこの原発事故の汚染で殺されてしまう子どもたちなのか、また生まれることができない子どもたちの声なのか・・・、と自問自答するという、実は話自身がタカハシ的な世界ですが(「神様2011」の作者は、川上弘美ではなくてカワカミヒロミです)。
 ふと、つい先日読んだ内容を思い出しました。眼前の風景がそういうわけではありませんが、心なしかモモの花もウメの花もまだまだ1分咲きにもなっていないようです。
子どもの姿はわずかです。工事現場の塀に囲まれた狭い遊び場。
サクラの木。
ご近所の夏みかんの木。黄色い実がたわわに実っています。
柚の木。わずかに実が残っています。
リュウノヒゲの実。透き通るような青い実を付けます。芝生のように地面に這うように生える草ですので、あまり気づかれないかもしれません。すてきな雰囲気です。ぜひ見つけてください。

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昨日の雪も今いずこ

2012-03-01 22:38:13 | つぶやき
気温低く、記録的大雪も=今冬の天候まとめ―気象庁(時事通信) - goo ニュース
昨日の寒い雪日から一転ぐっと暖かく、いよいよ春が、と。外は曇り、そして明日は雨らしい。それでも平年より、暖かい日が続くという。この「平年」は何を基準にしているのでしょうか。過去10年くらい、それとももっと長いスパーンが基準。温暖化で20年も30年も前から比べるとたしかに暖かくなってはいますが。一方で、記録的な低温傾向が今年の冬だった、とか。このように、記録の比較上では、はっきりしますが、「平年と比べて」となると、何ともあやふや。
 そこで、気象庁の定義。
 
 平均的な気候状態を表すときの用語で、30年間の平均値を用い、西暦年の1位の数字が1になる10年ごとに 更新している。

ということは、2011年からさかのぼって30年ということですか。1980(昭和55)年からの30年? そろそろ温暖化の傾向が出始めた頃からですかね。
 それでも、もう3月。世間では、年度末。都立高校の卒業式も今日あたりから、ちらほら。新たな春を夢見ての(かどうか分かりませんが)
、それぞれの旅立ちには間違いありません。
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