Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

台所からキッチンへ(10)

2022年03月03日 06時30分01秒 | Weblog
 統治権をフェアアイニゲン( vereinigen (総攬・統合))する主体を失い、また「富国強兵」のうち「強兵」を禁じられ、いわば車のハンドルと両輪のうちの1つを失った国民が、その後どのような道を辿ったかについて、分かりやすくするため次のような架空の高校を考えてみた。
 ちょっとだけ「魁!!クロマティ高校」に似ているかもしれない。

 「『大日本帝国高校』は、文武両道で有名な新興の進学校である。
 この高校には、「富国」(勉強)科と「強兵」(運動)科という2つのコースがあり、みんなから「父」として敬われる校長先生の指導のもと、生徒たちは日夜勉強とスポーツに励んでいた。
 ところが、あるとき、「強兵」科の生徒たちが「アメリカ高校」を中心とする高校連合との間で大規模な乱闘事件を起こしたため、「大日本帝国高校」は一時休校を余儀なくされ、校長先生も責任をとって職務を停止した。
 その後再開した高校には、「アメリカ高校」の経営母体から新しい理事長が送り込まれ、校名も「アメリカ大学付属日本高校」へと改称された。
 校長先生は復職したものの、実権は理事長が握っており、校長は事実上の名誉職とされた。
 高校の再開と同時に「強兵」科は廃止され、元「強兵」科の生徒たちも含め全員が「富国」科に所属して、一生懸命勉強(経済活動)に励むこととなった。
 「強兵」科出身の大松先生は母校で教鞭をとることとなり、スパルタ式の指導で有名となったが、同世代の父兄からの信頼は厚く、生徒たちからも父親のように敬われた。
 その大松先生の一番弟子は、志げという優等生で、元「強兵」科の生徒たちと一緒に寝る間も惜しんで勉強(経済活動)に専念し、全世界の高校が参加するGNPコンクールで2位に入賞するなど、高校の名誉挽回のため大活躍した。
 この功績により志げは生徒会長に就任したが、他校の生徒たちは、命を削って勉強する志げたちのことを「エコノミック・アニマル」などと呼んで蔑むようになった。
 また、学内にも、志げたちのことを「モーレツ社員」、「企業戦士」、「実業紀原始人」、「スーツを着た首狩り族」などと批判する人が出てきたが、そういう人たちはごく少数に留まっており、目立った動きをしようものなら志げたちのグループからからイジメを受けた。
 ところで、志げは、もちろん大松先生を心から尊敬していたが、もう一人尊敬する先生があった。
 それは、司馬遼太郎先生である。
 司馬先生の授業は、1科目を受けるだけで日本史と現代文の2科目の単位を取れるというので、生徒たちに人気だったのだ。」

 
コメント
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