Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

台所からキッチンへ(11)

2022年03月04日 06時30分32秒 | Weblog
百年の誤読 岡野 宏文 著 , 豊崎 由美 著 ”展開がスピーディ、『竜馬がゆく』”
豊崎:そうそう、小学生が読んでも楽しい小説ですからね。ただ、読まれ方っていうのは、『徳川家康』と同じ現代投影型だと思うんです。藩の意識を超え、さらには国の意識をも超えて雄飛する壮大な構想を抱いた竜馬に、我が身を重ねる高度成長期の日本のサラリーマンみたいな。
岡野:学生運動している連中なんかも読んだんだろうね。竜馬の自由奔放さに憧れてさ。だって、黒船を一人で、<生けどり>に行こうとするんだぜ。
豊崎:奔放すぎ(笑)。
岡野:そういう竜馬の生きかたなり、行動なり、その根底にある美学や思想みたいなものは、少なくとも第一巻ではあまり明らかにしてないんだよね。じゃあ、どうして竜馬はそういう行為を選んだのかというと、「だって竜馬なんだもの」、そんな書き方になってる。そこが今のベストセラーと一脈通じるところだと思ったんだけど。
豊崎:たしかに、竜馬は生まれつき魂の中に備わった”天の意志”みたいなものに突き動かされて疾走してるってイメージを、司馬さんは最初から提示してますからね。
岡野:なんせ、背中にたてがみが生えてる男だから(笑)。


 昭和43年(1968年)のベストセラーは、司馬遼太郎「竜馬がゆく」である。
 問題は、この小説の内容というよりも、その読まれ方である。
 加藤周一氏のような論者は、これが「モーレツ社員」のエートスとして機能したことを指摘している(愛情なき辛口)。
(断っておくと、私は司馬氏の小説は決して嫌いではないし、この種の系譜に属しない司馬氏の小説もある。)
 岡野・豊崎コンビが指摘する通り、多くの司馬作品には確かにそういった側面があり、司馬先生には気の毒だが、「読むテストステロン」として誤読(誤用)されてしまったという気がする。
 ちなみに、昭和50年(1975年)のベストセラーも司馬氏の「播磨灘物語」(私は未読)であり、かなり長期にわたって誤読(誤用)が続いてきたのではないかと思われる。

 
コメント
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