こういう風に見てくると、戦前戦中の「軍事化」の亡霊は、戦後もかなりの力を保っていたということが出来そうだ。
これを仮に、「『強い父』復権志向」と名付けてみる。
他方、この志向とは別に、一見すると無関係に見えるようだが、実際には密接な関係にあるもう一つの志向が出現していた。
そのことは、「東京物語」(昭和28年(1953年))を観ればすぐ分かる。
私の見る限り、このことを示す象徴的な場面は2つある。
一つは、老夫婦が泊まった熱海の旅館で、若い宿泊客たちが夜通しで麻雀をするため、老夫婦が余りの騒がしさに宿から逃げ出してしまう場面。
もう一つは、亡き母の棺を囲む子供たちのやり取りの場面。
東京物語
志 げ・・・「でも何だわねえ-
そう言っちゃ悪いけど どっちかって言えば お父さん先のほうがよかったわ ねえ」
と 言う志げ。
幸 一・・・「ウム」
志 げ・・・「これで京子でもお嫁に行ったら お 父さん一人じゃやっかいよ」
幸 一・・・「ウーム まァね え」
志 げ・・・「お母さんだったら東京へ来てもらっ たって どうにだってなるけど
ねえ京子 お母さんの夏帯あったわね? ネズミのさ-
露芝の……」
京 子・・・「ええ」
志 げ・・・「あれあたし 形見にほしいの
いい? 兄さん」
幸 一・・・「ああ いいだ ろ」
志 げ・・・「それからね-
こまかいかすりの上布 あれまだある?」
京 子・・・「あります」
志 げ・・・「あれも欲しいの しまってあるとこ わかってる?」
京 子・・・「ええ」
志 げ・・・「出しといてよ」
京 子・・・「ええ」
母の遺体を囲んだ(京子を除く)3人の子供たちは、形見分けの話に興じながらご飯をおかわりし、「仕事があるから早く帰らなきゃ」などと話している。
小津監督は、夜通し麻雀に興じる若者たちと同様に、この3人の子供たち(特に杉村春子の演じる「志げ」)を批判的に描いている。
彼ら/彼女らの共通点は、自身の生活(仕事と娯楽)への没頭・あくなき執着である。
この思考・行動を仮に「生活(力)至上主義」と名付けてみる。
この「生活(力)至上主義」が、「『強い父』復権志向」とは車の両輪と言うべき関係にあるのだからなんとも怖ろしい。
(ちなみに、私が父=大松監督、母=「志げ」という家庭に生まれていたとしたら、おそらく幼いうちに家出していたと思う。)
これを仮に、「『強い父』復権志向」と名付けてみる。
他方、この志向とは別に、一見すると無関係に見えるようだが、実際には密接な関係にあるもう一つの志向が出現していた。
そのことは、「東京物語」(昭和28年(1953年))を観ればすぐ分かる。
私の見る限り、このことを示す象徴的な場面は2つある。
一つは、老夫婦が泊まった熱海の旅館で、若い宿泊客たちが夜通しで麻雀をするため、老夫婦が余りの騒がしさに宿から逃げ出してしまう場面。
もう一つは、亡き母の棺を囲む子供たちのやり取りの場面。
東京物語
志 げ・・・「でも何だわねえ-
そう言っちゃ悪いけど どっちかって言えば お父さん先のほうがよかったわ ねえ」
と 言う志げ。
幸 一・・・「ウム」
志 げ・・・「これで京子でもお嫁に行ったら お 父さん一人じゃやっかいよ」
幸 一・・・「ウーム まァね え」
志 げ・・・「お母さんだったら東京へ来てもらっ たって どうにだってなるけど
ねえ京子 お母さんの夏帯あったわね? ネズミのさ-
露芝の……」
京 子・・・「ええ」
志 げ・・・「あれあたし 形見にほしいの
いい? 兄さん」
幸 一・・・「ああ いいだ ろ」
志 げ・・・「それからね-
こまかいかすりの上布 あれまだある?」
京 子・・・「あります」
志 げ・・・「あれも欲しいの しまってあるとこ わかってる?」
京 子・・・「ええ」
志 げ・・・「出しといてよ」
京 子・・・「ええ」
母の遺体を囲んだ(京子を除く)3人の子供たちは、形見分けの話に興じながらご飯をおかわりし、「仕事があるから早く帰らなきゃ」などと話している。
小津監督は、夜通し麻雀に興じる若者たちと同様に、この3人の子供たち(特に杉村春子の演じる「志げ」)を批判的に描いている。
彼ら/彼女らの共通点は、自身の生活(仕事と娯楽)への没頭・あくなき執着である。
この思考・行動を仮に「生活(力)至上主義」と名付けてみる。
この「生活(力)至上主義」が、「『強い父』復権志向」とは車の両輪と言うべき関係にあるのだからなんとも怖ろしい。
(ちなみに、私が父=大松監督、母=「志げ」という家庭に生まれていたとしたら、おそらく幼いうちに家出していたと思う。)