デフレの正体 経済は「人口の波」で動く 著者 藻谷 浩介
「60-65年には団塊世代が十五歳を超え、さらに急速な生産年齢人口増加が起きます。ですが彼らは戦前生まれに比べ高校進学率も高かったので、就業者数の増加のピークは数年遅れ、65-70年にやってきました。これが当時の「いざなぎ景気」の主要因となります。「生産年齢人口の波」の上げ潮時に特有の「人口ボーナス」を最大限に受け取れたのが、この時期でした。
・・・実際の60年代は、卒業して社会人になっていく学生の数が空前に多い時代でした。・・・ですが彼らの圧倒的多数は、若いエネルギーを燃やし何とか職を見つけて食べていこうと努力し、・・・どこかに何かの職場(非正規雇用含む)を見つけることができたのです。そのため日本の経済社会は、需要と供給が共に拡大するトラックに入っていきました。その結果として「景気」が良くなり、さらに雇用が増えたわけです。つまり、雇用の増減の原因は景気ではなくて、生産年齢人口の増減そのものだったわけです。」(p120~121)
この「藻谷説」には批判も多いし、「ベストセラーに良書なし」の格言(?)によれば、このベストセラーにも問題がないわけではない。
だが、60~70年代の経済社会の状況の説明として、相当な説得力を有していることは確かだと思う。
また、80年代はどのような動きがあったかがこれまた難しい問題で、バブルの発生とその後の崩壊のメカニズムについて言えば、「藻谷説」だけで説明するのは難しいだろう。
ここはやはり、国外の動きにも注目すべきところで、「自由貿易」や「グローバリゼーション」の名の下に、「産業空洞化」「賃金低下」「雇用喪失」「格差拡大」が生じたのはなぜかを考えてみる必要がある。
「60-65年には団塊世代が十五歳を超え、さらに急速な生産年齢人口増加が起きます。ですが彼らは戦前生まれに比べ高校進学率も高かったので、就業者数の増加のピークは数年遅れ、65-70年にやってきました。これが当時の「いざなぎ景気」の主要因となります。「生産年齢人口の波」の上げ潮時に特有の「人口ボーナス」を最大限に受け取れたのが、この時期でした。
・・・実際の60年代は、卒業して社会人になっていく学生の数が空前に多い時代でした。・・・ですが彼らの圧倒的多数は、若いエネルギーを燃やし何とか職を見つけて食べていこうと努力し、・・・どこかに何かの職場(非正規雇用含む)を見つけることができたのです。そのため日本の経済社会は、需要と供給が共に拡大するトラックに入っていきました。その結果として「景気」が良くなり、さらに雇用が増えたわけです。つまり、雇用の増減の原因は景気ではなくて、生産年齢人口の増減そのものだったわけです。」(p120~121)
この「藻谷説」には批判も多いし、「ベストセラーに良書なし」の格言(?)によれば、このベストセラーにも問題がないわけではない。
だが、60~70年代の経済社会の状況の説明として、相当な説得力を有していることは確かだと思う。
また、80年代はどのような動きがあったかがこれまた難しい問題で、バブルの発生とその後の崩壊のメカニズムについて言えば、「藻谷説」だけで説明するのは難しいだろう。
ここはやはり、国外の動きにも注目すべきところで、「自由貿易」や「グローバリゼーション」の名の下に、「産業空洞化」「賃金低下」「雇用喪失」「格差拡大」が生じたのはなぜかを考えてみる必要がある。