「キッチン」が刊行された1988年当時、国外では「資源獲得競争」が、国内では「バブル戦争」が繰り広げられていた。
何しろ、テレビをつければ、牛若丸三郎太(時任三郎)が「24時間戦えますか」と叫んでいた、テストステロン横溢・マチスモ全開の時代である。
(以下、ネタバレご注意)
当時ばなな氏は23歳くらいで、社会経験もなさそうだから、このような当時の「社会」(ないし世界)を正確に描けるはずがないし、さらに言うと、リアルな「男」を描くことも出来てはいない。
だが、ばなな氏は、自身のシャーマン的な直観力によって、「社会」(ないし世界)を、(抽象的にではあるが)「すべてを奪い破壊してしまう暴力的な力」として、物語世界の内部に「映り込ませる」あるいは「侵入させる」ことに成功しており、読み進むうちにそのことが分かってくる。
さて、この小説の登場人物は極めて少なく、みなそれなりに裕福そうで(少なくとも貧困に苦しんではおらず)、生活スタイルはブルジョワ的である。
なので、ちょっと読むと「フランソワーズ・サガンの再来か?」と錯覚してしまいそうである。
だが、この小説は、サガンの諸作品とはおよそ対照的である。
すなわち、「男」を細密に描く一方で「社会」(ないし世界)をまるで描かないサガンとは逆に、ばなな氏は、リアルな「男」を描かない(排除する)一方で、「社会」(ないし世界)を物語世界内に反映・侵入させているのである。
主人公の桜井みかげは、幼いころ両親を亡くして祖父母に育てられたが、中学校へ上がる前に祖父が死に、つい最近祖母も死んでしまった(p9)。
みかげは、天涯孤独の、「イエ」を喪失した少女である(少女小説の永遠のテーマ:「死」、「孤独」)。
(このあたりは、「台所太平記」に出てくる女中たちと似ている。)
そこにあらわれたのが、長い手足を持った・きれいな顔立ちの優しい青年:田辺雄一である(p11~)。
雄一は、花屋でアルバイトをしているときにみかげの祖母と知り合ったらしく、住む家をなくそうとしているみかげを家に誘う。
ふるまいや口調が優しいこの青年は、なぜかみかげに「ひとりで生きている感じ」を与える。
雄一のマンションに行くと、しばらくして、えり子さんという雄一の「母親」が仕事から戻ってきた。
ところが、えり子さんは、もともと雄一の父親(本名は「雄司」)だったのが、雄一の母親が亡くなったのをきっかけに、「女性」になったのである(p21)。
つまり、みかげの「イエ」のみならず雄一の「イエ」も、当主・戸主=父親の不在によって崩壊しており、そのため雄一は「ひとりで生きている」ように見えたのだ。
そしてストーリーは、まずみかげが、「えり子」ー「雄一」という「母子」の関係性に入り込むという形で展開していく(少女小説の永遠のテーマ:「疑似家族」)。
何しろ、テレビをつければ、牛若丸三郎太(時任三郎)が「24時間戦えますか」と叫んでいた、テストステロン横溢・マチスモ全開の時代である。
(以下、ネタバレご注意)
当時ばなな氏は23歳くらいで、社会経験もなさそうだから、このような当時の「社会」(ないし世界)を正確に描けるはずがないし、さらに言うと、リアルな「男」を描くことも出来てはいない。
だが、ばなな氏は、自身のシャーマン的な直観力によって、「社会」(ないし世界)を、(抽象的にではあるが)「すべてを奪い破壊してしまう暴力的な力」として、物語世界の内部に「映り込ませる」あるいは「侵入させる」ことに成功しており、読み進むうちにそのことが分かってくる。
さて、この小説の登場人物は極めて少なく、みなそれなりに裕福そうで(少なくとも貧困に苦しんではおらず)、生活スタイルはブルジョワ的である。
なので、ちょっと読むと「フランソワーズ・サガンの再来か?」と錯覚してしまいそうである。
だが、この小説は、サガンの諸作品とはおよそ対照的である。
すなわち、「男」を細密に描く一方で「社会」(ないし世界)をまるで描かないサガンとは逆に、ばなな氏は、リアルな「男」を描かない(排除する)一方で、「社会」(ないし世界)を物語世界内に反映・侵入させているのである。
主人公の桜井みかげは、幼いころ両親を亡くして祖父母に育てられたが、中学校へ上がる前に祖父が死に、つい最近祖母も死んでしまった(p9)。
みかげは、天涯孤独の、「イエ」を喪失した少女である(少女小説の永遠のテーマ:「死」、「孤独」)。
(このあたりは、「台所太平記」に出てくる女中たちと似ている。)
そこにあらわれたのが、長い手足を持った・きれいな顔立ちの優しい青年:田辺雄一である(p11~)。
雄一は、花屋でアルバイトをしているときにみかげの祖母と知り合ったらしく、住む家をなくそうとしているみかげを家に誘う。
ふるまいや口調が優しいこの青年は、なぜかみかげに「ひとりで生きている感じ」を与える。
雄一のマンションに行くと、しばらくして、えり子さんという雄一の「母親」が仕事から戻ってきた。
ところが、えり子さんは、もともと雄一の父親(本名は「雄司」)だったのが、雄一の母親が亡くなったのをきっかけに、「女性」になったのである(p21)。
つまり、みかげの「イエ」のみならず雄一の「イエ」も、当主・戸主=父親の不在によって崩壊しており、そのため雄一は「ひとりで生きている」ように見えたのだ。
そしてストーリーは、まずみかげが、「えり子」ー「雄一」という「母子」の関係性に入り込むという形で展開していく(少女小説の永遠のテーマ:「疑似家族」)。