Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

台所からキッチンへ(21)

2022年03月14日 06時30分35秒 | Weblog
(引き続きネタバレご注意)
 「「のんちゃんが死んじゃった時、雄一はごはんものどを通らなかったのよ。だから、あなたのことも人ごととは思えないのね。男女の愛かどうかは保証できないけど。」
 くすくすお母さんは笑った。

 「そう。」お母さんらしいほほえみで彼女は言った。「情緒もめちゃくちゃだし、人間関係にも妙にクールでね、いろいろとちゃんとしてないけど・・・・・・やさしい子にしたくてね、そこだけは必死に育てたの。あの子は、やさしい子なのよ。・・・あなたもやさしい子ね。」(p28~29)

 当時の社会(ないし世界)が渇望してやまなかった「強い父」という偶像に対して、ばなな氏は、「優しい母」(ないし「優しさ」という徳)をぶつけた。
 ここで、この小説のテーマ=「人間社会の始原への回帰」が明らかとなった。
 人間を生み出すのは母であり、人間界におけるもっとも基本的な社会(共同体)は、母と子の二人によって構成される。
 そして、人間を育むのは、母の「優しさ」である。
(このあたりは、谷崎潤一郎の世界とも通じているところ。)
 これほど当時の社会(ないし世界)に対する強烈なプロテストは、なかなか見当たらない。
 ところで、ここで注意しなければならないのは、みかげと雄一の間には「男女の愛」が成立しないということである。
 仮に二人が男女として結ばれるならば、それこそ「コバルト文庫」(実は全く読んだことがないけれど)の世界だし、シンデレラ譚ひいては英雄譚になって、テーマが崩壊してしまう。
 この小説において、(母の)「優しさ」は、(男女の)「愛」(ないし恋愛感情)とは両立しないのである。
 みかげと雄一は、むしろ、えり子さんの間に生まれた二卵性双生児のようにも見え、二人の間には、何かしらインセスト・タブーのような空気すら漂う。
(その意味で、香港で映画化された「我愛厨房」は、原作の完全な誤読だろう。)
 だが、この「母の愛」=「優しさ」で包まれた社会(共同体)の幸福は、長続きしなかった。
 
コメント
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