百年の誤読 岡野 宏文 著 , 豊崎 由美 著
豊﨑:「涙がぽたぽた」と表現しないための、日本近代文学百年の苦労が、ばなな一人の出現で水の泡。でも、そういう紋切り型の表現を使って逆に新鮮味を出す文体は、少女マンガやコバルト系の小説の中ではすでに存在してたんですよ。ところが、おじさん評論家は少女文化に疎いもんだから、コロリとばななにやられちゃった。免疫がないって怖いですねー(笑)。・・・
岡野:この人の出現によって、世の中の文化現象や人々のメンタリティなど、ずいぶんいろんなことが動いたって記憶があるよ。で、春樹のエピゴーネンが出たみたいに、その後、ばななじみた小説もいっぱい出てきたじゃない。それこそティーンズ小説のレベルでさ。
豊崎:ただ、初期作品にある「疑似家族」「死」「孤独」みたいなモチーフは、実は大昔から存在する少女小説の典型的なパターンのなぞりになってて、当時のばななもその系譜の中の一人にすぎないとも思うんですけど。
1989年(平成元年)のベストセラー「TUGUMI」に関する岡野・豊﨑コンビの批評だが、「キッチン」に関する批評としても読める。
(但し、私が持っている「百年の誤読」初版(2004年11月5日ぴあ株式会社から発行)の帯には、「あらすじだけでわかると思うな!」と書かれている。)
さて、確かに、ばなな作品には、「涙がぽたぽた」といった類の擬声語(オノマトペ)が、(頻出するのではなくて)ここぞという勝負所で出てくる印象がある。
ことばは、第一義的には音声であり、その原初形態はオノマトペだったのだから、この手法は、ことばの始原に戻るという意味があるのかもしれない。
ばなな氏は、ことばを呪文として用いるシャーマンのような存在,、いわば文学界における「平成の卑弥呼」だったのかもしれない。
(そういえば、「台所太平記」に出てくる女中たちも、どこかシャーマン的な要素を兼ね備えていたような気がする。)
豊﨑:「涙がぽたぽた」と表現しないための、日本近代文学百年の苦労が、ばなな一人の出現で水の泡。でも、そういう紋切り型の表現を使って逆に新鮮味を出す文体は、少女マンガやコバルト系の小説の中ではすでに存在してたんですよ。ところが、おじさん評論家は少女文化に疎いもんだから、コロリとばななにやられちゃった。免疫がないって怖いですねー(笑)。・・・
岡野:この人の出現によって、世の中の文化現象や人々のメンタリティなど、ずいぶんいろんなことが動いたって記憶があるよ。で、春樹のエピゴーネンが出たみたいに、その後、ばななじみた小説もいっぱい出てきたじゃない。それこそティーンズ小説のレベルでさ。
豊崎:ただ、初期作品にある「疑似家族」「死」「孤独」みたいなモチーフは、実は大昔から存在する少女小説の典型的なパターンのなぞりになってて、当時のばななもその系譜の中の一人にすぎないとも思うんですけど。
1989年(平成元年)のベストセラー「TUGUMI」に関する岡野・豊﨑コンビの批評だが、「キッチン」に関する批評としても読める。
(但し、私が持っている「百年の誤読」初版(2004年11月5日ぴあ株式会社から発行)の帯には、「あらすじだけでわかると思うな!」と書かれている。)
さて、確かに、ばなな作品には、「涙がぽたぽた」といった類の擬声語(オノマトペ)が、(頻出するのではなくて)ここぞという勝負所で出てくる印象がある。
ことばは、第一義的には音声であり、その原初形態はオノマトペだったのだから、この手法は、ことばの始原に戻るという意味があるのかもしれない。
ばなな氏は、ことばを呪文として用いるシャーマンのような存在,、いわば文学界における「平成の卑弥呼」だったのかもしれない。
(そういえば、「台所太平記」に出てくる女中たちも、どこかシャーマン的な要素を兼ね備えていたような気がする。)