Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

カイシャ人類学(20)

2022年05月19日 06時30分43秒 | Weblog
吾輩は猫である
 「鼻だけはむやみに大きい。人の鼻を盗んで来て顔の真ん中へ据え付けたように見える。三坪ほどの小庭へ招魂社の石燈籠を移した時の如く、独りで幅を利かしているが、何となく落ち付かない。」(p102)
 「「わたしねえ、本当はね、招魂社へお嫁に行きたいんだけれども、水道橋を渡るのがいやだから、どうしようかと思ってるの」
 細君と雪江さんはこの名答を得て、あまりの事に問い返す勇気もなく、どっと笑い崩れた時に、次女のすん子が姉さんに向ってかような相談を持ちかけた。
「御ねえ様も招魂社がすき? わたしも大すき。いっしょに招魂社へ御嫁に行きましょう。ね? いや? いやなら好いいわ。わたし一人で車へ乗ってさっさと行っちまうわ」
「坊ばも行くの」とついには坊ばさんまでが招魂社へ嫁に行く事になった。かように三人が顔を揃そろえて招魂社へ嫁に行けたら、主人もさぞ楽であろう。
」(p405~406)

 このように、夏目漱石は招魂社をパロディ化しているが(「三四郎」にも出てくるらしい。)、それはおそらく、彼が追求した個人主義(個人の覚醒)と相容れないもの(官製の”強制ポトラッチ”?)を感じ取ったからではないかと思う。
(ちなみに、五來 重氏も、「官僚的国家神道の神社」を批判している。)
 もっとも、漱石が言うところの「招魂社」は「東京招魂社」(後の靖国神社)であって、高杉晋作の「招魂社(招魂場)」とは異なる。
 高杉は、明治が始まる前に亡くなっているが、なんと、生きている自身を含む志士を合祀するための施設をつくろうとしたのである。
 専門家ではないので、その正確な意図は分からないが、前に引用した「毛利家三百年来の世臣」発言と併せ考えると、素人考えでは、やはり毛利家の祖霊(たち)と並んで、あるいはこれと合一化して、「神」になろうとしたのではないだろうか?
(まるで、弘法大師空海の「即身成仏」である。)
 彼も、やはり「イエ」という枠を超えることは出来ず、「徳川幕府」に代わるものとして「毛利幕府」を打ち立てることを夢見ていたと思われるからである(苫米地英人氏の指摘)。
 ・・・「究極の「カイシャ」は(高杉の)”招魂社”に近づく」などと言えば、「何という珍奇な説!」と驚く人がいるかもしれない。
 だが、そういう人は、平成版ドラマ「悪女」で、麻里鈴が入社初日に放った次のセリフを聞いて、笑うことは出来ないはずである。

 「過労死するまで頑張ります!

 麻里鈴は、株式会社近江商事というカイシャで「成仏」することを夢見ていたのである。
 もっとも、30年前、商社の一般職(正社員)であるOLが、お茶くみやコピー取りの仕事で”過労死”することはおよそ考えられなかった。
 ところが、今や、非正規雇用労働者が、正社員並み(あるいはそれ以上)の激務によって”過労死”することも想定されるような状況となっている。
 そんなことでも起きない限り、カイシャにあっては、「世襲」と「階層化」の壁を越え、正規のメンバーとして「成仏」することは出来ない、そういう時代になってしまいそうなのだから。
コメント
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