Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

カイシャ人類学(18)

2022年05月17日 06時30分43秒 | Weblog
 未開社会では、”マナ”などという聖霊の力を利用して、枝分節集団が形成されていた。
 オカルトチックな話であるが、日本の祖霊信仰もオカルトチックでないとは言えない。
 オカルトチックといえば、最近、プーチン大統領の重病説が流れている。
 だが、彼は、一般の日本人ほど死を恐れてはいないと思う。
 というのも、彼はイリインが言うところの”生き物”「無垢なロシア」を信じているらしいからである(永遠に無垢な・・・)。
 彼の頭の中では、おそらく、死んだら自分の魂は「無垢なロシア」という集合的霊魂の中に”戻っていく”ことになっているのではないかと思うのだ。
 人によってはカルト的と感じるかもしれないが、死の恐怖を克服するために魂の永世を信じることは、日本でも伝統的に行われてきたようである。
 例えば、(建前上は)死を恐れないことが求められた武士の世界などはそうだろう。
 「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」と書いた山本常朝も、おそらく霊魂不滅説の信者だろう。
 ちなみに、彼は、「御黨家御代々、名誉の御家中に生れ出で、先祖代々御厚恩の儀を浅からざる事に存じ奉り、心身を擲ち、一向に歎き奉るばかりなり。」とも述べている。
 では、武士は、死んだ後の自分の霊/魂はどうなると考えていたのだろうか?
 手がかりは多くなさそうだが、興味深いものを見つけた。
 それは、下に引用した高杉晋作の言葉である(余談だが、元首相の「晋」という字は、(お父さんもそうだけど)この人にちなんだものなのだろうか?)。

憂国の士 赤禰武人顕彰碑/山口県山口市旭通り
 「君らは赤禰武人に欺瞞せられたる者か
 そもそも武人は大島郡の一土民の身
 何ぞ国家の大事、両君公(藩主父子)の危急を知る者ならんや
 君らは予を何と思うや
 予は毛利家三百年来の世臣なり
 あに武人がごとき一土民の比ならんや


 私見だが、山本常朝も高杉晋作も、武士特有の(但し、一部の商人が共有していたかもしれない)祖霊信仰をもっていたように思う。



コメント
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