Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

カイシャ人類学(19)

2022年05月18日 06時30分22秒 | Weblog
 プーチン大統領は、「無垢なロシア」の存続(又は復活)のために行動していると思われる。
 では、山本常朝や高杉晋作はどうだったのだろうか?
 まず、山本常朝が「心身を擲」つ相手として想定していたのは、公儀(徳川家)でもなければ天皇家でもなく、「鍋島家」(差し当たり鍋島光茂)であったことは間違いない。
 山本が、光茂の死にあたって殉死しようと考えたものの、光茂が殉死を禁止したために出家を選んだというのは有名な話である。
 では、当時、殉死した武士たちは、死後、自分たちはどうなると考えていたのだろうか?
 これについては、殉死の起源(実は、祖霊信仰も同種の思考に基づいている)を考えるとよいと思う。

Primitive Culture by Edward Tylor
 ”Men do not stop short at the persuasion that death releases the soul to free and active existence, but they quite logically proceed to assist nature, by slaying men in order to liberate their souls for ghostly uses. Thus there arises one of the most widespread, distinct, intelligible rites of animistic religion --- that of funeral human sacrifice for the serve of the dead.
 「人々は、「死は魂を自由で活動的な存在へと解放するのだ」と説得しても、そこで踏みとどまることはしない。そうではなく、人々は極めて論理的に、魂を開放し霊的な使用に供すべく人間を殺害することによって、この性質を促進しようとするのである。こうして、最も広くいきわたった、顕著で分かりやすいアニミズム的宗教儀礼が誕生するーーー即ち、葬送における、死者に仕えさせるための人身供犠である。」(拙訳。ゆえに誤訳あるかも)

 原始社会においては、部族の長などが亡くなると、これに仕えていた者などを殺害して、死後の世界でも奉仕させようとすることが行われていた。
 一種の人身供犠である。
 山本も、おそらく死後においては、光茂を含む鍋島家の祖霊(たち)に仕えようと考えていたと思う。
 問題はその後どうなるかだが、もちろん、「千の風」になるのではない。
 五来 重氏によれば、十分にまつられた霊魂は、一定の期間を経て、”昇華”(サブリメーション)の作用により「神」になると考えられていた(庶民はこれを「成仏」と呼ぶが、「神」になるのに「成仏」とはこれいかに?)。
 私見では、「殉死」は、人身供犠であると同時に一種のポトラッチであり、その”返礼”は、主君の祖霊(たち)と並んで、あるいはそれと合一化して「神」になることである。
 もちろん、こうしたことを山本がいったあわけでも書きのこしているわけでもなく、これは、殉死の起源と祖霊信仰の思考を手掛かりとした、あくまで推測に過ぎない。
 だが、高杉晋作の場合は、そうではない。
 彼は、前回引用した発言を行っている上に、「招魂社」の設立発起人だからである。
コメント
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