奥多摩ハイキング案内
「観光鉄道として再開されることが期待された小河内線は、1963(昭和38)年に西武鉄道に譲渡された。同社では奥多摩湖周辺にホテルや遊園地、キャンプ場を整備して、奥多摩を第二の箱根にする計画があったという。しかし、急速なモータリゼーションの進行によって、マイカーによる家族旅行が増加。西武鉄道は奥多摩の観光開発を断念する。その後、1978(昭和53)年には石灰岩の採掘を行う奥多摩工業に再譲渡されたが、列車が運行されることはなく今に至っている。地元からは、観光鉄道にしたいという要望も根強いが、その可能性は低いといわれている。」(p55)
この本は単なるハイキング案内ではない。
もはや、奥多摩地方に関する歴史本というべきである。
温泉もあるし、「第二の箱根」計画はそれなりに現実味があったのだろうが、都心から2時間以上というのは地の不利が大きそうだ。
もっとも、「第二の箱根」にならなかったからこそ、比較的静かだし、手つかずの自然が残っていて、キャンプも楽しめるというメリットがあるのだろう。
「観光鉄道として再開されることが期待された小河内線は、1963(昭和38)年に西武鉄道に譲渡された。同社では奥多摩湖周辺にホテルや遊園地、キャンプ場を整備して、奥多摩を第二の箱根にする計画があったという。しかし、急速なモータリゼーションの進行によって、マイカーによる家族旅行が増加。西武鉄道は奥多摩の観光開発を断念する。その後、1978(昭和53)年には石灰岩の採掘を行う奥多摩工業に再譲渡されたが、列車が運行されることはなく今に至っている。地元からは、観光鉄道にしたいという要望も根強いが、その可能性は低いといわれている。」(p55)
この本は単なるハイキング案内ではない。
もはや、奥多摩地方に関する歴史本というべきである。
温泉もあるし、「第二の箱根」計画はそれなりに現実味があったのだろうが、都心から2時間以上というのは地の不利が大きそうだ。
もっとも、「第二の箱根」にならなかったからこそ、比較的静かだし、手つかずの自然が残っていて、キャンプも楽しめるというメリットがあるのだろう。