Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

25年前(7)

2022年12月13日 06時30分45秒 | Weblog
新国立劇場の演劇『 #夜明けの寄り鯨』舞台映像
(クジラの刺身をふるまう和泉照彦に対して)

 新美紗里「クジラが浜辺に打ち上がるのって、自殺なんです」(1:03付近)
 
 ここに至って、「1997年の日本」(=「『失楽園』の凛子)と「寄り鯨」の関係性が明らかとなったように感じる。
 私見では、「寄り鯨」は「1997年の日本」の象徴だったのである(もちろん、これは一つの解釈に過ぎず、依然として「寄り鯨」は多義的である。)。
 問題は、「寄り鯨」の発生原因が究明されていないこと、言い換えれば、1997年の日本が抱えていた問題が正確に把握されていないところにある。

特集:自殺は防げる データで見る日本の自殺
 「警察庁の統計データを見ると,1978年から1997年まで自殺者数はだいたい2万人台の前半で推移していた。戦後2回目のピーク期にあたる1983年と86年に2万5000人をやや上回った程度だ。ところが,1998年に突如として3万2863人に増加する。前年1997年の1.35倍だ。
 「1997年を境にどの年代,どの動機でも自殺者は増えたが,相対値で見ると,年代では50歳代,動機では生活苦や仕事がらみが特に増えたとわかる。
 「自殺者の増減がそのときの経済状況と密接な関係にあることは,多くの人が指摘している。完全失業率と自殺率の年次推移を見ると,男性で明らかな相関があることがわかる(図3)。この数年の自殺の急増ぶりも長期化する不況の影響が大きいだろう。倒産やリストラで職を失う人も少なくないが,無職の男性では,職に就いている男性よりも自殺のリスクが10倍高いと見る研究者もいる。

 1997年から1998年にかけての自殺者の急増については、50歳代の男性(久木祥一郎を代表とする”団塊の世代”、あるいはその前後の世代)による「生活苦やしごとがらみ」の自殺の増加が大きな要因となっていた。
 「失楽園」の久木には、「金と暇」がたっぷりあった(だから不倫も出来た)が、現実の団塊世代の男性たちにあっては、お金に窮し、生きるすべを冷静に考える時間も持てないまま、自殺してしまう人たちが急増したのである。
 例えば、その10年前(1987年)に心筋梗塞で亡くなった八木俊亜氏は、次のような言葉を手帳に書き残していた。

過労死とサービス残業の政治経済学――市民社会の基礎は労働時間か自由時間か?――
 「かつての奴隷たちは、奴隷船につながれて新大陸へと運ばれた。超満員の通勤電車のほうが、もっと非人間的ではないのか。現代の無数のサラリーマンたちは、あらゆる意味で、奴隷的である。金にかわれている。時間で縛られている。上司に逆らえない。賃金も一方的に決められる。ほとんどわずかの金しかもらえない。それと欲望すらも広告によってコントロールされている。労働の奴隷たちはそれでも家族と食事をする時間がもてたはずなのに。……
 
コメント
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