Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

合唱とタクト

2022年12月27日 06時30分45秒 | Weblog
ベートーヴェン『第九』特別演奏会Presented by 楽天カード 指揮:尾高忠明(東京フィル 桂冠指揮者)

 小さいころによくテレビで観ていたせいだろうか、尾高先生の指揮をおそらく初めて生で観るというのに、何だかお馴染みの人物のように見えてしまう。
 さて、尾高先生は、どうやらタクト(指揮棒)を使わないタイプの指揮者のようである。
 その代わり、指が細やかに動いている。
 合唱の場合、タクトを使わない指揮者も多いようだ。

指揮棒は必要か
 「特に合唱の指揮などのように、情感豊かに歌い上げたり、細やかなニュアンスを伝えたい場合には指揮棒を持たないほうが、より豊かに表現することが出来るようです。このためヘルベルト・フォン・カラヤンやヴォルフガング・サヴァリッシュは合唱音楽のときには指揮棒を使わなかったといいます。

 なるほど。
 この「タクトを持たない指揮法」は、2人の偉大な指揮者が始めたようである。

指揮棒を持たない指揮者たち
 「じゃ、今の棒なしトレンドはいったい誰が作ったのかって?
 そりゃ、間違いなくこの二人。
 まず、作曲家で、近現代の音楽では他の追随を許さない巨匠、故ピエール・ブーレーズ・・・
 もう一人は先日亡くなられたニコラウス・アーノンクール。

 「それからもうひとつは、身体的な都合による理由である。指揮棒を持つ、というのは図形を明確に描くため、というのはすでに述べたが、そのために、普通の指揮法では「指揮棒は手の延長」であることが求められる。
 手の延長であるためには、そう見えるような指揮棒の持ち方をしなくてはならず、一定以上の力で指揮棒を握り続けるのは、長時間になると結構負担に感じることもあれば、力を込めすぎると、手や指の腱、筋を痛めることもある。腱や筋は当然肩や首までつながっているので、先に肩が上がらなくなったり首が痛くなったり、どこか自由が利かなくなってくる場合もある。
 職業指揮者というのは、練習や本番でほぼ毎日のように長時間振っているわけで、1回1回はなんともなくても、それが20年30年続いたときに、自由が利かなくなってくる部分が出るのは、運動機能的に正しくやっていたとしても十分に考えられることである。


 合唱団や後ろ側の演奏者にとっては、手の指までは見えづらいので、おそらくタクトがあった方がありがたいはずである。
 なので、タクトを持つだけの腕の力がなくなり、かつ、指揮台に立ち続けるだけの足腰の力がなくなると、曲目次第では指揮をするのが難しいという場合もあるだろう。
コメント
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