次に、ソ連映画専門映画館として一時代を築いた「キネカ錦糸町」を挙げなければならない。
これは「シネヴィヴァン六本木」開館の3年後(1986年)の開館で、こちらも(当時の)西武グループの運営らしい。
当時は西武グループの全盛期だったのだ(野球も西武が強かったという印象である。)。
私の記憶では、「不思議惑星キン・ザ・ザ」と「ざくろの色」(但し旧ソ連ヴァージョン)を2本立てで上映していた。
くどいようだが、「ざくろの色」は映画史上に残る傑作である。
これ以外にも、「シネ・ヴィヴァン六本木」とかぶるが、タルコフスキー監督の諸作品を上映していた。
旧ソ連のような抑圧体制の下でつくられる映画は、「ざくろの色」がそうであるように、独特の作風で成功することがあるが、その背景には「検閲」があると思う。
旧ソ連の映画制作者の場合、「言葉」でストレートに表現すると検閲で引っかかるおそれがあるため、「映像・画像」だけで表現する志向が強い。
こうして、視覚に強烈に訴えかける手法が研ぎ済まれていったのではないだろうか?
このことは、「セルゲイ・パラジャーノフ Blu-ray BOX」のヴォン・グリゴリャン(パラジャーノフの元助手)の解説でよく分かる
「キネカ錦糸町」は1994年に閉館し、跡地には現在「メガロス錦糸町」が入居しているらしい。
これは「シネヴィヴァン六本木」開館の3年後(1986年)の開館で、こちらも(当時の)西武グループの運営らしい。
当時は西武グループの全盛期だったのだ(野球も西武が強かったという印象である。)。
私の記憶では、「不思議惑星キン・ザ・ザ」と「ざくろの色」(但し旧ソ連ヴァージョン)を2本立てで上映していた。
くどいようだが、「ざくろの色」は映画史上に残る傑作である。
これ以外にも、「シネ・ヴィヴァン六本木」とかぶるが、タルコフスキー監督の諸作品を上映していた。
旧ソ連のような抑圧体制の下でつくられる映画は、「ざくろの色」がそうであるように、独特の作風で成功することがあるが、その背景には「検閲」があると思う。
旧ソ連の映画制作者の場合、「言葉」でストレートに表現すると検閲で引っかかるおそれがあるため、「映像・画像」だけで表現する志向が強い。
こうして、視覚に強烈に訴えかける手法が研ぎ済まれていったのではないだろうか?
このことは、「セルゲイ・パラジャーノフ Blu-ray BOX」のヴォン・グリゴリャン(パラジャーノフの元助手)の解説でよく分かる
「キネカ錦糸町」は1994年に閉館し、跡地には現在「メガロス錦糸町」が入居しているらしい。