Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

25年前(10)

2022年12月16日 06時30分41秒 | Weblog
渡辺淳一『失楽園』(上下巻、講談社文庫)
 「凛子は身体を重ねながら「怖い」を連発します。少し引用してみます。
――「わたし、怖いわ、怖いのよ」(中略)「わたしたち、きっといまが最高なのよ。いまが頂点で、これからは、いくら一緒にいても、下がるだけなんだわ」(下巻、P270)
凛子のこの境地は、やがて心中へと加速されます。


 この”凛子型”の自殺(心中)は、エミール・デュルケームの類型論では、「アノミー的自殺」に属すると解される。

自殺論 デュルケーム 著/宮島喬 訳
 「じっさい、経済的破綻が生じるさいには、ある個人を、それまで占めていた地位からそれ以下の地位ににわかに突き落としてしまうような、一種の没落現象がみられるのである。したがって、そのような個人は、要求を引き下げ、欲求を制し、前よりもいっそう自制することを学ばなければならない。ことかれらにかんしては、社会のはたらきかけの成果も、すべてむだになってしまう。道徳教育は、もう一度はじめからやりなおさなければならない。ところが、社会はただちに個人を新しい生活に順応させることはできないし、また不慣れなさらに激しい緊張を課することに慣れさせることもできない。その結果、個人は、与えられた条件に順応していないし、しかも、そのような予見でさえもかれに耐えがたい思いをいだかせる。この苦悩こそが、個人を駆って、その味気ない生活をーーそれを実際に味わう以前にさえーー放棄させてしまう当のものだ。」(p416)

 デュルケームは、「(経済的な)『没落現象』に耐えられないことによる自殺」の存在を指摘した。
 見事な洞察で、これによって、「破産より死を選ぶ」経営者の思考・行動が相当程度説明出来るように思われる。
 前述したモースのレシプロシテに起因する自殺、いわば「疑似ポトラッチ型自殺」と、デュルケームの「没落現象回避型自殺」とで、1997年に増加した自殺の多くが説明出来るように思えるのだ。
 もっとも、実際には、自殺の動機を一つに特定することは困難であるし、「疑似ポトラッチ型自殺」と「没落現象回避型自殺」とが相互に排他的な関係にあるわけではない(両立しうる)点にも注意が必要だろう。
 例えば、「破産より死を選ぶ」経営者の中には、「命で償う」という思考と同時に、「破産した後の生活には耐えられない」という思考を併せ持った人がいたのかもしれない。
 ちなみに、このブログで再三指摘してきた「弁護士による横領事案」の多くも、「没落現象」に耐えられないことが原因と思われる。(生活費語られない事実などをご参照)。
 では、いったいどうすれば、こうした自殺を予防することが出来るのだろうか?
 
コメント
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