Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

最後の棒倒し(10)

2023年03月30日 06時30分00秒 | Weblog
(「日本の安全保障に関する初歩的な確認」(続き))
 「今回病は亢進し、収奪頂点そのものがいよいよ自己収奪に転じ始めたのではないか、と疑われる。増税に向かうロジックが異常すぎるからである。つまり日本社会が完全なオートファジー段階に入った可能性がある。それならば軍事は唯一のコーズであろう。・・・
 やはり今回も結局は軍事で(ただし戦う前に)破滅するのか、というのが私の感想である。・・・
 刺激が来ると、やっちまえと暴走し、自爆していく、というメンタリティーである。本当に犠牲にされ虐げられた人々のメンタリティーではない。むしろ、相対的に恵まれチャレンジして挫折した層のメンタリティーである。アジア諸国を含め世界に拡がる新しい高等教育受容層に日本の相対的に若い世代がまるごと乗り遅れたということが大きく作用している。確実に言えるのは、このメンタリティーがヘゲモニーを握ったような社会は、外からの軍事力によってではなく、内側から破滅するであろう、ということである。」(p61)

 「政策的経費に充てる一般歳出のうち防衛費は公共事業費や文教・科学技術振興費を抜き、社会保障費に次ぐ2番目の規模に達した。さらに今後の支出に備え、税外収入などから成る「防衛力強化資金」を新設し3兆3806億円を確保。複数年度にわたり支出するこの資金まで含めると、防衛費全体は10兆円を超える。 

 日本社会がオートファジー段階に入り、破滅へと向かっているという指摘だが、結局のところ、日本社会のある層が、自ら破滅を希求しているためということのようだ。
 例えば、「それから」の平岡常次郎のような人物(「僕も一人なら満洲へでも亜米利加へでも行くんだが・・・」(新潮文庫版では157頁)と述べており、やがて”大陸に渡る”ことが暗示されている。)を想定すればよいかもしれない。
 この層が生れた背景には、高等教育→専門職という世界的な流れ、つまり「新しい自由」の担い手を生むトレンドに、日本の相対的に若い世代がまるごと乗り遅れたということがあるという。
 だが、私見では、この問題はなかなか容易ではなく、木庭先生の見解に100%賛成することは難しい。
 15年ほど前のこと、ハーヴァード大の学長が、日本のボストン総領事に対し、こんなことを言ったそうである。

 「他の国と比べて、日本からの留学生の数は極端に少ない。もっと日本からの留学生を増やして欲しい。

 この言葉は慎重に解釈する必要がある。
 というのも、その少し前まで、ハーヴァードを含むアメリカの多くの大学は、「他人の金」で専門職大学院への留学を試みる日本人たちを、書類段階で徹底的に落としていたからである(某経済官庁や某メガバンクからのMBA受験生が一人も合格できなかった年もある。)。
 口に出しては言わないけれど、「新しい自由」の担い手は、日本における「棒倒し」に象徴されるような、「他人の金」に依存する人間であってはならないというのが、基本的なコンセンサスなのだ(但し、他方において、米国の民間財団をスポンサーとする現旧共産圏からの留学生(奨学金付き)は、積極的に受け入れているようだ。)。
 この点で、日本はおおむね失格ということなのだろうが、かといって、アジアの他の国を称賛してよいかというと、おそらくそうではない。
 例えば、中国や韓国の高等教育受容層についてみれば、(税金・補助金に群がる)依存体質の人たち、あるいは能力がありながら政府・企業によって圧殺され活躍の場を失っている人たちを、私もたくさん見てきた。
 つまり、私見ではあるが、中国や韓国もおそらく”乗り遅れグループ”に含まれており、日本だけ取り残された状況にはないと思われる。
 したがって、絶望するのはまだ早いだろう。
 さて、そろそろ解散総選挙が近いという声も出ているが、そうなると、いよいよ新しい「棒倒し」(Japan’s Game Of War)が始まることになるだろう。
 だが、倒れる”棒”は日本という国・社会なのだから、今回ばかりは「最後の棒倒し」となる可能性が高い。
 そうならないようにするために、果たして何が出来るのだろうか?
コメント
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