Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

ワーグナー病(2)

2023年03月10日 06時30分00秒 | Weblog
トゥーランドット「1903年2月23日、カー・マニアでスピード狂だったプッチーニは自動車事故で大腿骨骨折という大怪我を負う。この時に彼の身の回りの世話をするために雇われた女性がドーリア・マンフレーディだった。ドーリアは当時まだ16歳の少女だったが、献身的にプッチーニにつくし、プッチーニが回復してからも小間使いとして雇われていた。
 5年がたって美しい女性に成長したドーリアに対して、プッチーニ夫人のエルヴィーラは嫉妬して、夫と彼女の仲を疑い、ドーリアを誹謗中傷して解雇してしまう。エルヴィーラに罵倒されたドーリアは、じっと我慢していたが、ついに1909年1月23日、服毒自殺をはかり、5日後に死んでしまった。死後検死解剖の結果ドーリアは処女だったことが判明して、マンフレーディ家はエルヴィーラを訴えた。プッチーニは必死に事後処理をして、最終的には示談金を払って決着させた。これが俗に言う<ドーリア事件>だ。」(232)

 トゥーランドットのリューには、ドーリアというモデルが存在したそうである。
 ドーリアは、濡れ衣を着せられ、パワハラを受けた末に解雇された。
 その後おそらくうつを発症し、自殺に至ったのである。
 そうすると、リューが約15分間舞台上で拷問を受ける場面をプッチーニが描いた意味については、わざわざ精神分析医の見解を聞く必要はなさそうだ。
 つまり、プッチーニは、ドーリアに対する謝罪ないし贖罪の意味を込めて、リューの死に積極的な意味を与えようとしたと考えられるわけである。
 こういう風に考えると、ワーグナー病に冒されていたのはプッチーニではなく、エルヴィーラ夫人だったのではないかという気がしてくる。
 それにしても、プッチーニは、ドーリアが自殺しないよう、彼女を守るべきだったとつくづく思う。
 合掌。
コメント
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