オデュッセウス「これが海にかこまれたレムノスの岸辺だ、おとずれるものもない無人の島。アキレウスの子よ、ヘラスに勇名とどろく父をもつネオプトレモスよ、わたしがポイアスの子、ピロクテテスをここに置きざりにしてから、ずいぶん時がたつ。大将たちの命令で、やむをえずそうしたのだが、肉がくさる病気のためにやつの足はただれおち、あのときばかりは困ったな。静かにお神酒をそそぐことも、犠牲をささげることもできなかった。やつがたてつづける不吉なすさまじい叫びには、われわれ全軍が耳をおおったものだ。・・・」(p378~379)
オデュッセウス「まず言葉たくみにピロクテテスにはなしかけ、やつの心を完全にとらえてほしい。・・・やつの弓矢がわれわれの手にはいらなければ、いくら君でも一人では、ダルダノスの城をぬくことができないからだ。
それから、こういうこともよくおぼえていてほしい。わたしはわけがあってあの男に近づくことができないが、君とやつとはたがいに信じあい、友達になることもできる間柄だ。・・・」(p381)
「フィロクテーテース」(ピロクテテス)は、私がいちばん好きなギリシャ悲劇である。
というのは、この劇は、珍しくハッピー・エンドで、後味がよいストーリーだからである(なので、「悲劇」に分類されているのは疑問かもしれない。)。
トロイアを攻略しようとするギリシャ軍だが、もう10年近く苦戦を強いられ、ダルダノスの城を陥落させることが出来ないままである。
たまたま捉えたトロイア人の預言者によれば、「フィロクテーテースとその弓の力を借りなければ、トロイアを陥落させることは出来ない」とのこと。
実は、オデュッセウスらギリシャ軍は、トロイア遠征の初め、毒蛇に足を噛まれたフィロクテーテースを、軍事化イニシエーション(「静かにお神酒をそそぎ、犠牲を捧げる儀式」など)の妨げになるなどという理由から、レムノスの島に一人置き去りにしていたのである。
そこで、フィロクテーテース(というよりは、彼の弓)を連れ戻すべくギリシャ軍から派遣されたのが、オデュッセウスと(アキレウスの遺児)ネオプトレモスである。
「業病に取り憑かれた彼は、発作が起きると聴くに堪えない声を出して苦しみやがて意識を失う。これが軍事規律にとって不可欠な、音声を生命とする儀礼を成り立たなくするというので、その島で発作が起きたのを幸い、一人取り残して出発したのである。」(p256)
ちなみに、木庭先生は軍事化イニシエーションにおける「音声」の要素を重視されるが、私見では、フィロクテーテースの放つ悪臭も、やはり儀礼の遂行を妨げていたと思う。
「イリアス」第一歌にもあるように、ギリシャ軍の儀礼では、犠牲獣を焼いてその香りと煙を神に捧げていたが、ここでは「におい」の要素が重要である。
犠牲獣の「におい」は、猫にとってのマタタビのように、軍事化された集団に対して「脳内麻薬」の一種であるエンドルフィンの分泌を促していたのではないかと推測されるのである。