指揮=ヤン=ウィレム・デ・フリーント
ソプラノ=森谷真理
メゾ・ソプラノ=山下裕賀
テノール=アルヴァロ・ザンブラーノ
バス=加藤宏隆
ソプラノ=森谷真理
メゾ・ソプラノ=山下裕賀
テノール=アルヴァロ・ザンブラーノ
バス=加藤宏隆
例年「第九」と「くるみ割人形」を鑑賞するのが年末の恒例行事となっている。
昨年の第九は尾高忠明先生指揮の東京フィル(合唱とタクト)だったが、今年は久しぶりに読響を選んだ。
指揮者のデ・フリーントさんは初見だが、タクトを持たず、体を(時にはお笑い芸人の永野のように)激しく動かして、(おそらく)声を出しながら指揮するスタイルのようだ。
大柄な体格なので、後ろの合唱団の人たちも見やすいだろう。
感心したのはソロ・パート冒頭のバスが完璧だった点で、これでほぼ「決まり」という印象を抱いた。
ただ、難点を言うと、第3楽章と第4楽章の間に休止を入れたところは疑問で、ここは「続けて演奏すべし」というのがベートーヴェンの真意ではないかと思う。
というのも、ピアノ・ソナタの多くがそうであるように、彼はおそらく「緩から急へ」「長調から短調へ」のトランジッションを休むことなく行わせたいと考えているからだ。
「熱情」の第2楽章から第3楽章へのトランジッションに至っては、サラリーマンであれば一度は目にするであろう、「ふだん温厚な人物が、アルコールが入った途端、別人のようにキレまくる」場面を彷彿とさせるほどであり、寝ていた聴衆もこの瞬間に目を覚ますのではないだろうか?
さて、今日は「第九」オンリーのプログラムなので、毎度のことながら、「本日の公演は途中休憩がございません」というアナウンスが繰り返し流れる。
このアナウンスの意味が「開演前にトイレにいって用を済ませて下さい」であることは明らかであり、そのことは、年をとってトイレが近くなるとよく分かる。
先日の「究極のゴルトベルク」も、ピアノ演奏はノン・ストップで約80分だった(という記憶である)が、トイレを我慢していると思われる高齢の女性が後半しきりに時計を見ているのを目撃した。
「第九」も、開演から終演までは約70分(上演時間は約65分)なので、似たような状況である。
そこで気になったのは、「舞台上の人たちのうちで滞在時間が最も長い人は誰だろう?」ということである。
観察していると、コントラバス奏者のうちの一人が最も滞在時間が長く、推定で80分以上だった。
だが、この方は楽器のメンテナンスのため自発的に居残っていたようだ。
そこで、この方を除くと、滞在時間が最も長かったのは、合唱団の最後列(男性)の真ん中の方ということになる。
そうすると、トイレが近い人が合唱団に参加する場合は要注意ということかもしれない。