ショパン
ノクターン 第5番 嬰へ長調 作品15-2
ポロネーズ 第1番 嬰ハ短調 作品26-1
プレリュード 第15番 変ニ長調 作品28-15「雨だれ」
3つのマズルカ 作品50-1~3
ポロネーズ 第7番 変イ長調 作品61「幻想」
シューマン
色とりどりの小品 作品99より 他
(追記)
メンデルスゾーン
無言歌集 第1巻より「甘い思い出」作品19-1
ツィメルマンが優勝した年から10年後の1985年に開催されたショパン・コンクールの覇者は、スタニスラフ・ブーニンだった。
当時、日本では、今でいうと藤井聡太八冠のような”ブーニン・フィーバー”が起こった。
なので、50歳代以上の日本人で彼の名前を知らない人の方が少ないと思う。
ところが、彼は、2013年から約9年間演奏活動を休止していた。
その理由については、「それでも私はピアノを弾く ~天才ピアニスト・ブーニン 9年の空白を越えて~」が詳しい(もっとも、私は観ていない)。
病気と大けがにより、一時は左下腿切断の危機に瀕していたそうである(私も糖尿病性壊疽で脚を切断した方の事件を担当したことがあるので、この状況の大変さがある程度分かる。)。
その彼が、昨年ようやく復活し、今回晴れてサントリー・ホールでリサイタルを開催することとなった。
かつて「若き天才」と呼ばれていたブーニンは、杖をついて、左脚には分厚い特製の靴(壊死部分を切除して脚が短くなったため)を履いて登場した。
背筋も曲がっており、とても57歳には見えない。
だが、演奏が始まると、鼻歌交じりの(!)リラックスしたスタイルで、さすがに力強さにはやや欠けるものの、さほどブランクを感じさせないまずまずの出来栄えのようだ(もっとも、細かいミスはあるのかもしれないが)。
また、かつては「テンポが速すぎる」と一部で批判されていた(らしい)ショパンは情感たっぷりにゆったりと弾いているし、ラストのメンデルスゾーン「甘い思い出」では、万感の思いとともにピアノを「歌わせて」いる。
ちなみに、私が彼の生演奏を聴くのは、高校1年生のとき以来、実に35年ぶりである。
その前年(中学3年生のとき)の11月、フランクフルト放送交響楽団のマーラー1番(か3番)を「音楽の先生が誘ってくれているので、一緒に聴きに行きたい」と頼み込んだにもかかわらず、父からは「クラシックのコンサートなんぞに1万円もの大金を出す余裕はない! 」と冷たく拒絶され(英才教育)、翌月のスロヴァキア・フィルのチャイコフスキー・ピアノ協奏曲1番&ドヴォルザーク「新世界」も、今度は(多少理解があるはずの)母から「高校受験が近いからコンサートなんてダメ!」と止められたという”事件”があった(私の実家はとんでもない僻地にあるため、クラシックのコンサートを聴きに行く場合、電車とバス又は路面電車で2時間近くかけて県立劇場まで行く必要があった)。
翌年、高校受験に合格し、4月から親元を離れて高校に通うことになったのだが、“聖地”ともいうべき劇場は高校のすぐそばで、当時の住まいからも歩いて10分くらいのところにあった。
そして、その年の12月、ブーニンが九州の片田舎にやって来るというので、小さいころからピアノを習っていたという同級生が、最前列中央の席のチケットを手配してくれたのである。
私にとっては、クラシック音楽に理解のない/理解の乏しい両親の制約を受けることなく初めて行った本格的なクラシックのコンサートが、当時人気絶頂だったブーニンのリサイタルだったのだ。
前年の”事件”がトラウマとなっていただけに、この時の感激はいまだに忘れることが出来ない。
・・・こんな風にブーニンの思い出がよみがえってくると、今後は毎回ブーニンのリサイタルに行きたい気分になってきた。
それと同時に、会場に若い人の姿を殆ど見かけないので、ちょっと不安を覚えた。
クラシック産業は衰退の一途を辿っているというが、その原因の一部は、大人たちが、「敷居の高さ」を解消する努力を怠ってきたことにあるのではないかと思う。
「大人になってからの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽で形成されている」そうだが、中学生や高校生にとって、クラシック音楽(特に生演奏)に触れる機会はどんどん減ってきていると思われるからである。
なので、私は、自分の経験からも、学生割引の拡大や学生向け無料入場券などの工夫が必要だと思うのである。