3年前にブリテンの「夏の夜の夢」を聴いている際、やたらと眠くなるという経験をした。
おそらく3分の1くらいは眠りに落ちていたと思うのだが、その時は、「自分は無調音楽(らしきもの)を理解出来ないので、眠くなるのだ」と推測していた。
だが、この推測は半分当たっており、半分外れていたことが最近分かった。
というのは、ストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」を聴いている際にも全く同じ感覚を覚えたのだが、この曲はいわゆる「無調音楽」には分類されていないようなのだ。
調べてみると、ブリテンの「夏の夜の夢」も、「無調」とはされていないようである。
そこで、「夏の夜の夢」と「詩篇交響曲」の共通点を抽出し、「子守歌」に感じてしまう理由を探ってみた。
2つの音楽の共通点としては、表現するのが難しいが、ヴォーカルにいわゆる「旋律」らしい「旋律」が存在しないことが挙げられる。
専門的には、おそらく音の動きが独特ということなのだろうが、私にはうまく説明が出来ない。
そこで、便宜的に、不正確であっても「無旋律音楽」と名付けておきたい。
この種の「音」(ないし「音の動き)に対して、どうやら私の脳は「理解出来ない」という反応を示すようなのだ。
「・・・しかし面白いことに、覚醒しているヒトの脳と、寝ているヒトの脳とでは、消費するエネルギーがほとんど違わない。
・・・じゃあ、寝ている間、脳はなにをしているのか。・・・
この根本は簡単なことだと私は思っている。意識とは秩序活動だからである。秩序の反対は無秩序、つまりランダムである。意識はランダムなことをすることができない。」(p96~97)
なるほど。
養老先生の指摘を踏まえると、人の声が「無秩序=ランダム」と認識されると、「意識」は活動を停止し、情報を整理して「秩序」を回復するための「眠り=無意識」へと移行してしまうのだろう。
考えてみれば、「子守歌」も赤ちゃんにとっては理解出来ない「無秩序=ランダム」と認識されているのかもしれない。
・・・むむむ、これは高校時代の数学の授業と同じではないか!
先生は、一生懸命「秩序」を教えようとしているのに。