「ロシアによるウクライナ侵攻後は、ロシアの作曲家であるチャイコフスキーの音楽演奏を控えることになったため、初演時とは音楽構成を変えて、新たにシュトラウスやマスネを使って再構成したそうです。私はこの新しい音楽による版は観ていないので、来日公演で観られることを楽しみにしています。」
ウクライナ戦争が起こる前、旧キエフバレエ来日公演の年末の演目は、当然ながら「くるみ割り人形」一色だった。
だが、戦争が始まってからというもの、ウクライナの文化庁の要請で、ウクライナ国立バレエは、チャイコフスキーを筆頭とするロシア人作曲家の楽曲の使用を控えることとなった。
チャイコフスキーは、いわば「敵性音楽」に指定されたのである。
「雪の女王」(2016年初演)もその後大幅な音楽の差し替えがなされ、チャイコフスキーの音楽はカットされ、J.ストラウス、J.マスネ、H.ベルリオーズ、E.ワイトトイフェル、A.ポンキエッリ、P.マスカーニ、E.グリーグ、J.オッフェンバックなどの音楽が使用されている。
だが、私見では、やはりチャイコフスキーには(ドストエフスキーにも)罪はなく、こうした「敵性音楽」扱いは、基本的に間違ってると思う。
そもそも、チャイもドスも人類共通の財産だからである。
これ以外にも理由はある。
戦争の原因の捉え方いかんによっては、文化的要素が無関係となる場合があるからだ(最後の棒倒し(1))。
「2014年以来はっきりしてきた彼らの正体は、資源産業に特有の暴力組織化を異常肥大させた危険な集団である(これがロシアのウクライナ侵攻を説明しうる唯一の「原因」である)。「西側」の経済構造に深く寄生してきた(結局こんなものを生み出した「西側」の経済構造及び囃し立てたエコノミストには大きな責任がある)。」(p56)
このように、ウクライナ戦争の「原因」は「資源産業の軍事化」にある捉えれば、チャイやドスなどの文化的要素は戦争とは無関係ということになるだろう。
但し、ちょっと厄介なのは、独裁者個人あるいは民衆レベルでの「信仰」(死生観)の問題である。
独裁者個人あるいは民衆レベルでの「信仰」(死生)は、何らかの形で戦争に寄与しているかもしれない(永遠に無垢な・・・)。
例えば、チャイやドスの作品が、「無垢なロシア」の成果物として祭り上げられ、戦争に利用されているかもしれない。
そうであるとすれば、ウクライナ文化庁の方針にも、一定の合理性が認められるということになるのかもしれない。
・・・うーむ、難しい問題である。