「話は10年前、1968年に遡る。当時大映の看板俳優だった田宮だが、ワンマン社長だった永田雅一と決裂し、映画界を追われた。幼少期に両親を亡くし、「貧乏」に異様に敏感だったという田宮は、幸子夫人の「お金のことは気にせず、あなたは自分の人生を守って」という言葉にも耳を貸さず妻子を養うためキャバレーのどさ回りをして生活を支えたという。
そんな田宮だが、69年には『タイムショック』(現テレビ朝日系)の初代司会者となり、73年からはドラマ「白いシリーズ」など活躍の場をテレビに見出していく。しかし個人事務所「田宮企画」代表でもあった幸子夫人は別の見方をしていた。
「(白いシリーズは)『お金に転んだような仕事』としか思えない。シリーズが終わるたびに、もう、これっきりにしてほしいと言いました」
ドラマ内容は似通った御都合主義のメロドラマばかりで、田宮が精神をすり減らすのは明らかだったからだ。」
トラウマ(とりわけ幼少期のトラウマ)というものは恐いもので、年をとってからもその影響が出る場合がある。
(ちなみに、私が知る限りの最強のトラウマは、映画「野いちご」の主人公のトラウマである(ベルイマン流トラウマ対処法(5))。)
私が仕事上経験したものでは、戦間期に育ったため幼少期に極度の飢えを経験した方が、十分な資産があるにもかかわらず、スーパーに行くと安い食料品を万引きしてしまうという事件があった。
この方は、精神科医によって、「幼少期のトラウマ体験が原因と思われるクレプトマニア」と診断されたのだが、症状が出始めたのは、70歳くらいの頃だった。
トラウマは50年以上生き続けていたのだろう。
故田宮二郎氏も、奥さんの見立てでは、やはり幼少期の貧困体験が(うつ病の発症を経由した)自殺の最初の引き金になっていたように思われる。
「貧困トラウマ体験」は、それほど恐いものなのだ。
この点、自分自身を省みるに、幸いなことにトラウマとなるほどの貧困体験はないようである。
だが、「お金がないために辛い思いをする」という経験は、私も人並みにしている。
いまだに痛い経験だったと感じているのは、中学時代、音楽の先生とマーラーの交響曲のコンサートに行く約束をしていたのに、直前に父から止められた”事件”である(英才教育)。
「クラシックのコンサートなんぞに1万円もの大金を出す余裕はない! 」と私を叱りつけた父も、実は、家が裕福でないために大学進学を諦めたという「貧困トラウマ体験」の持ち主であった。
・・・こんな風に考えながら、コンサート会場で配布されたビラを見ていたら、何やら見覚えのある指揮者の顔に出くわした。
何と、36年前、フランクフルト放送交響楽団を率いて九州の片田舎までやってきて、マーラーの交響曲を指揮したあの人物である。
というわけで、早速チケットを買った。
これで私の疑似「貧困トラウマ体験」も癒やされるのではないかと、ひそかに期待するのであった。