Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

ベルイマン流トラウマ対処法(4)

2021年09月11日 06時30分36秒 | Weblog
(以下ネタバレにご注意)

 こうした能動的・自力本願的なトラウマ対処法が、万人にとって有効とは限らない。
 かなり年季の入った人間が、例えば、配偶者の死という大きなトラウマを負ったとしたら、どうなるだろうか?
 それを示したのが、「冬の光」ではないかと思う。
 4年前に最愛の妻を亡くした牧師のトーマスは、仕事にも精が入らず、礼拝も完全にルーティン化している。
 しつこい風邪?に悩まされ、体調も悪い。
 彼にはマッタという愛人がおり、彼女から求婚されるが、亡き妻を忘れられないトーマスは冷たく拒絶する。
 彼もまた世界と自分との間に「壁」を作っているようだ。
 そんな彼に、漁師のヨーナスは悩み(これがなんと「中国の原爆開発」)を打ち明け、救いを求める。
 だが、トーマスの口からは、「人生に意味など必要か?」、「死は魂と肉体が滅びることなのだ」、「創造主などいない」と、聖職者として絶対に言ってはならない言葉しか出てこない。
 これに絶望したヨーナスは、銃で頭を撃って自殺する。
 この映画では、「神の沈黙」というベルイマン監督にとっての最大のテーマの一つ(「神の沈黙三部作」というのがあるらしいし、「処女の泉」もこれが大きなテーマだろう)が登場するが、トーマスが「神」(=造物主)を信じなくなったのは、妻の死という「運命」(=神の別名)を経験したからではないかと想像される(このように、「神」は多義的である。)。
 そんなトーマスに、マッタは「生きる目的が分かった。あなたよ」と述べて愛を捧げ、拒絶された後も彼を見捨てず、ラストシーンの礼拝では、ただ一人だけ参加してトーマスを見つめている。
 「トラウマ対処法」という観点からすれば、マッタという存在と彼女の愛が、トラウマ克服の原動力となり得ることを示唆しているように思われる。
 とはいえ、これがいかにも受動的・他力本願的な方法であることは否めない。

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